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管理栄養士である私が、透析患者になった

【第2話】透析導入、そして10年目のできごと

2020.11.30

文:もみじ

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透析導入前後の笑いと感謝

尿蛋白を指摘され治療を続けて5年目、全身が悲鳴をあげて入院して数日後、主治医からシャントの手術について説明がありました。だいたいの内容は知っていたので、自分の中では確認する程度でした。主治医は、患者から人気のある背の高いイケメン先生で、一方執刀医は志村けん似の〝けんちゃん先生″! このことでどれだけ笑ったことか(先生、ごめんなさい!)。
これから手術を迎える患者なのに、不安より、新しい世界に飛び込むことでわくわくした気持ちが上回っていました(きっと、私くらいでしょう)。自分が患者であり、かつ管理栄養士であるから、自分を客観的に見ることができたからかもしれません。
この病気で苦しんでいる人たちに、どのような食事の指導をしたら理解していただけるか、また医学の知識など、自分を実験台にしてでも得たい情報は山程ありましたし、「これからの仕事に役立つことは何か」、これしか考えていませんでした。

手術は部分麻酔だったので、けんちゃん先生が術中ゴルフの話をしていたのには思わず笑ってしまいました。手術後の夜は痛みで一睡もできず、痛み止めの座薬が体に合わなくて嘔吐の繰り返し。隣のおばちゃんが顔をふいてくれたり、肩に湿布を貼ってくれたり、とても優しくしてくれました。そのおばちゃんは、自分が退院した後も美味しいパンを買って病院にきてくれたことは、今でも忘れられません。このような親切な心に何度救われたことか…。


透析を導入、第二の人生がスタート

初めての透析は、2000年6月28日。ある意味、私の第二の人生のスタートです!
針は鉛筆の芯より太く、正直びびりましたが、透析を体験できることは大変興味深いもので、かつ自分は生かされたんだ、と実感したものです。全国で約20万人(2000年当時の維持透析患者数、今現在は約34万人)の仲間入り。血圧低下も頭痛もなく、1回目の透析は無事終了。退院後は、仕事を早退して病院へ通う日々。2年目からは、フルタイムの仕事が終わったあと透析をするために、夜間透析(18時~22時)ができるクリニック(職場から帰る途中の駅、駅近、各ベッドにテレビ付き、食事あり)に転院しました。

退院後の私のために、家族がリクライニング付きのベッドを用意してくれていました。しかも、キッチンのすぐそばで、みんなの顔が見える空間に…。感謝の一言しかありませんでした。
それから10年間、順調に来ていたはずでした。ところが、透析を導入して10年目の夏、想定外の“二次性副甲状腺機能亢進症”になってしまったのです。

全身の関節痛、筋力低下に加えて痒みが酷く、保冷剤を手に握りながら痒みに耐えていました。痒さに耐えるには、痒い場所以外を冷やすなどの刺激を与えることで、脳をごまかすことができると聞いたからです。本には、リンが高いとなりやすいとありましたが、私のリンの検査値は4~5mg/dLと高くありません。自分には無関係と思っていただけに「なぜ?」という思いでいっぱいでした。

副甲状

自分で入力していた10年分の血液検査データを主治医に持参し見てもらいましたが、その医師は半分笑みを浮かべ「体質ですよ」の一言。
数回エタノール注射(エタノール注入療法(PEIT))を試みたものの痛みに耐えられず、摘出手術を受けることになりました。リンの管理はしっかりやってきたつもりなので、「管理が悪い!」と思われることだけは不本意でした。術後は関節痛や筋力低下も戻り、副甲状腺ホルモン(PTH)の数値も正常に戻りました。

一口メモ:二次性副甲状腺機能亢進症の治療

リンを溜め込まず、副甲状腺ホルモン(PTH)の生成を抑えるために、食事療法、十分な透析、薬物療法などを行います。PTHの数値が高い状態が続くなどの限界が来たら、副甲状腺細胞を死滅させる経皮的エタノール注入療法(PEIT)や原因の副甲状腺を取り除く治療、摘出手術を行います。

一口メモ:リンの管理

私のリンの管理の方法は、リンが多く含まれている魚、肉等は食べすぎに気をつけながら必要量をしっかり食べること。特に、ハムやソーセージ、練り製品などの加工食品をなるべく避ける、リン吸着剤をうまく活用するなどです。リンの管理はまた詳しくお話ししますね。


10年目に重なった大きな手術も自分の糧に

翌年の夏、喉の傷がようやく癒えて見えなくなってきた頃、また大きな手術を受けることになりました。右腎細胞がんでした。 なにげなく受けたCT検査の結果で、早期発見できたことは本当に幸運だったと思います。統計上、2人に1人が癌になることは理解していたので、ちっとも驚きませんでした。透析患者が癌になりやすいことも知っていましたから。 「どうせ腎臓は機能していないし、手術するなら、両方の腎臓を摘出してください」と懇願しましたが、リスクがあるからとのことで叶いませんでした。「膀胱が使えるなら、誰かにあげてください」この願いも叶いませんでした。膀胱は尿がたまらないため萎縮していたのです。 「腎細胞がんは何年経っても転移しやすいから、ずっとCT検査をすること」と言われ、その後は定期的に経過を見ています。入院を含めて約2か月間仕事を休みましたが、透析は休めません。流石に術後の透析は辛かったですね。

一口メモ:透析患者さんと腎がん

透析患者さんは、一般の方に比べて「腎がん」を発症しやすいことが報告されていますが、腎がんは早期であれば根治が期待できるがんです。腎がんについて、詳しくは「透析患者さんと腎がん〜透析患者が知っておきたい腎がんのこと〜」をご覧ください。

透析10年目で、予期せぬ大きな二つの手術を受けることになった訳ですが、いずれも私にとっては、よい経験となりました。「すべてのことに意味がある!」からです。

この大きな手術でも、失うものより得られるものが多かったと思います。そして術後もいろいろな事がありました。
術後、重湯200ccや100%ジュース、牛乳…といった普通の術後食が出されて、「これ、水分・カリウム多すぎ!」と騒いでしまったことにはじまり、絶食になり餓死するのではないかと、先生に「飴1個許可して!」と懇願したり、点滴の水分が気になって看護師に相談したり、貧血が進行し透析回路に使用する静注鉄剤のフェジンを…と思ったら飲み薬が処方されたり…。とにかくいろいろなスタッフと会話ができ、よい勉強になりました。 人生、何があるかわかりませんが、医療スタッフには遠慮なく納得するまで聞きましょう。

次回は、「低塩、低カリ、低リン、低水…でも気持ちはハイで行こう!」というお話です。

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もみじ

もみじ
福島県出身。1982年、女子栄養大学卒業。管理栄養士。結婚し子育てしながらでも働ける公務員を目指し、東京都台東区に就職、保健所管理栄養士として着任。子どもから高齢者まであらゆる世代を対象とする地域保健の第一線において栄養相談や講習会などを通して、人々の食生活改善に尽力を注ぐも2000年に透析導入。週3回4時間の夜間透析をしながら37年間常勤として勤務。2019年退職。

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