透析から移植へ 〜戦いは終わらない〜腎臓病・透析に関わるすべての人の幸せのための じんラボ
【第5話】腎臓移植に向かって ~大腸がんとの闘い②~
2021.5.24
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妻が生体腎移植のドナーになることが決まったものの、私の移植前検査で上行結腸にがんが見つかった。しかし腎臓移植に向けて気持ちは前を向いていた。
単孔式腹腔鏡下手術に向けて
腎臓移植を行う病院ではがん手術の空きがなかったため、どこで手術をしようかと考えていた時に、懇意にしていた消化器科の先生に確認した。
「ステージ1で表皮ではあるが、33mmまで浸潤しているためリンパ節郭清※も必要かも」と伝えると、先生は「それなら北海道大学の外科出身の院長がいる病院が良いだろう」とアドバイスをくれた。
※リンパ節郭清…がん細胞はリンパ節を通って全身に広がるため、転移している可能性があるがん周辺のリンパ節を取り除いて、再発を防ぐのが目的で行われる。
その病院は最近建替えたばかりで最新の機器を備えているため、道内から見学が相次いていた。評判は上々だそうだ。
しかし、いくら評判が高かろうが透析患者である私には一筋縄ではいかないのである。まず透析ができるかを確認しなければならない。紹介された病院に電話をかけて尋ねると、「透析設備は無いですが、病室での透析は可能なので手術は受けられますよ」との回答。「透析設備はない? どういうことだろう」と疑問に思った。
病院自体は維持透析を行っていないものの、手術などの時には透析設備を病室に持ち込み行うようである。今では在宅透析などもあり理解できるが、当時は意味がわからず当惑した。実際には外科病棟ではなく循環器の病棟に入院したので、病院としてもイレギュラーだったのかもしれない。
手術当日
病室で血管を確保して、足にはエコノミークラス症候群予防の白い靴下をはき点滴棒を持ちながら歩いて手術室に向かった。「手術室には歩いていくものなのか?」と思ったことを鮮明に覚えている。
手術室では自分で手術台に上がった。手術台は狭く硬いが悪くなかった。
昨日、手術は3~4時間ほどかかると説明を受けたため、「まあ寝ている間にすぐ終わるかな」などと考えていた。「麻酔をしますよ」と声をかけられたあとは記憶がない。
実際に手術にかかった時間は6時間を優に超えていたと聞く。この手術は移植ではないので妻は仕事に向かい、義父と義理の叔母が付き添ってくれた。後で聞いたことだが、予定より時間がかかったため病室のベッドで寝たり、交互に病院の隣にあるホテルに行って食事をしたりしていたらしい。手術は一人で受けるとはいえ周りの方々には負担をかける。義父と叔母には感謝しかない。
目が覚めたのは手術室を出て運ばれていくときであったと思う。意識が朦朧としていたので確かな記憶ではない。術後は自分の病室には戻らず、激しい痛みに耐えながら回復室で寝ていた。そんな中、妻や娘、付き添いの義父や叔母などの顔が次々と見えた。皆、心配して様子を見に来てくれたのである。
カリウム値の上昇
夜中に看護師が慌てだした。痛みは鎮痛薬を入れてもらったため和らいでいた。
「どうしたのですか?」と不安げに尋ねると「カリウム値が上がってきていて」と看護師が答えた。
「カリウムはまずい」と、とっさに思った。
透析をしている人はリンとカリウムの値には気を使っていると思う。私もしかり。母親は腎不全でカリウム値が上がり心停止して亡くなった。だからこの時は正直慌てた記憶がある。
主治医は当然おらず、当直医に「少し様子を見ましょう」と告げられた。こんな事で大丈夫なのかと思った私は「ここで透析は回せないのですか?」と尋ねたが、「ここでは無理ですね」と当直医は答えた。
そんな状況で眠れる訳がなかった。頻繁に採血が行われた後、「カリウム下がってきました」との看護師の声がどれだけ心地よかったことか。安心して眠りについた。今にして思えば、カリウムが上がったことで取り乱していたのかもしれない。それほど高カリウム血症には気を付けなければと考えていた。
翌日から病室に戻った。痛みはなくすぐにでも退院できるような状況だと考えていたが、それは甘かった。痛みがないのは薬のおかげで、腸は30cm以上切り、小腸の出口と横行結腸をつないでいる。つなぐといっても縫ってあるのではなく留めてあるのだ。
単孔式腹腔鏡下手術は、腹部に穴(約7cm)を一カ所しか開けず、そこにカメラ以外に3本の器具を入れて術式を行う。しかも執刀医は6時間以上、水も飲まず、トイレにも行けず、立ちっぱなしで手術をしている。後で学生時代に何か部活をやっていたのか聞いたらサッカー部だった。医師も体力勝負である。
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