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【第1話】小児期で透析導入になって
2013.4.1
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昭和49年8月末、小学6年生(11歳)ある夏の日の出来事。親から「たるんでる!」と気合い入れの山登りで倒れたことが始まりです。その一年ほど前から、リレー選手だった私がしんどくて走れない。眼の中に黒い雨が降り出し、いきなり真っ暗になって眼が見えなくなる。食事を観るだけで、何も出ないのに吐いて吐いてしまう。昏々と寝てしまい、無気力。今思い返せば、典型的な尿毒症の末期症状で一刻早く・・・の状態じゃない? 皆さんも後になって「あの時・・」と同じ思いを感じられているのではないでしょうか? 不安定な家庭環境もあり、心配を掛けたくなくて、子供でも解る緊迫した体調不良も言い出せず。登山で倒れてそのまま病院へ。その段階では、極度の貧血との診断が数時間後、今夜が峠にと変わった。一旦、運ばれ数時間だけ居た国立病院の小児科では「新しいお友達が来た」と、入れ替わり立ち替わり、病棟の子供達が挨拶代わりに折り紙や本を、恥ずかしそうに持って来てくれた事、今でも凄く覚えています。
「BUN238」脳裏に焼き付いた数値、体重は20kg少しの子供「とても助けてやれない」と断られながらも透析施設へ搬送。フレンドリーな先生と言うか(笑)途中「さっちゃん 後数時間遅かったら ここ行きやったんやで。」と指差された霊安室。手術室で腹部にカテーテルを埋め込まれながら「明日 帰る」「暫く無理やで 何で明日?」「ハイジが山へ帰るから」TVアニメの続き見たさ、泣き崩れる親族を尻目に 全く脳天気な子供でした。遠い昔なのに長い一日の事 事細かに今でも鮮明に記憶しているのは、本人も衝撃的だったのでしょうね。
現在の腹膜透析の原型である《腹膜灌流》を、24時間・数日施して漸く危機を脱した頃。恐れていた腹膜炎で急変し、急遽、外シャントを造設し血液透析となる。移植の話も有りましたが、まだ数例の時代と遺伝性であることや、異種血液型はまだ施行されていない時代で断念。透析機器などの歴史については、また別に機会がありました時に。これが私の導入に至る簡略な経緯です。
原因疾患は、後々調べて学会でも発表されたらしく、今思えば産まれたときから発症していた《アルポート症候群》遺伝性です。早くに解って知識もあれば、保存期のような管理の下、もう少し導入は伸ばせた・・かも知れません。それだけに今言われています《慢性腎臓病(CKD)対策》の重要さを、身に染みており強く一般の方々へ伝えたい、そう思い可能な限り回避を願っています。
忘れられない会話の一つ。「若い人は何も悩むことが無いから、問題無いじゃない!」と50代のおばさまの言葉。まだ医療者も、透析自体が手探りの時代。学業おろか将来の道を閉ざされ、希望の光すら見出せない・・・就職や結婚に子育てを終えた貴女に言われたくないわよ! と心の中で叫んでいましたね。私は、透析導入せざるを「何歳だから不憫、何歳だからもう良いだろう」それは無いと考えます。年齢に応じて思い悩むことは有るし、挫折感や虚無感を味わうのも同じだと思っています。その心模様は、透析医療が目覚ましい発展を遂げた現代でも、スパンは短くとも変わらないと感じています。
当時の命を繋いで下さるスタッフは、小児だからと決して甘くは無く厳しかったです。
即、明日の命に関わりますから当然ですよね。重い言葉は無く、渡された一冊の本から学び、自分には二十歳が来ないことを静かに知った。怖いとか嫌だとか そんな感情は無く、ただ「そうなんだ・・・」と言う思いと、医療制度が確立して間がなかった頃で「親にお金の迷惑を掛けない病気で良かった」そんな事を思っていました。けれど、それ以来声を上げて笑うことも無く、同じ年頃の子達と会うのが嫌で登校拒否児に、外へ出ると下を向いて、道の端っこを歩くようになり、今思うと思わず抱きしめてやりたい自分です(苦笑)
自分が辿り、小児期で透析導入になって感じたこと。
発展と共に改善されつつですが、身体の成長阻害が有ることに伴う、社会的疎外感。
思春期に置いては更に、成人とは異なる精神状態と、病院など大人社会で生活・成長に伴う人との調和欠如や 視野など偏った思考など、環境がそうさせてしまう現状。越える坂の多さに辛くて悲しいことも、普通なら味わわなくて良いことまで多いかもしれません。その反面、闘病で培われた真の強さがあるように、将来に対する希望や夢に立ち向かう底力を持っていると、同じ境遇の仲間を拝見していてそう思えます。身体が小さい事で、透析効率は良く長所かも知れないけれど、マニュアル通りでない・予測通りにならない。逆にこれは、身体が出来上がっていない短所でもあります。
学校検尿など時代と共に、若年の透析導入は確かに減少して喜ばしいことです。 しかし、全く皆無ではありません。10代20代30代40代と、透析と共に歩んできた中から少しでも軽く、目の前の坂をクリアするお手伝いが出来たら・・・とそう願い、出来ること出来る範囲で、私なりに小さな活動を続けたいと思います。私的感情では、特に透析導入に至ってしまった子供達への思いが強く募っています。
さて、笑わない子供がその後、どんな道を辿り、関西のオバチャンに成長して行ったのか? 次回を楽しみにしてくださると嬉しいです
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