透析と妊娠・出産腎臓病・透析に関わるすべての人の幸せのための じんラボ
【後編】多くの助けを借りて果たせた親の務め
2022.7.11
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そろって透析を受ける私たち夫婦に妊娠がわかってからというもの、子どもの成長と妻の健康に問題が起きないように祈るような毎日でした。
毎日透析を受ける決意
改めて私たちは透析医に新しい命を迎える決意をしたことを報告しました。
医師からは、透析前後での尿毒素や体内の水分量の落差を抑えるために、月曜から土曜まで毎日透析を受けるよう提案されました。子どものことを考えて妻は毎日透析を決断し、そして乗り越えてくれました。毎日、長い時間を透析に費やすのは、想像を絶する辛さだったと思います。
日曜日以外は毎日透析をしていた分、食事制限での苦労はあまりなかったようで、妻は透析の時「今日のご褒美」と言って大好きなコーヒー牛乳を透析前に飲んでいました。
しかし、毎日の透析は身体的にも精神的にもやはり妻に大きな負担となっており、疲れたような表情を見せることがありました。安定期に入ったのを見計らって旅行に行きましたが、身体を心配した親からすぐ叱責の電話が入りました。でも、旅行は妻の気分転換の役に立ったと信じています。
新しい命を迎えた日
出産予定日の3週間ほど前に、妻は出産準備のために入院しました。
ある日、医師から電話があり「お子さんの心音が少し弱っています」と告げられ、帝王切開でクリスマス・イブに出産することが決まりました。
幸いにも妻には体調面での問題は特にありませんでした。しかし医師から告げられた「心音が少し弱っている」との言葉が頭から離れず、気が気ではなかったのを覚えています。また、妻は一度流産を経験しているので心配でたまりませんでしたが、私には見守ることしかできませんでした。
出産予定日当日は仕事を休み、朝から妻の病室で待機していました。妻とは「大丈夫?」「心配」などと言葉を交わし、その後分娩室へ運ばれて行きました。
妻が分娩室に入ってからしばらく経ったお昼ごろ、元気な産声が聞こえ、その後保育器に入った赤ちゃんが僕の前をゆっくりと通って新生児室へと運ばれて行きました。僕の前を通って行くときに、赤ちゃんが僕のことを見てくれたような気がして、嬉しさがこみ上げてきました。
赤ちゃんはそのまま新生児室に連れていかれ、しばらく対面できませんでした。
それからというもの、妻と赤ちゃんが1日も早く帰ってくるようにと願いました。お見舞いに行く度、「いつ帰ってこられる?」と毎回妻に聞いたものです。
それからしばらくして、妻と赤ちゃんを車に乗せて自宅へと帰りました、人生で最高に嬉しい瞬間でした。
多くの人の助けを借りて
未熟児で生まれとても小さかった赤ちゃんは、今では23歳にまで立派に成長してくれました。
あの時、出産を決断したことは間違いではなかったと今でも思っていますが、迷ったことや、不安なことはたくさんありました。
特に毎日透析する妻の負担は大きかったでしょうし、「妻に気の毒なことをしているのでは」と思ったこともあります。
一番心配していたのは、子どもの世話についてです。というのも、妻も私も仕事をしており夜間透析を受けていたので、特に夜間子どもの世話をどうするかという問題がありました。
私の親に子どもの面倒を見てもらえるようお願いし、出産後1年ほど母親に住み込んでもらって、透析の間は子どもの面倒を見てもらうなど多方面で大変力になってもらいました。
また、保育園が私たちの大きな支えになってくれました。子どもが1歳になってからは通常の保育園と夜間透析の間面倒を見てくれる認可外保育園を探し、2か所で面倒を見てもらいました。
そのため、透析の日は仕事終わりに保育園へ迎えに行き、夜間透析前に子どもを認可外保育園へ預け、透析後に子どもを引き取ってから帰宅する日々でした。
夫婦ともに透析をしている私たちは、本当にいろんな人の助けを借りて、新しい命を迎え親としての役割を果たすことができました。
この場を借りてお礼を申し上げるとともに、私たちの経験が透析をされている方やそのご家族の参考になるとうれしいです。
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