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【第3話】妊娠と出産
2018.8.13
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結婚後、周囲からの配慮のない言葉
トントン拍子で結婚したものの、すぐに大きな課題が待っていました。
「結婚したら子供でしょ」周囲からの配慮のない言葉に私は悩みました。
単純に「手術したから身体は治った。だから次は子供。」という発想から出た言葉だったかもしれませんが、そもそも私たち夫婦の間では、子供の話題はタブーでした。
夫にも「私には子供を産むことは出来ない。産むと死んでしまいます。だから、子供は望まないで欲しい」と、常々話していました。
それなのに周囲はそれも許してくれず、顔を合わせる度に「子供は?」と聞いてくる人さえ現れました。
「まったく、大きなお世話だわ!」
例えば、不妊治療中の方が「子供はまだか?」と連日言われていたら、気が狂いそうになるでしょう。立場は違っても、妊娠と出産の話題は当時の私には恐怖でしかありませんでした。
夫の言葉をきっかけに出した結論
ところがある時、夫が「やっぱり子供が欲しい」とずっと我慢していた言葉を伝えてきました。「あなたは私を殺したいの?」と思わず言ってしまったこともあります。
夫から放たれた言葉によって新たな葛藤が生まれましたが、それでも本気で考えていくことなりました。
そして、悩みに悩み、危険を冒してでも、私も自分の分身である子供に出会いたいと思うようになりました。命がけの挑戦でした。そして今、2人の子供の母親となることができました。
腎移植者の妊娠・出産
子供が欲しくなった私は、まず腎移植医に相談しました。そもそも当時は腎移植者の妊娠・出産の例が多くはなく、手探り状態でした。それゆえ「妊娠してみないとわからないね」という結論でした。
医師からは「まだ妊娠しないの?」と、催促されたりもしていました。
めでたく妊娠すると困ったことが起こりました。そもそも骨盤が狭かったことも原因だと思われますが、大きくなった子宮が膀胱と腎臓を圧迫し、水腎症となり排尿が出来なくなったばかりか激痛が走るようになりました。
そのため妊娠33周目、9ヶ月で急遽帝王切開で長男を出産しました。息子は新生児重症仮死で生まれて、死産一歩手前でした。1・2回、赤ちゃんのか細い泣き声を聞きましたが、私自身も意識が遠のいてしまいました。出産後、息子は都内の未熟児センターへ救急車で搬送されました。
移植腎臓に関しては、クレアチニン値が3.0mg/dLまで上昇していましたが、出産すると0.8 mg/dLまで回復しました。
そして2人目を出産
長男が大変な出産でしたので、産婦人科医からは「次の子供は望まないように。今度は助けられないよ。」と釘を刺されていたのにもかかわらず、5年後には女の子が欲しくなりました。
どうしても女の子を産みたくて、再度移植医に申し出ました。すると「自己責任で」、「腎臓に悪影響がでた時は、赤ちゃんは諦めてもらうよ」と言われました。
長女もやはり9ヶ月で帝王切開で出産しました。動脈管開存症と呼吸窮迫症候群という病はありましたが、生後1ヶ月検診では完治していました。
現在息子は自動車関連のエンジニア。娘は助産師となり働いています。娘が、長男の母子手帳に記載されたアプガースコア(生後1分後と5分後に赤ちゃんの元気度を判定する、主に新生児仮死の指標。10点満点で8〜9点の赤ちゃんが多い)を見た時、「わっ〜、ぞわっとしたー。恐ろしくて担当したくない症例だわ!」と話してくれました。
2人とも9ヶ月の未熟児で生まれてきましたが、心配していた障害もなくスクスク育ち、未熟児だったことは微塵も感じられないほど健康的に過ごしています。
次は、子供たちが伴侶と出会い、そして孫を見せてもらえるよう長生きしなくちゃっ、と思うこの頃です。
次回は「子育て」のお話です。
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