透析から移植、そしてオストメイトになった私の体験談腎臓病・透析に関わるすべての人の幸せのための じんラボ
【第4話】出口の見えないトンネル〜膀胱直腸瘻の治療【前編】
2023.1.16
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社会復帰を決断した後に現れた症状
腎臓移植から約1年経過した2000年1月。幸いにも体調が良好だったため、社会復帰に向けて準備をすることにしました。
まずは、以前から目標にしていた二級建築士の資格取得のために受験予備校に通い始めました。通学のペースは週2日と体力的にも無理ないためしばらくは順調でしたが、通い始めてから2カ月ほど経った頃から、便秘や発熱による体調不良、そして腰から尻の痛みが続き、どの症状も改善されないまま今度は陰嚢が腫れるという異常な症状が現れたのです。
この状況に耐えかねた私は、ゴールデンウィーク中の5月4日に病院に連絡を入れ、受診の結果入院することになりました。陰嚢を切開して膿を排出したことで一時的に発熱などの症状は治りましたが、これは約1年5カ月にわたって入退院を繰り返す日々の始まりに過ぎませんでした。
6月上旬には尿の混濁と、肛門から尿が漏れるという信じ難い現象が起き、即入院となりました。膀胱鏡検査やCT検査の結果、膀胱と直腸に穴が開いていて、それらがトンネルのようにつながる「膀胱直腸瘻(直腸膀胱瘻とも呼ばれる)」の可能性があるとのことでした。
私は、耳慣れない言葉の連続を現実として受け入れられませんでした。しかし、毎日のように続く発熱や、肛門から尿が漏れるという不快極まりない症状を一刻も早く治したいという思いと、直前に迫った二級建築士の一次試験のことで頭がいっぱいでした。
人工肛門の造設手術後にも待ち受けていた苦難
資格試験は病院から一時退院の許可を貰い受験しました。結果は合否ギリギリのラインでしたが、ひとまず試験が終わったので本格的に膀胱直腸瘻の治療に入りました。
私の直腸は組織が脆いため一時的に人工肛門を造設して直腸を全く使わない状態にし、直腸と膀胱の穴が塞がることを期待する、と主治医から説明されました。さらにその説明を受けた時点で、人工肛門を造設するかどうかの決断を迫られたのです。
正直、腎臓移植をして腹膜透析の煩わしさから解放されてまだ日が浅いのに、今度は人工肛門の造設か…という拒絶感に襲われました。しかし、期間は未定ながら人工肛門の造設は一時的であること、さらに長期にわたる今まで経験したことのない症状に心身ともに疲れ果てていた私は、不本意でしたが人工肛門の造設に賭けてみることにしたのです。
そして2000年7月18日、腹膜透析導入時にカテーテルが挿入されていた場所と同じ位置に人工肛門を造設しました。
人工肛門を造設したことで肛門から尿が漏れることは無くなりましたが、手術から2カ月も経たないうちに、1日置きに熱が出る状態になり、手術からおよそ3カ月後に再入院。どうやら何も処置をしていない膀胱の穴が原因で膿瘍ができているようでした。
結果この入院は約1年におよび、できた膿瘍を穿刺によって排出する、そこが完治する前に別の場所に膿瘍ができる…を繰り返す日々で、出口の見えないトンネルを彷徨っているような状態でした。
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