透析患者•よしいなをきの日常生活腎臓病・透析に関わるすべての人の幸せのための じんラボ
【第18話】自分にとって大切なものを見つける
2015.1.13
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10年ほど前に大阪芸術大学に籍をおいて文章修行をしたということを『第8回「趣味の話し・文章を書く」』などで書きましたが、実を言えば一時中断していた時期があります。当時私がいた会社が合併をして、新しい体制でさまざまな制度を実現していこうということになったためです。管理部門に所属していた私も社内の目標管理制度の運用などの仕事を任されるようになり、予想もしていなかった昇格がありました。よもや病気を抱えている状態で昇格など無いと見越して文章修行をしていたので、ここで軌道修正をせねばなりませんでした。
会社が大きく変ろうしていた時期です。私はたまたまその流れに乗った形でしたが、にわかに忙しくなりました。新たに始まる目標管理制度を説明するため、東京、大阪、名古屋と上司と共に回りました。各支社の足並みを揃えつつ、各部門の責任者と会うなどして意見を聞き、全社員が自分のキャリアに挑戦するという位置付けで目標管理制度が動きだしたのです。
目標管理制度というのは、会社の人事考課の仕組みのようなものです。新しく動き出したこの目標管理制度では、社員自らが数年後の自分のあるべき姿を想像して目標を立て、その目標達成のために何をしていくのかを考えました。当時会社では社員を「自律社員」(自分で自分を律する)と呼んで、受け身ではなく仕事を自ら創造できる人材を育成しようとしていました。
この制度の運用も2年目となった頃です。私自身もこの目標管理制度の上の面談で上司から次のように問われました。
「次に何か始めるとしたら、君は何を始めたいと思うか? 」
まさか仕事の片手間で文章修行をしたい、と言うわけにもいかずしばし沈黙していました。いや、心当たりはあったのです。
目標管理制度の運用をする中で、社員が自分のキャリアを築いていくのは本当に難しいことだと気付いていました。自分の将来のあるべき姿を模索しつつも、必ずしも自分がやりたいと思った業務につけない場合だってあるのです。例えば「自分はITエンジニアとして開発の業務を全うしよう」と考えていても、上司からは「君には部下のマネージメントをしてもらいたい」と命令される場合もありました。望まなかったキャリアを突きつけられるケースもあり、本人からすれば大きなショックかもしれません。そんな中「自分にキャリアの相談対応ができれば」と考えていました。
この時期、民間資格としてキャリア・コンサルタントの資格が登場していました。キャリア・コンサルタントとは職業選択や職業能力開発の相談を行う専門職です(キャリア・カウンセラー、キャリア・アドバイザーとも言います)。一般企業では転属、出向などで悩む社員のために人事部門に相談窓口を置くところも出てきていました。社員の心の内をしっかりと聴き、社員を新しい仕事へ適応させるため、こうした資格が必要となっていたのです。
「キャリア・コンサルタントの資格を取りたいです」
私は上司に伝えました。すでに社内では数名のキャリア・コンサルタントが実働していましたが、そこに私も加わりたいと考えたのです。上司はしばし黙考し腕を組みました。すでにキャリア・コンサルタントの席は埋まっているといったことを考えていたのかもしれませんが、最終的にはGOのサインを出してくれました。
この時点で人工透析2年目に入っていました。当時キャリア・コンサルタントは民間資格で、半年間は養成講座を受講する必要がありました。最初に合宿があり自分自身の生涯設計を立て、また実際にカウンセリングを受けるという演習がありました。その後は毎週末に研修所に通い、座学と演習の繰り返しです。受講者同士での傾聴トレーニングも何度となくやりました。毎回、講義に関連したレポート作成の宿題も山のように出され、最終的には修了試験もあり手を抜くことはできません。仕事の傍ら透析も受けて、週末の土曜日は研修とかなりハードなスケジュールです。日曜日は疲れ切って眠り込んでしまい、こうなると宿題のレポート作成は透析の時にするしかありません。
透析開始2時間までが勝負です。透析の後半からぼんやりしてくることがあったので、開始すぐにテキストを読んだり、パソコンでレポートを作成していました。この頃はミニサイズのノートパソコンを使っていて、お腹の上にパソコンを乗せ、体の上体を起こすようにして片手でキーを打っていました(技士さんからは「器用だねえ」とよく言われたものです)。テキストを読みながら途中眠り込んでしまうこともありましたが、よく半年も体が保ったなあと思います。
研修内容は心理カウンセリングの領域が中心でした。人の話を聴く場合この領域は必須なのです。カウンセリングの知識は全くの未知の状態でしたので、知識が身につくことが楽しいと感じました。
研修の中で、キャリア・コンサルタントの始まりは19世紀の終わりにアメリカで始まったのだと教わりました。アメリカでは農作業から近代工業への転換期で、少年とも呼べる年代層の若者が大量に失業していた時代だそうです。子供達がギャングなどの犯罪者の道に進むことがないよう、新しい工業技術を身につけるための職業訓練所が各地に作られました。そこで行われた職業相談がキャリア・コンサルタントの始まりだそうです。このような訓練機関が19世紀には作られていたことを考えると、当時のアメリカでは失業問題が深刻だったことがうかがえます。
