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腎臓病の早期発見のヒント 〜皆さんの体験から2
【アンケート結果】
2023.6.30
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生活習慣の影響を大きく受け、成人の8人に1人がかかっていると考えられている慢性腎臓病(CKD:Chronic Kidney Disease、以下 CKD)の厄介な点は、なんと言っても自覚病状があまり無いまま病気が進行してしまうことでしょう。CKDはだいぶ進行してから初めて自覚できる症状が現れます。そのため、腎臓は肝臓と共に「沈黙の臓器」と言われています。CKDを放置すれば、やがて腎臓の機能が著しく低下し、末期腎不全へと進行し、最終的には透析療法ということになります。「何かがおかしい」と思った時点で、既に透析導入間近というケースも少なくないようです。
早期発見し、水面下での病気の進行を食い止めるにはどうすればいいのでしょうか。主には健康診断などの定期検査で、自覚病状が出る前段階で腎臓の機能の低下を見つけることです。そして病気の可能性を指摘されたら再検査・精密検査などを受け、腎臓の機能の低下が確実になったら専門医の治療や指導を受けて…と、「腎臓病 早期発見」などと検索すると、「定期的な検査を」などと、教科書のような回答ばかりがヒットします。
今回は、当事者の皆さんの生の"こえ"をお届けするために、腎臓病が分かったときの状況や気持ちに関するアンケートを実施しました。
結果の詳細はwith Kidneyプロジェクトの「with Kidney調査 第2回 当事者アンケート②腎臓病が分かったときの状況やあなたの気持ち 調査結果」で御覧ください。
腎臓病が分かったのは、
学校・会社などでの健康診断がトップ
機能が低下しても自覚症状に乏しい腎臓は肝臓と並んで「沈黙の臓器」と言われているものの、慢性腎臓病(CKD)の多くは、がんなどとは違い検尿や血液検査などの一般的な健診で見つけることができます。アンケート回答者113人中50人と半数近くが健康診断で腎臓病が見つかっています。
腎臓病が分かった時点での病気の進行具合に関しては、3割以上の方が透析の可能性を仄めかされることはなく、生活習慣の改善と薬物療法から治療を始めて経過を見る、という診断結果でした。
腎臓病が分かったときの心境に関しては、7割近くの方がショックを受けた、または呆然とした、と回答しました。反面、2割以上の方が持病や原疾患の理解、体調不良の原因が判明したこと、覚悟があったなどの理由から、比較的冷静に受け止めたそうです。
小児や若年で病気が分かった方に関しては、状況がわからず特に感慨もなかった、との回答も見られました。
with Kidney調査 第2回 当事者アンケート②腎臓病が分かったときの状況やあなたの気持ち 調査結果
腎臓病が分かったときの詳細、細かい感情の変化など
選択回答形式では伝えきれない当時の状況や心境を、113名中半数以上の66名の方に自由記述で回答いただきました。
もくじ
幼少期・若年で病気が分かった方
- 腎臓病とわかった時は幼い小学生で、病気についてあまり理解できていなかった。学校に通えない、体育に参加できない、思い切り遊べないなど、他の子よりも制限が多くて最初は辛かった。ただ、家族が協力的で支えてくれたので治療や入院生活は苦しくなかった。
- 子供の頃に分かったのでその頃から若い頃までは余り気にしていませんでしたが、40代あたりからクレアチニン数値が上昇してきて、先行きが不安になってます。
- 運動禁止、これは卓球をやってた自分にはショックでした。中学校・高校と先輩や先生達から誘われていたのに全てダメ。
遠足や体育祭もダメ。
食事制限は無かったですがやっぱり辛かったです。 - 若いと認識ができないです。
放置してしまい後悔した
- いつかは透析になるのだと絶望した。
10年ほど健康診断をうけなかったことをとても後悔した。 - まさかここまでの状態になっているとは。もう少し正確な生活習慣予防(塩分・蛋白質制限など)を早めに教えて欲しかった。
- 健康診断結果を放置していたので、自覚症状は無いがやっぱりか、と思いました。
- 子供の頃から腎臓が悪かったので気にはかけていたが、仕事が忙しくて受診や検査を怠っていた。2年ほど前より尿の泡立ちが気になりその年の秋、会社の検診でクレアチニンを追加で検査依頼。
想像以上に検査値が上がっていたため専門医を受診。腎生検・栄養指導入院のため総合病院へ紹介された。
