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夫婦間生体腎移植 〜繋がる想い〜

【第5話】ついに夫婦間生体腎移植へ・後編

2016.2.15

文:横山真三

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オペ室前の私オペ室前の私

ついに手術の日

手術日の朝、目覚めたのは3時過ぎだったと思います。それからは眠ることもできず、窓から夜景を眺めながらひたすら朝が来るのを待ちました。

ようやく空が明るくなり始め、朝の検温が始まりこれまで通りに看護師さんの訪問を終えると、私は妻の部屋へ向かいました。部屋に入ると妻も既に起床しておりいつも通りに迎えてくれましたが、あと数時間後に始まる移植手術を思うと言葉にはできない思いがこみ上げ、言葉を発すると自分自身がどうにかなってしまいそうでした。

「大丈夫? 今ならまだ間に合うよ」それが精一杯の言葉でした。
妻は笑いながら「全然大丈夫よ! 」そう言ってくれました。

そしてついに8時30分、妻が先にオペ室へ向かいます。その時に驚いたのは、妻が点滴のスタンドを手に普通に歩いてオペ室へ向かったことです。その後を私がついて行き、中央手術部の前まで送って「じゃあ、行ってくるね」と笑顔で入る妻に「頑張ってね。ありがとう」と絞り出し、涙で見送り部屋へ戻りました。
これほどまでに「ありがとう」の言葉の重さ、心の奥底から絞り出す「ありがとう」の重さを感じたことはありませんでした。

オペ室前の妻オペ室前の妻

部屋に戻ってからは妻の手術のことしか考えられず、茫然としたまま1時間が過ぎ、ついに私も手術室へ向かう時間となりました。

9時30分、私も妻の後を追いかけ、点滴も何も繋がれていないフリーな状態で歩いて手術室へ向かう自分自身に再び驚きを感じながら歩を進めました。看護師さんから「いよいよですね。奥様も頑張っていますからしっかり頑張りましょうね! 」と声を掛けていただき中央手術部の扉をくぐりました。

中央手術部の扉をくぐるとそこには受付があり、看護師さんが受付を済ませると私のオペ室の番号が告げられました。その番号の部屋へ着くと、私の手術を担当してくださる先生やスタッフの皆さんが迎えてくれました。

沢山の機器が並び、中央に置かれた小さなベッドへゆっくり上がり横になると、先生やスタッフの皆さんがそれぞれ自己紹介をされいよいよ準備が始まります。

徐々にスタッフの皆さんの動きが忙しくなる中、先生から色々な質問をされました。

「今日はどんな手術を受けられるか分かりますね?」
「ドナーはどなたですか?」
「横山さんのどの位置に移植するかわかりますか? 」等々…。

1つ1つに心を込めて答え、最後に「何か質問はないですか? 」と聞かれた時は「妻は…」と聞くのが精一杯でしたが「大丈夫。奥さんは順調ですよ」と答えていただき、全ての準備が整ったようでした。

麻酔科の先生が点滴の操作を行いながら「ゆっくり呼吸していてくださいねー。麻酔は…」これ以降の記憶はありません。


世界が変わった

術後、手術室内でうっすらと目覚め、部屋へ帰るベッドの上で完全に目覚めました。痛みや苦しさは無く、麻酔の影響かただただ身体が軽く感じてフワフワとした感覚がありました。しかし、あまりにも身体が楽なために「きっと手術はできなかったんだ…」と思ったりもしました。

しかし部屋に着くと沢山の機械や点滴が繋がれ、看護師さんから「良かったですね。順調におしっこも出ていますよ」と声を掛けられて初めて手術を実感しました。術後すぐだったので、少し赤く染まったおしっこがポタポタと絶え間なく落ちていく様子を見せてもらった時、つい数時間前まで妻の身体の中にあった腎臓が今、自分の身体の中で必死に働いてくれていることを感じ、そのおしっこすら愛おしく感じました。数年ぶりに見る自分のおしっこ。この感動と感謝は一生消えることはないと思います。

術後すぐに尿が出ました術後すぐに尿が出ました

数時間後にはかなり気持ちも落ち着き、移植外科部長の渡井先生が病室へいらした時にはこれまでの感謝を必死に伝え、ちゃっかり記念撮影までお願いする余裕もありました。

移植外科部長の渡井先生と一緒に移植外科部長の渡井先生と一緒に

その後はおかげさまで痛い辛いと感じることもなく、順調に経過していきましたが、順調であればあるほど妻の様子が気になりだしました。私は術後しばらく強い免疫抑制と術後管理のために妻の所に行きたくても行けません。私には全く付き添いが必要なかったので、姉に妻に付いてもらっていましたので、時々様子を見に来てくれた時に妻の様子を聞くしかありませんでした。

私とは逆に妻は術後が大変苦しいようでした。妻は元々かなりの低血圧な上、術後の色々な投薬で血圧が下がり、ベッドから起き上がることも苦しくなって食事もほとんど摂っていないようでした。ドナーは普通術後2日目くらいにはレシピエントの所へ来られるくらいになると聞いていましたので、ひたすらその時を待ちました。しかし術後2日目、3日目…と、一向に妻が来る気配はなく、付き添いの姉も宮崎へ帰ってしまったので妻の様子は分からず、この時が手術後の私の一番の苦しみでした。
この時の救いが病室を清掃に来てくれるおばちゃんでした。おばちゃんは検査入院時から色々と話し相手になってくれていて、術後に妻が来ていないことを察したのか、掃除の度に妻の様子を報告してくれて、本当にありがたかったです。

そして術後4日目が過ぎて「今日も来られないのか…」そう思っていた夕方、病室のドアがゆっくり開き、そこには点滴のスタンドに寄りかかるように立っている妻がいました。

ニッコリと笑ってはいましたが、術前より確実に一回り小さくなった姿を見た時、この4日間の様子を察することは容易でした。
この頃にはすっかり元気になっていた私を見た妻は「顔色も変わったね。爪の色もピンクやね。ご飯は美味しい? 水はちゃんと飲めてる?」と、その時は明らかに私のほうが元気なのに、私のことばかりに気遣う妻に涙、涙でした。
口には出しませんでしたが、やはりこの時の妻はかなり無理をしていたようで、訪問時間はほんの数分で終わりました。しかし、自分の足で歩いて来てくれた妻の姿は、この後私の大きな励みになったのは間違いありません。

次回は最終回。「術後2日目からの管理から現在の生活まで」です。

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横山真三

横山真三
26歳で透析導入となり途中腹膜透析(CAPD)も経験しました。CAPDもノントラブルで経過しましたが、腹膜を守るために8年で終了し再びHDへ。縁あって透析室の看護師さんと結婚して17年間、妻からは常に腎臓提供を申し出てくれていましたが、妻の体にメスを入れることなど考えられず、気持ちだけもらっていました。
そんなある日「この方たちなら妻を任せることができる! 」という心から信頼できる先生方との出会いに恵まれ「夫婦間生体腎移植」へ踏切ました。現在移植後4年を順調に経過しています。

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