管理栄養士である私が、透析患者になった腎臓病・透析に関わるすべての人の幸せのための じんラボ
【第1話】あの日の診断…保存期5年の葛藤
2020.10.12
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悲鳴を上げた体
2000年6月初旬、その日はやけに蒸し熱く、額にはじとっとした変な汗をかいていました。足はすでに象のように浮腫んで、もはや座ることもままならず、かつ貧血が進行し平坦な道でも息切れ状態。微熱でほてった体ではキッチンに立つのもしんどい朝でした。
「あれだけ気をつけていたのに、風邪のウィルスをもらっちゃったか…。」全身が悲鳴をあげていました。尿蛋白を指摘され、通院と服薬等の治療を続けて5年目のことでした。
病院に飛び込みそのまま入院。「この状態からの腎生検は危険だからできないね。しばらく様子を見ていきましょう」と医師から説明がありました。
点滴がリズミカルに落ちるのを見つめながら「あーあ、とうとう、この日がきてしまった…。職場の人に迷惑かけるなあ。引継ぎをしなくては…」と、反省と後悔を少し感じつつ、一番の心配は仕事のことでした。普通なら病気への不安と恐怖でいっぱいになるところでしょうが、これから自分の身に起きることを平常心で冷静に受け止める余裕がありました。それは私が保健所の管理栄養士だからでしょうか?
管理栄養士として長年働いてきて
私は2019年に退職するまでの37年間、さまざまな病状と闘う人々を相手に食事指導をする保健所の管理栄養士として働いてきました(保健所は、新型コロナウイルス感染症で注目された行政機関ですね)。
当時私が働いていた保健所には、医師、保健師、歯科衛生士、放射線技師、臨床検査技師と多くの専門職がいて、初めて尿検査が5+だと言われた私に真っ先に近づいてきたのは臨床検査技師でした。
「5+なんて尿試験紙になんか無いのよ、それほど酷いってことよ!」と、いきなり警鐘を鳴らしてきたかと思えば、「ねえ、尿を見せてくれない?」と、顕微鏡の傍らでキラキラした目をして言ったのです。これには思わず苦笑いでしたが、「いいよ、いくらでもあげるよ」と即答。自分の尿が研究材料となり、他の人の手助けになるのであれば、いくらでも提供するつもりでした。
もちろん、管理栄養士である自分は「食事療法においてはプロ! 自己管理も完璧のはず!」という自負はありました。でも正直に言って、糖尿病や脂質異常症などさまざまな食事療法がある中で、一番苦手だと感じていたのが「腎臓病の食事療法」でした。
「他人には指導できても、自分の食事ができないなら失格だ!」と自分を追い込み、とにかく1日の蛋白質摂取量を45gに抑える低蛋白食からスタート。無我夢中で教科書や参考書を開き、初めて自分に課した食事療法でした。
一口メモ:蛋白質摂取量の基準
厚生労働省「日本人の食事摂取基準」などではCKDステージ別の蛋白質摂取量の基準が一応示されてはいますが、それぞれの体格や活動量、栄養状態などでていねいに見る必要があります。医師や管理栄養士に相談しながら行いましょう。
ところが、低蛋白米も粉飴も、どれも口には合わず…。こういった患者の苦しさは教科書には書いていませんし、大学の授業でも習いませんでした。この食事療法をこれまで自分は何人もの患者さんに指導してきたのか…こんなに辛いことなのだと初めて知りました。
この低蛋白食を維持するために、昼は弁当を持参して外食もやめ、アルコールもやめました。「食事の味は甘くなるけど、これは甘くないぞ! (笑)」と、自分を鼓舞して頑張りました。いつも食べている魚、肉、卵などの蛋白源を減らすことはそれほど苦ではありませんでしたが、エネルギーを増やすための甘さと脂っこさは苦痛で、結局エネルギー不足の状態が続き、「このままだと病状が進行してしまうのでは…」という予感が増幅していきました。
透析患者になって初めて気づいたこと
入院することで過去を思い返して確実に言えることは、他の管理栄養士には味わえない、患者さんの苦しみが身を持って実感できたということです。患者の立場に立てたこと、その思いを知ったことに優越感を感じました。毎日自分との闘いでしたが、半面得られることが多く、仕事をしていく上でもとても勉強になりました。
好き好んで病気になる人はいませんが、この病気になったことは、自分に与えられた宿命のような気がしてなりません。管理栄養士だからわかること、でも患者だからできないことがあることを知りました。「すべてのことに意味がある!」この言葉を信じて、管理栄養士として、そして患者として歩こうと誓ったものです。
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