この話をしてくれたのは当時筑波大学大学院で心理学の教鞭をとっておられた渡辺三枝子教授でした。
研修の最後にはご自身が受け持ったキャリア・コンサルタントの事例をお話しくださいました。
日本でも戦後のある時期に産業の大きな転換期があり、いくつかの職業が無くなろうとしていました。その時に多くの失業者が生まれ、先生はその方々のキャリア・コンサルタントを担当されたそうです。
一人ひとりの求職者の方と面接や適正試験などを行い、少しずつ仕事が決まっていったそうですが、最後に数名のグループの仕事が決まらずにいました。それまで積み上げてきた職業経験から大きく異なった仕事に就くことに少なからず抵抗があったそうです。
先生はその方たちから、過去の職業経験や仕事に就いた経緯、就業上に感じたやりがいなど多くの話を引き出し、最後は子供の頃になりたかった夢までヒアリングしました。提案された求人案件は全く経験の無いものばかりでしたが「そういえば子供の頃は海に関わる仕事に就きたいと思っていた」と思い出した方は、最終的に港湾での業務に就くことを決意したそうです。最後の最後は子供の頃かすかに感じていた将来の夢が、全く未経験の職業選択の決め手になったという話です。
この話は後々に私の心の中で大きな存在となりました。大学時代、就職先を選択する時にここまで自分の経験や素質、過去の気持ちを掘り下げて決めただろうか、という疑問が生じたのです。大学4年の就職活動中に慢性腎不全であることが発覚し、それで就職を焦っていたということもありますが、その時に進路を安易に決めてしまったのではないか、そういう気持ちになりました。
以来、キャリア・コンサルタントの勉強は他人の相談に乗るためというよりも、自分自身の生き方を確認するためのものとなりました。その時はまだ仕事と透析の両立がどうにかできていましたが、このまま業務が増えたり、また透析の時間が増えた場合は今の仕事が続けられるのかという将来の不安も感じていたのです。また、大きな会社の中で働いていると集団の中で個人が埋没していくということも感じていました。
会社員という肩書きを自分から外したら、自分自身何が残されるのだろう。もしも何も残されていないとしたら、自分は透析患者であるということだけになります。それからしばらくの間、自分自身とは何であるか? という内省(ないせい:自分の心のはたらきや状態をかえりみること)の作業が続きました。
「そういえば小学生の時、ほんの一時期だけれど児童文学を書きたいと思ったことがある」
ある時ぼんやりとそう気がついたのです。
「小学生の頃、むやみやたらと原稿用紙に文字を埋めていたのは、いつか児童文学を書けるようになりたいと思っていたからではないか」
書きたいと思う対象も今では随分変わってしまいましたが、その時、一つのラインが自分の中で繋がったように感じたのです。すでに “よしいなをき”のペンネームでブログを書いていましたが、自分の中では会社員・丸山條治の存在よりも、よしいなをきの存在が大きくなっていることに気がついていました。
「自分は“透析ブロガー”なのだ。透析をしながらでも文章は書くことができる。透析を受けながら自分の気持ちを綴る文章書き・よしいなをきなのだ」と。
再び私は文章を書くことに埋没していきました。社内では結局キャリアの相談を受ける機会はありませんでしたが、キャリア・コンサルタントの勉強は自分と仕事のこと、自分のやりがいといったことを考えるのには大きく役立ったと思っています(そういえば今はピアサポーター養成講座で役立っていますね)。
そうしてその後、日々ブログを綴る中で一つのブログサイトを見つけることになるのです。ソニーという企業を円満退職し、透析を受けながら社会福祉士となるべく専門学校に通い邁進する日々が綴られたサイトです(この頃のブログは『じんラボ所長、宿野部武志の過去ブログ』でご覧いただけます)。じんラボ所長の宿野部武志との出会いはもうすぐでした。
こうして私は、じんラボ特別研究員として記事を書くようになったのです。
この記事はどうでしたか?
- 【第24話】透析を受けるようになって大変だったこと、良かったこと
- 【第23話】息子が親の透析をどう受け止めてきたのか振り返る
- 【第22話】よしい家の事情
- 【第21話】透析室スタッフさんのこと
- 【第20話】入院の心構え
- 【第19話】患者スピーカーとして講演しました
- 【第18話】自分にとって大切なものを見つける
- 【第17話】私のオフシーズン
- 【第16話】ボクの保存期〜今、CKDに生きる人たちに・6(最終回)
- 【第15話】ボクの保存期〜今、CKDを生きるひとたちに・5
- 【第14話】ボクの保存期〜今、CKDを生きるひとたちに・4
- 【第13話】水分管理について
- 【第12話】ボクの保存期〜今、CKDを生きるひとたちに・3
- 【第11話】ボクの保存期〜今、CKDを生きるひとたちに・2
- 【第10話】ボクの保存期〜今、CKDを生きるひとたちに・1
- 【第9話】趣味のはなし・小旅行
- 【第8話】趣味の話し・文章を書く
- 【第7話】趣味の話し・写真
- 【第6話】趣味の話し・自転車
- 【第5話】人工透析で生きるということ
- 【第4話】家族がいてくれたこと
- 【第3話】安心して食べられるということ
- 【第2話】Y先生のこと
- 【第1話】リンが上がった!
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