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【第4話】妻を背負って
2015.3.23
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ご年配の患者さんが増えている透析医療では、日頃から足腰の具合が優れない方が少なくありません。日常生活に大きな支障はないけれども腰や膝の痛みが心配という患者さん。あるいは数年前にうっかり転んで怪我をしてしまったので、回復後も杖を使っている患者さん。皆さんが身体のことを気遣って、それぞれのペースで生活を送っていらっしゃいます。
また日頃の通院に車椅子を使う方も増えてきました。透析経験が10年以上で80歳ともなれば、加齢現象が重なって足腰の筋力がどうしても弱まるもの。歩行では移動中に存在する大小の段差を乗り越えるのが大変なので、自宅から透析室ベッドまで車椅子で移動している方もいらっしゃる。外来クリニックはご高齢者の増加から、送迎車をバリアフリー仕様(車椅子リフト付き)に変更していることもあります。
私が勤務している民間病院でも、ほとんどの入院患者さんが車椅子で生活をされています。週3回は病室から長い廊下を通り、エレベーターに乗って透析室へ移動しなければいけません。立位を保つのが難しい患者さんは体重計に車椅子ごと乗って、透析室ベッドにも介助を受けながら移る。3〜4時間の血液透析を受け終えるとまた車椅子に移って…という具合です。たくさんの車椅子を置いておくスペースを透析室に用意する必要があるほどです。
金属製フレームと大きな車輪が付いている車椅子は意外と重く、普通のタイプで15キログラムほどにもなります。これに自らの体重も加わるので乗車したままグングンと漕いで進むには、それなりの腕力が求められます。医師は患者さんが車椅子を漕ぎ進める様子を観察して、上半身の回復具合を見極めることになります。ずっと腕だけで廊下を進むのは疲れてしまうので、足蹴りも上手に使ってゆっくりと移動している姿もよく見かけます。
以前着任した某病院では、足腰が不自由な女性患者さんを担当させていただきました。2型糖尿病の合併症がかなり進行していた中高年の患者さんで、視力と筋力が優れないので「透析室では安全のために車椅子を使うのが当然」と赴任したばかりの私は考えていました。
普段の生活ぶりをうかがうと一軒家にご主人と長女の3人暮らしで、介護保険は利用せずに家族で面倒を見ているとのお話でした。ご本人は口数こそあまり多くないものの、ときどきピシャリと鋭いコメントを返される方で、私たち透析室スタッフは苦笑いしたり一緒に和んだりしていました。やはり車椅子を漕ぐことは出来ず、スタッフが移動をお手伝いする女性患者さんでした。
そんなある日の午前中、ご主人が一緒に付き添ってきた光景に、私は心底驚きました。前日夜から女性患者さんの体調が優れなかったとの事前連絡があったのですが、来院時刻になって透析室に到着したとき患者さんはいつもの車椅子ではなく、ご主人に背負われていたのです。比較的小柄なご夫婦でしたが日焼けしたご主人は仕事で鍛えた太い両腕とたくましい足腰で、女性患者さんをしっかりと背中におんぶしていました。
「病院でおんぶ? 何か緊急の事態でもあったのだろうか? 」と、まだ若手医師だった私は内心で動揺しました。
「先生、おはよう! 」というご主人の威勢の良い挨拶に、私はさらに戸惑いました。「かあちゃんが、昨日の夜からちょっと調子悪くなっちゃって…。なっ、かあちゃん、先生に自分で言わないとよっ!」という職人らしいご主人の呼びかけに、がっしりと背負われた女性患者さんは恥ずかしそうに首を少し傾けて苦笑いを浮かべていました。「どうやら重症ではないようだ」という医師の直感と同時に「でもここまでを背負ってくるの? 」という戸惑いも渦巻きます。救急車ではなく自家用車でやってきたそうで、急ぐときは背負うのが当然という雰囲気です。
それから一瞬の間を置いて、主治医である私はご夫婦の間で築かれてきた長年の信頼と愛を強く感じました。
「きっと階段から降りるときも、旦那さんが奥さんを背負ってきたんだ…」
医師として病状の確認を急ぐ前に、確かな夫婦愛を感じて目の前の光景がフワリと明るくなりました。
幸い、そのときの女性患者さんの体調不良は重い症状ではなく、透析後に面会にいらっしゃった長女さんに対しても、少し照れながら淡々とした口調で親子の会話をしていました。「いやあ、母はいつもこうなんですよ!」という娘さんの元気な声を聞き、3人家族の日常がどれほど大きな努力と愛によって築かれているのかを私は初めて知ったのです。
それからも女性患者さんが体調を崩してしまうたびに、ご主人は自宅内から女性患者さんを背負い、自家用車で病院までいらっしゃることが何回もありました。そんなときは透析室ベッドに寝かせるのも、迎えに来て背負うのもご主人の役割。体調が優れないときに透析室に背負われて入ってくる患者さんは当時もこの女性患者さんだけで、その後も私は目撃したことがありません。
奥さんを背負っているときのご主人は底抜けに明るくて力強く、日頃の苦労を周囲に感じさせまいという男の気概が溢れていました。「俺がやらなくて誰がやるんだ」という確固たる姿勢がその後もずっと変わらなかったのです。そんなお父さんを忙しい仕事をしながらも支えている長女さんの優しさ。照れ隠しなのか、あまり自分からご意見やご要望をおっしゃらない女性患者さんでしたが、3人家族が皆で力を合わせて病気と戦い続ける姿に、医師というプロの立場を忘れて感銘を受ける日々でした。
結婚式で夫婦が誓う「病めるときも、健やかなるときも」という言葉が示す本当の意味をご主人のおんぶから学んだ私は、医療が理論や数字で完結するわけではないことを強く確信しています。今でもときどき、あのご家族を懐かしく思い出し、医療が何となく冷たい論理的な世界だけではいけないと思うのです。透析医療に向き合う患者さんとご家族の努力はそれだけで尊い価値がある。より良く生きる日々をご本人とご家族が真正面から求めることで、医療の結果もきっと良くなります。
長年連れ添った夫婦のように、科学と愛が仲良く調和するのが全人的な医療。そのような医師の初心を忘れないように自らを鼓舞しつつ、今でも私は透析室での診療を続けています。
(ご高齢患者さんの誕生日をめぐるお話)です 。
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