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【第4話】床屋の看板娘

2015.3.2

文:オルカ

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【2014.06.15 掲載】

みなさま、いつもこの自己満足日記にお付き合いいただきありがとうございます。

連載を始めて、昔を振り返り自分を深く理解できたように思います。 自分だけの日記として記せばいいのかも知れませんが、人に見せる文章を書くことも私の言語スキルUPのために重要なのでもうしばらく続けさせていただきま〜す♪

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床屋の看板娘編

親の「高校だけは卒業させたい」という気持ちを裏切って、オルカは高校を中退した。

この時から、30代ぐらいまでは、学歴コンプレックスを抱えて生きていたように思う。学歴がないんだから、人並み以上に頑張らなくっちゃって思っていたんだけど、何をしたらよいか具体的な目標があるわけではなかった(^^;)

みんな学校に行っているから一緒に遊べるわけでもないし。 とにかく、どこにも所属してない状態にも耐えられず、とりあえず働かなきゃって思って、友達が以前働いていた伊勢佐木町の床屋に面接にいって、すぐに働きながら通信教育で理容学校に行ったのだった。

その床屋さんはキャバレー(当時はキャバクラはない)の店員やホスト、893、警察とか伊勢佐木町ということもあって商売をしているお客様が多く、バブル景気前だったけれど、チップだけで一日数万円になることが多かったので、仕事の終わりに店長がみんなを飲み屋に連れてってくれたりした。

17歳で働き出して、初めは「いらっしゃいませ」が恥ずかしくて言えなかった。 でもすぐに慣れて、立ちっぱなしで身体はきつかったけど何もかも新鮮ですごく楽しかった。 お店のみんなが、「オルカちゃん、こっち手伝って〜」と言ってくれて、タオル洗ったり、パーマの助手をやったり、シャンプーなどの下働きをちゃんと評価してもらえて、お客さまから、チップをもらったり(お店にわたす)、ぺちゃくちゃお喋りしたり、なにより遅くまで働くのでオルカはいつのまにか寂しさを感じなくなっていった。

でも、その店は技術者(スタイリスト)がたくさんいるから、なかなか下働き以上の仕事をさせてもらえないように感じてきたのと人間関係のトラブルで辞めて、その後、金沢八景の床屋で働きだした。

伊勢佐木町の床屋さんは上手いこと褒めて動かそうという人が多かったのに比べ、八景のお店の先輩たちは職人気質で初めは目も合わせてもらえず話かけられもせず辛かった。しかしここでは、次々仕事を覚えさせてもらい理容師免許もここで取得したはずだ。

この時期オルカは長時間労働をしていて、8時間以上床屋で働き、終わって9時とか10時ぐらいから12時ぐらいまでカウンターバーみたいなところで週に何日かは働いていた。

お金が欲しいわけではなくて、一人の時間を過ごすのが嫌だったんだと思う。

この店では同僚の女の子とある日お店をボイコットした思い出がある。

なぜあんな事をしたのか覚えてないんだけど、お昼を食べたあと二人で消えちゃったのだ。

当然とんでもない大騒ぎになったんだけど、同僚の女の子の家がお金持ちで、店主にアパートみたいな物件を安く売って、おとがめ無しになった。

私はその後、居づらくなってその八景の店を辞めて東戸塚の床屋で働き、胃せんこうになってその店を辞めて、以後床屋の仕事自体をやめた。

「胃せんこう」って胃に穴があいちゃうんだけど、もうどこが痛いのかわからなくなるぐらい痛くて、気を失って東戸塚の床屋から救急車で運ばれたんだった。

原因はたぶんストレスだったんだと思う。

その頃のオルカは今と違って他人中心に生きていて、神経をすり減らしていた。

その後はふらふらして定職につかず、中華街でウエートレスや、関内や福富町でホステスしたりポーカーゲーム屋に入り浸ったりちょっぴり自暴自棄な時代を過ごす。

そして、ある日、母が加入している保険の外交員さんから 「不動産屋の事務の仕事してみない?」と言われて面接に行くことになった。

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次回は、「OLっていいね♪ バブリー黄昏期」です♪

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オルカ

オルカ
30代前半で透析導入して、透析中に読んだ本がきっかけで心理カウンセラーを目指し39歳で一念発起。
再び高校へ通い心理系の大学を卒業した後、カウンセラー養成講座を経て49歳のときに念願のカウンセリングルームOruka’s roomを開設しました。ブログを書いてます。

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