超音波検査にて腎結石があり、腎生検不可。現在eGFR13で降圧剤&高尿酸血症の薬服用+減塩にて療法中。
60歳位で透析かな、と思っていたのが早まる可能性に対するショックは多少あるものの、元々透析覚悟でいたので、今はどこまで持たせられるかという感じと、もっと若い頃にちゃんと精密検査受けておけば良かったかな、という気持ちです。 - 前回の健康診断でも少し怪しい結果が出ていたのに再検査をしなかったことを後悔しました。あの時の医者が腎臓病の可能性についてきちんと説明してくれていたら、自分をもっと大事にしていたら。後の祭りとなりました。
医療者との対話の記憶
- 仕事のストレスがたくさんかかっていた時期に腎臓病が見つかり、生活を改めようと担当医と話した。私は水分摂取量も少なめでトイレの回数も少ないから、まずはそこから改善しよう、となりました。運動は続けており「それは良いこだから続けるように!」とアドバイスもらい、安定の数値を保ち、腎臓内科は約10年で卒業しました。それまでは定期血液検査でクレアチニンの変動を把握していたが、腎臓内科を卒業した後は年一の健康診断だけなので不安を感じていたところ、昨年不安が的中してしまいました。仕事が忙しく担当医との約束が今守れてないので、日々アドバイスを思い出しております。
- 先天性の疾患もあり、医療系の資格もたくさん取っていたので自分の体の状態が普通ではないことは自覚がありましたが、当時重度のうつ病を患っていたため透析をして生きるということよりもこのまま殺してくれという気持ちが強く 治療拒否を選択していましたが、当時、担当していただいた医師にこんこんと説得され、「この説教から逃れるためなら透析を受けてやるか」という気持ちになり今に至ります。
透析導入が視野に入り不安になった
- これからずっと透析を受ける立場になり、ショックだった。
- 診察その日に入院点滴。痛みも熱もないので他人事のように感じていましたが、血液検査の結果をネットで検索して自分が大変なことになってると知りショックでした。入院中に腎臓病の病状や治療方針、いずれ透析になることまで説明を受け、少しずつですが受け止めることができました。
- 約5年の保存期があり覚悟はしていたが、やはり透析導入した際はショックであり、今後の生活にものすごく不安を感じた。
- 20代からクレアチニンが1.0を超えていたものの、40年変化が無かったので「これは体質」と気にかけて無かった。しかし60歳超えた辺りから急激に数値が上がり、今では6.0近くをウロウロ 体調も良くない。透析が必要といわれ、愕然とした。
- 過去に数年間ストーマを経験してその苦労を思い出し(現在は修復、完治)、これから一生涯透析と付き合っていくのかと考えたら暗い気持ちにならざるを得なかった。
- 将来、人工透析になる事への絶望を感じた。
- 最初は全く自覚症状が無かったため全く意に介しておらず、透析導入は絶対拒否の姿勢だった。足の浮腫などが顕著になり始め呼吸困難、心不全を併発し出しても尚、透析導入には最後まで抗っていた。約2年間の戦いでしたが、無駄でした…
透析導入を意識した・選択した
- しかたがないとは思うが、できれば透析になるのを少しでも遅らせたいと思った。
- 体調が悪く、とても辛かったので少しでも体が楽になりたくて、透析を選択しました。
- 透析を導入するまで5年あったので覚悟だけはできた。
生活に関する不安が先立った
- 夫も障害者で要介護、これからどうなるのだろうと不安で眠れなかった。食事も怖くて食べられなく痩せてしまった。
- 大黒柱の私が透析になって家族をどうしていったらよいのか、目の前が真っ暗になりました。
- 自分のこれからのこと、家族、特に子どもたちのこと、ありとあらゆることへの不安でいっぱいでした。見通しを持つためには病気を詳しく知ることかと思ったが、知ることも怖いし、知らないまま悪化するのも怖い。専門用語などもよく分からず、なにから手を付けたら良いのかも。自分のステージと病気では、予後はどうなのかも気になりますが、良いことも悪いことも情報があちこちにあり、自分に当てはまることは何かが分からなくて混乱していました。とにかくショックと不安とでおかしくなりそうでした。
- 入院中の子供たちの世話などが心配でした。朝起きれるか。。とか
- 今後、どのように仕事や生活を続けて行けばいいのか、とても不安だった。
- 10年後に透析する確率が90%と言われて非常にショックで、帰りの車の中で泣き崩れてしまった。子どもをどうしようとか、かなり嫌なことしか浮かばなかった。
