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【第2話】自己紹介〜透析への経緯2〜
2014.2.20
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前回は腎臓が悪いと分かった主人が医師に「透析です」と言われ、ケンカになった所まで書きましたので、今回はいよいよ透析を導入するまでのお話を書こうと思います。
腎臓の専門医がいる病院を探しだしました。そこは何年か前最初に紹介状を書かれた病院でした。
翌日病院に行って、主人に話すと「じゃ転院してみよう」と早速手続きをしました。
病院名と医師名を担当医に伝え、紹介状を書いてもらいました。
紹介先の腎臓内科の予約日が退院してから5日程あったので、その期間は自宅で過ごしました。
自宅での食事も、相変わらず食べては吐きの繰り返しでした。
唯一、予約日の前日にリクエストされた唐揚げだけは吐かずに平らげてくれたので、嬉しかったです。
腎臓内科のある総合病院に予約した日に行くと、初診受付で紹介状を提出し、今の症状を記入しました。
受け取った書類を腎臓内科に渡し、前の椅子で待っていました。
多分10時過ぎくらいで、椅子には多くの人が座っていました。
11時頃に尿検査や血液検査を受けました。20分くらいで検査が終わり、また長椅子で待ちました。
昼頃になっても自分たちは呼ばれず、待合室の人もまばらになってきました。
14時過ぎた頃にやっと名前が呼ばれました。
30代後半とおぼしき腎臓内科の医師は、紹介状に書かれた医師が科長会議での不在を詫びた後、丁寧に診察してくれました。
医師の優しい口調でホッとし、「ここなら何とかなるかも」と淡い期待を持っていました。
でも、診断はやっぱり“透析導入”。
医師に確認すると「今すぐ死んだりしないので、ツラクなったら必ず来てくださいね」と言われ、その日は帰宅しました。
それでも納得出来なかった私たちは、知り合いに相談し、東京の代替医療に詳しい医者のところにサードオピニオンを受ける為に会いに行きました。
予約を入れると、相談は1時間1万円。
でも「これで先生が透析だと言ったら、腹決める」と旦那…。
一抹の期待を持って東京・四ッ谷のクリニックへ。
小気味良いクリニックで、頭の良さそうな先生が迎えてくれました。
血液検査の結果と問診表を提出しての対談はやはり「透析」。
先生は、「せめて数値が半分位の時に来てくれたら」と。。。
でも、先生から「自分達が悪いから病気になったんじゃありません。自分達を責めてはいけませんよ。一緒に立ち向かって行きましょう!」と固く握手を交してくれたのです。
2時間みっちりお話して2万円でしたが、私たちは肩の荷が下りて「透析」に前向きに進む準備が出来たのでした。
それから一週間もしないうちに主人の具合が悪くなり、夜中の2時に緊急で病院に駆け込みました。
眠れない夜を過ごし、朝7時過ぎた頃、先日診察をしてくれた先生が救急病棟に駆け込んで来ました。
先生は優しく「辛くなっちゃいましたね、頑張りましたね」と言ってくれたので、ストレッチャーに乗せられた旦那の後ろで涙が出てきました。
その後、透析を受ける準備の為に「シャント」と言う、血管をつなげる手術を手首にしました。
今日から血管の音を毎日聞いて、詰まったり菌が入らないように注意が必要だと言われ、聴診器を購入して、手術箇所の音を聞くと……
生きてる音がする!!
2週間位経つと血管が発達して使えるらしいけれど、クレアチニン数値が18.6と悪いので足の付け根に管を通して透析を開始しました。
初めは2.5時間、翌日は3時間と時間が増えていき、緊張と毒素が抜けるのに、脳の浸透圧が変わるので吐気や頭痛が激しい。
看護師や医師に相談すると全て「尿毒症のせいです」と返答され、「何でも尿毒症のせいにして」と反発心を持っていた時です。。。
隣のベッドのおじさんが話し掛けてくれた「俺はもう15年やってるで、心配しないで大丈夫だで!お兄さん、体デカくて若いから大変だろうけど頑張ろうや」と笑顔で話しかけてくれました。
確かに30代前半の旦那世代なんて殆んどいない。。。
それで更に不安になっていた私達に、おじさんは優しく話し掛けてくれたのです。
人間、弱っている時の優しい言葉は身に染みるなぁ。
2週間ほどで頭痛や吐き気も落ち着き、食事も少しづつ採れるようになり、数値も安定して、やっと退院できました。
体重も1ヶ月で12㎏も落ち、最終的には104kgあった体重が88kgにまでなりました。
私たちのように手遅れになる前に一人でも透析導入を避けられればと思っています。
次回は、海外透析『えがお』設立のきっかけをお話しようと思います。
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