透析から移植、そしてオストメイトになった私の体験談腎臓病・透析に関わるすべての人の幸せのための じんラボ
【第1話】異変の始まりは頭痛
2022.8.29
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皆さん初めまして。この度じんラボで体験談を寄稿させていただくこととなりました、K.Fと申します。
小学生の頃に腎不全と診断された後、腹膜透析や母親から生体腎移植を経て、2021年3月に移植腎の機能低下により血液透析を導入しました。今まで自分の体験を話すことに積極的になれなかったのですが、透析とテレワークでの仕事にも慣れ、体力的にも精神的にも余裕が出てきたので、少しづつ話してみようと思います。
幼い体に現れた腎臓の機能低下という異変
私の体に異変が現れたのは、まだ小学校2、3年生の頃です。始まりは頭痛でした。
学校で授業を受けたり友達と遊んでいたりしていると、何の前触れもなく突然頭痛に襲われ、酷いときには嘔吐してしまうこともありました。
ただ、少し休憩すると何事もなかったかのように治ってしまい、普通に遊ぶこともできました。当時のかかりつけ医に診てもらっても「心配ない」で済んでいたので、私も両親も「そのうち治るだろう」とさほど気にしていませんでした。
しかし、この症状は4年生になっても治る気配がなかったので、脳神経外科を受診し脳波検査を受けました。検査の結果、幸いにも脳に異常はなかったのですが、念の為に血液検査をして、再度受診することになりました。
そしてこの血液検査の結果で、初めて腎臓の機能に異常があることが判明。すぐに大きい病院での診察が必要となり、隣の市の市立病院を受診することになりました。
食事療法を続けた成果
市立病院での診断結果は、腎臓の機能低下・心臓肥大・高血圧(上が200)で、私の腎臓は透析導入を検討されるほど悪化していたのです。
主治医によると、高血圧でいつ血管が破裂してもおかしくない状態だったそうです。さらに腎委縮が起きており、レントゲン画像には片方の腎臓が写っていなかったらしく、これを聞かされた母は一時的に気を失ってしまったそうです。
当然即入院となりましたが、透析導入は回避され、まずは食事療法で様子を見ることになりました。入院中は、初めて食べる腎臓病食に戸惑いましたが、慣れてくると隣のベッドの子の真似をして、ご飯に減塩醬油をかけるなどして工夫していました。
入院生活は最悪の状態で始まりましたが、食事療法を続けたおかげで通院による経過観察の目途が立ち、約2カ月で退院となりました。
退院後の学校生活に関しては、給食は食べられないので弁当を持参し、激しい運動はできないため体育は見学になりました。
体育は元々苦手だったので見学でも良かったのですが、給食が食べられないのは辛かったので主治医に相談したところ、給食の分を家の食事で調節するという条件でOKが出ました。
家での食事は、家族に私の薄味の食事に協力してもらい大変でしたが、お陰で残りの小学校生活を大きなトラブルもなく過ごすことができ、無事に卒業できました。
特に、5年生での林間学校や6年生での修学旅行の両方に参加できたことは、この後の学生生活を送る上で大きな自信に繋がりました。
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