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【第5話】病室のバースデーケーキ
2015.5.14
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入院患者さんのご家族から「何を差し入れても大丈夫でしょうか? 」と質問されるたびに、私は少し悩みます。
保険診療を担う主治医の立場ですから、治療食ではない食べ物をおすすめするのは気が引けます。管理栄養士が懸命に考えた入院食の塩分・蛋白質・カロリー設定を台無しにしてはいけませんし、やはり患者さんの体調管理を最優先にすべきだからです。
とくに透析患者さんでは、市販のお菓子やお総菜に含まれる塩分量が原因になって血圧が高くなったり、いつもよりも身体がむくんだりする。透析療法で補正するとはいえ、口にするものが身体に余計な負荷をかけてしまいます。「好きなお菓子やお総菜は少しだけ。カリウムやリンが多く含まれる食材はできるだけ避けましょう」と正しく答えることになります。
一方で「どうしても食べたいから持ってきてくれ」と患者さんがご家族に頼んでいる場面にも遭遇します。米飯にはお漬け物や佃煮が絶対欲しいと依頼して、夏場には早々に傷んでしまう瓶詰め食品をベッド横に隠していたという場合もあります。入院は日常生活から隔離される特殊な経験ですから、患者さんは大小の我慢を続けている反面、毎日の食事は大きな楽しみでもある。美味しいと感じる瞬間を少しでも体験してもらうためには、医師がダメを言い続けるのは望ましくない。差し入れに関して多くの医師は、患者さんたちのご要望と身体状況を照らし合わせて、許容できる範囲とダメな範囲を決めているのだと思います。
ある時ご高齢の透析患者さんが入院されました。80歳代後半になって足腰が弱くなり、最近では身体のだるさを訴え自宅で転びやすくなっているので検査入院となったのです。難聴と軽い認知症があるものの、声は大きく明朗な男性でした。
ところが血液透析を受けていると開始時は血圧が高めであるものの、後半には血圧が急激に下がりやすい。しかも入院初日から原因が分からない微熱が続いており、ときどき眠そうなご様子で受け答えがはっきりしないことがある。古い脳梗塞とご年齢の影響もあるのかなと考えつつ、透析日の合間に各種の精密検査を続けていました。
すると、心臓エコー検査で重大なご病気が見つかったのです。心臓の左側の、肺で酸素を受け取った動脈血を全身へ送り出す仕組みのうち、一方通行の扉にあたる大動脈弁(だいどうみゃくべん)と僧帽弁(そうぼうべん:左心房と左心室の間にある弁)が完全に閉まりきっていませんでした。ご高齢者でそれなりに見かける閉鎖不全症という心臓弁膜症なのですが、この患者さんでは大動脈弁の根元に異常な影も映っている。さらに左右の心室を隔てる筋肉の壁(心室中隔)には小さな穴が空いており、本来は流れない方向に動脈血が一部飛び出していました。
微熱の原因は、心臓の弁に細菌の塊が付着してしまう感染性心内膜炎というご病気でした。入院前から心臓内で細菌が増殖して弁を少しずつ破壊し、ドアの蝶番が故障するように閉じきらなくなる。この患者さんではさらに進行して、隣の心室中隔にまで感染が広がって穴が空いたのだと判明しました。ご高齢の透析患者さんでは免疫力が低下していると細菌感染にとても弱く、本来は無菌である心臓の弁や筋肉が破壊されてしまうこともあるのです。
主治医として今後の治療方針を大変悩みました。週3回の血液透析は欠かせません。本来であれば感染性心内膜炎の治療は抗生物質を1ヶ月以上も点滴で投与してから、心臓外科手術で病巣を切除し、閉じきらない弁膜を新たに作り替えるのが基本です。とはいえ全身麻酔をかけて長時間の心臓手術に耐えられるかは、さらに精密検査を続けて慎重に判断するしかありません。医師が悩んでいる間にも、心臓内で細菌が少しずつ増殖しているかもしれないのです。
これまでの検査結果をそろえて、私はご家族への病状説明に臨みました。ご入院前からの体調不良については発症時期が不明であるものの、感染性心内膜炎の経過に一致すること。すでに進行していて心室中隔に穿孔(せんこう:穴があくこと)を起こし、心臓内の血流が3方向に分散する異常な循環動態になってしまっていること。90歳近いご高齢であり、これから根治的な外科治療に挑むことも大変に厳しいこと。そういったお話をご家族にお伝えした結果、保存的にできる限りの抗生剤治療と血液透析を続けることになりました。
こうした厳しいお話が続いた中で、娘さんと私は患者さんのお誕生日が近いことに気がつきました。「次のお誕生日まで、あと1ヶ月ないくらいですね。ご病気は厳しいのですが、また新たにお歳を重ねますね」という私の言葉に続いて、娘さんは「先生、誕生日はケーキを買ってきても良いでしょうか?」と質問されたのです。
「お誕生日ですから、やっぱりバースデーケーキがあれば嬉しいですよね。もともと甘い物がお好きだと伺っていますから」と答える私は、赤いイチゴが載ったバースデーケーキが病室に飾られている場面をごく自然に想像しました。何歳になっても、誕生日といえばケーキでお祝いだろう、と。
「病院ですから、色々な差し入れはお断りしているのですが、今回は特別な日です。厳しい治療も続きますし、ぜひお誕生日は美味しいケーキでお祝いしましょう」という私の言葉は、医師の理屈を飛び越えた自然な判断でした。どのようなご病気で入院していても、喜ぶ権利やお祝いされる権利が患者さんにはあるのですから。
その後、心不全による循環の不安定さに苦労しつつも週3回の血液透析は実施でき、患者さんは誕生日を無事に迎えることができました。約束通り、娘さんは丸くて大きな誕生日ケーキを病室に差し入れてくださいました。患者さんのベッドを少し起こしてテーブルを入れ、胸の前に置かれた立派なバースデーケーキを囲んで、お孫さんを含めて家族皆さんでお祝いをしたのです。
病室ですからキャンドルに火を付けることはできませんが、立派なバースデーケーキでした。食欲が優れなかったこともあってたくさんは召し上がらなかったそうですが、患者さんはご家族に囲まれて記念写真を撮りいつもの誕生日らしい温かな雰囲気に包まれていらっしゃいました。若い研修医がちゃっかりと記念写真に収まったのは、その献身的な仕事ぶりをご家族に認めていただいていたからでしょう。
何気ない差し入れが持つ意味を少しでも想像し、ご家族と一緒に患者さんを応援することの大切さ。医療行為がどうしても理屈と結果重視になる中でも、人の普遍的な幸せとは何だろうと考えることは、私たち医療従事者にとって重要な基本姿勢です。医師のように多数の決断を担う職業だからこそ、患者さんが日常で迎える幸せを、許容できる範囲で後押ししてあげたいと今でも思っています。あのバースデーケーキは患者さんとご家族が院内で見せてくださった、命のきらめきでもあったのです。
(腎移植を受けた患者さんたちのお話)です
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