- 子供が小さく、自分の治療ができないため、この先一体どうなってしまうのかという不安でいっぱいだった。
将来への不安を感じた
- 運動がこれからはできなくなるのかな? でも、どんな運動だったらできるのかわからず、何となく悶々としていた。
- ANCA関連血管炎(全身の血管に炎症に伴い、さざまざま病状を引き起こす病気)からの糸球体腎炎です。
健康診断で急にクレアチニンの値が悪くなりましたが、体調も悪くはなく、家族歴に腎臓病がなく戸惑いながら専門医を受診。なんだか普通の腎臓病とは違うような気がしており、もしかしたら大きな病院にいくかもしれないと感じていたら、案の定大病院へ回されてすぐに入院、腎生検、ステロイドパルスからの長期入院。とにかく、まさか自分が自己免疫疾患だとは思いもよりませんでした。
病名が判明し、治療方針を示されたときは、ああ、これでなんのかなるとホッとしたものです。
しかし、本当の闘いは、急性期が終わった退院後であることを、その時の私はわかっていなかったのでありました。 - 将来自分はどうなってしまうのだろう? と不安があった。
- 人生の選択肢が狭まるような閉塞感に打ちのめされた。
不運だと思った、絶望感を感じた
- 私は、30年前に結核菌が運悪く肺に入りました。しかし、結核菌と分かるまで1ヶ月を要しました。その結果菌は下に降り膀胱、腎臓と菌に侵され左側腎臓を機能しなくなり。右側一本のみなりました。数年後知らず知らずに尿素値が高くなり病院で診察すると右側の腎機能低下により慢性腎臓病と診断されました。その時、病院の医師から「通常は結核菌中々体内入らないよ。これは、貴方の生まれつきのクラインフェルター症候群(男性の性染色体にX染色体が一つ以上多いことで生じる疾患の総称)による虚弱体質が影響してるね」と告げられ、なんでオレばかりクラインフェルター症候群に腎臓病、下肢静脈瘤一つでも重いのに何でオレばかり次々と不運ばかりくるのか〜。でも、亡くなった母が俺に何が有ってもこの先死んだら駄目だよ。死んで花実は咲かないからねと言われ。何時もそれを思い出し生きています。
- 理不尽さを感じた。ビンボーくじを引いた気がした。なぜ自分が? と恨めしく思った。
- 人生の絶望感を感じて社会から見放された
とにかく衝撃だった
- 絶望的でした。
- スポーツ(ラグビー)をやっていて、ウェイトトレーニングを並行して行なっていた。食べ物も高蛋白なものを大量に食べていた。その全てが腎臓に負荷をかけていたことがわかり、全てやめなければならないと知った時はかなりショックだった。病院の帰りに近所のトンカツ屋で、これが最後と決めて泣きながらロースカツ定食を食べた
- 雷が自分に落ちた、なにも考えられない将来が真っ暗で家族皆に迷惑をかけて申し訳ないと感じた。
- 腎不全の発見は、健康診断でした。
20年前になります。幼い頃より腎臓が弱いため入院もしましたが、その頃の治療には限界があり、退院後何も言われず20年以上過ごしました。
その後、健康診断で初期の腎機能低下を指摘され食事療養もしました。
近所のクリニックでは手に負えなくなり紹介状を持参して現在に至ります。長い時間が経過していましたが
何年も諦めず「クレアチニン」に注目していました。公園のアスファルトの数字を見てもクレアチニンに見えては落ち込む日々が続きました。
そんな中、facebookで腎不全の方達の集まりがあることを知り、参加させて頂きました。何でも相談させて頂いたり、同じ苦しみに耐えるお姿の同士に同調したり…。
私だけじゃないんだ。。
みんな苦しいんだ。。
アドバイスもさることながら、
こんな私でも、頂いたありがたいコメントや皆さんへご恩返しができる日が、来ることを前向きに考えております。同じ病気の皆さんともいつかお会いしたいです。もっと、もっと、たくさん、たくさん、お話したいです。
それまで、私のからだと心を鍛えておきたいと思っております。 - ショックだった。
- 私はいわゆる長患いの末の透析導入ではなくて、具合が悪くなって病院に行って検査を受けたところ、即入院、緊急導入というパターンだったので、怖がる以前にびっくりしました。
しかし後になって考えてみれば、もともとあった目の病気である先天緑内障の治療薬の中に腎臓に悪い薬が含まれており、その薬物の長期使用の末、知らない間に腎臓の機能は落ちて行ったのかもしれません。
腎臓病は自覚症状に乏しく、血液検査などでも腎機能が結構落ちないとクレアチニン値などが上がってこないということは、この時はじめて知りました。
なお腎臓に悪い薬を使うことから小児科、内科での定期的な血液検査や尿検査などは受けてはいましたが、年齢が若いのと、目以外に特に大病もなかったため、ぎりぎりまで体調も悪くならず、検査結果も異常値を示さなかったのかもしれません。
子どもを作ること、妊娠に関して
- 妊婦検診で早期発見だったので数年は経過観察でした。妊娠中は自覚病状もないが、30年前の医療では「妊娠継続が難しい、悪化すれば母体を優先します。また二人目の妊娠も避けるべき」と言われて心配と次の子が持てないことがショックだった。今は妊娠可能と言われているので、当時2人目を作れなかったことがずっと後悔しています。出産後数年してからの初回の生検では「予後良好」と言われたが、それから数年後、別の病院の腎生検では「予後不良で将来透析になるのは確実」と言われた。慢性腎炎ではあるものの、透析にはならないと思っていたので、透析というワードを聞いた時はかなりショックでした。
- 子供を作らないでいようと10代で思った。
- 10代で分かったときはもう子供は作るまいと思ったし、eGFR55のときはもう何もかも終わりで死ぬんだと思った。くらいの衝撃を受けた。
病気に対する知識がなく実感が伴わなかった
- 腎臓病とは言われたが体感的には異常がなかったので生活習慣などは変えなかった
- よくわからなかった。
- 知識が乏しかったので、それほど深刻には考えてなかった。
- 「慢性腎不全」という言葉すら知らず、ショックとすら思わなかった。
比較的冷静だった
- 10年ほど母の介護で腎臓病から透析への進展具合を体験していたため、比較的冷静だった。
- 幼少のころより蛋白尿で腎臓が弱いことは知っていたが、糖尿病と重なって重症化した。覚悟はしていたのと、あれよあれよとシャント作成となり、大きなショックはなかった。
- 腎癌で左腎切除したため、将来的に腎臓病になると分かっていた。
- 腎生検で透析導入超高リスク群と言われ頭が真っ白になりましたが、数日経ったら今までの体調不良の原因が分かりホッとしたと同時に病とうまく付き合っていこうと思い、今に至ります。
- 若い時に多少の検査異常を言われていた為、冷静に受け止める事ができました。ただ、40代で腎生検を担当した医師から「予後は良い疾患なので、悪くはなりません」と言われたにも関わらず、50代で透析まで進んだ事は納得出来ていません。
- 父が多発性嚢胞腎(ADPKD)だった。でもそれが遺伝性だと知らずびっくりした。冷静に考えると父兄弟も父方の祖母も腎臓がらみで納得だった
比較的前向きだった
- 腎代替療法について主治医から丁寧な説明もあり、仕事との両立もできることで、不安はなかった。生きられる間は精一杯生きようと思う。
- 透析すれば今より苦しくなくなるときいてホッとした。
- Iga腎症という難病で治療法が無いという現実に一旦は打ちひしがれましたが Webで同病の方のブログを目にし 扁摘パルスに向けて勇気が持てました
- かなりショックでしたが、腹膜透析も選択できる事をしり、「このまま働ける!」との希望に変わった事を今でもハッキリ覚えています。腹膜透析は13年続け、今はHDに移行しました。
他の病気を乗り越えて
- 腎がんから10数年経ち、やっとと思ったときに腎機能の悪化が判明し、またかという思いが大きかった。
- 白血病で辛い治療を乗り超えたのに、今度は腎臓か…と落胆しましたが、主治医から、命が助かるために腎臓が犠牲になった、と伝えられそれからは、腎臓をいたわるよう生活をつづけました。14年間かなり真面目に食事制限を頑張ったつもりですが、透析が必要となり、
とうとうこの日が来たなと焦りはなく、逆に「わたしの腎臓さん、14年間も頑張ってくれてありがとう」と、
おかしな話ですがそう思いました。
その他
- 痛み止めの薬による間質性腎炎から発症した
- 保存期というものを知らなかったので即透析になると思い、生活の仕方が想像出来ず混乱しました。
- あきらめの気持ち。
- かかりつけ医でできる検査を全て受けていたが、腎臓病の一言もでてこなかったので、困惑した。のちに いい加減な医師に怒り。
- 慢性腎臓病について、詳しく教えてもらいたかった。
- 腎臓病は、今日明日、生きる死ぬの問題では無いので、落ち着いた時に説明してほしかった。
- 夫に申し訳なく思った。
じんラボの寄せられた体験談の中から、病気が分かった瞬間のエピソードを集めました。
アンケート結果の詳細はwith Kidneyプロジェクトの「with Kidney調査 第2回 当事者アンケート②腎臓病が分かったときの状況やあなたの気持ち 調査結果」で御覧ください。
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