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透析仲間の友人を増やそう
― その2:透析社会は社会の縮図
《QOP向上のための私の楽校(学校)》

2013.9.25

文:とっぺい

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「群衆の中の孤独」という言葉がある。都会を歩く時、人であふれかえった風景の中にいると、急に強い孤独感や疎外感を味わうことがある。人の気配の感じられない自然の風景の中での寂寥感とは違うものである。そこには、老若男女の様々な姿が認められる。喜怒哀楽の表情やら会話の断片が私のそばを通過していく。多くの人間の存在を感じながら、私が世界の中で一人ぼっちのような気持ちに襲われる。あまりにも多い人の中で感じる気持ちは、あらゆる面で彼らとの接点が感じられないことに由来するのであろうか。「あかの他人」の群れの中を1人歩いていく。当たり前のことであるが、彼らの生き方や考え方や感じ方と触れ合うこともない。

群衆の中の孤独

透析クリニックでも、似たような雰囲気を感じることがある。透析日は、クリニックという同じ空間で他の患者と過ごす時間が、その日家族と過ごす時間よりも長いことの方が普通なのであろう。しかし、長年同じ施設で透析を受けていながら、一言も言葉を交わした事のない患者もいるのである。挨拶すらしない患者も多い。挨拶しても無視されることもある。当然、彼らは患者会などに入ってはいない。不思議に思うのは、患者とはコミュニケーションをしようとしないのに、クリニックのスタッフとは会話をしている患者がいることである。そうした患者が少なくない施設の中も、また、彼らの存在が「施設の中の孤独」を感じさせる事があるのである。

病院で透析導入後、自分で決めた透析施設に通い始めたばかりの患者が、透析治療への不安を抱えながら、その施設の中で孤独感を感じることがあるのなら不幸といってよいのだろう。孤立と不安を抱えたまま、その先ずっと透析を続けることがあるのなら、QOPの向上どころではない。独覚や声聞のような孤高の存在であると思いこんで生きることもまた然りであろう。


この文章を書きながら、施設内の「赤の他人」の「あか」の語源が仏様に差し上げる水を意味する閼伽(あか)であるという説があることを思い出していた。子供の頃に少年雑誌に書いてあった記事が記憶に残っていたのである。他人との関係性の希薄を水に例えたとするのである。血液のイメージには「血の通った」という意味合いがあるが、この場合の水のイメージは冷たさなのだろうか。(「水清ければ魚棲まず」のケースもあるのだろうか)。「赤の他人」である患者も使っている透析液は、私たち患者にとっては、水は水でも命の水であるのだが。


透析を受けるようになってから、多くの患者さんと知り合いになった。当然のことながら、一人ひとりがそれぞれの人生を歩んでいるわけであるが、透析社会であるからこその出会いも存在する。

透析を受けるための服装は人様々である。世代によっても変化がみられる。一般的には、パジャマ姿であるが、やや若い人は、ルームウェアやスポーツウェアといったスタイルが目立つ。Tシャツにハーフパンツといった姿である。ロッカー室で着替えた後のそんな姿を見ることが多いから、皆同じ透析患者という範疇でしか見ない傾向になりがちである。ところが、この透析社会を構成する患者の中には、普通に生活していたら出会うことのないような患者さんが存在するのである。大企業の社長、技術者、映画監督、アーティスト、教員、日本経済を支えてきた中小企業の経営者、ラーメン屋や焼鳥屋などの飲食店の料理人やママやマスター、マイスターと呼んでいい職人等々の様々な職種の現役ないしはリタイアした人々。とても変わった生き方や考え方をする人々。人生の辛酸を味わった人々。他にも例はあげられるが、要は、透析社会は社会の縮図といってもよいのである。彼らとの出会いと交流は、透析ライフにおけるQOPの向上にも影響を与える。また、患者会や患者団体にとっても、隠れた人材の宝庫なのである。透析のためのスタイルといった外見からの第一印象では分からない、それぞれの患者の人生に触れるためには、まず、コミュニケーションを始めることである。人生の先輩としての普通に生きてきたと言いながらも話すお年寄りの言葉の中にも、自分の生き方にとって有用な情報が込められているはずである。自分の知らない専門職の人の話も、透析ライフを豊かにしてくれるだろう。知的好奇心を持っている人は、どんどん質問すると良い。

コミュニケーション

透析患者になった故に、健常者の時とは違う出会いが可能となる。「病気は人を選ばない」から、透析社会に多様な人々が集うのである。まずは、挨拶から始めてみよう。孤立したり、嘆いていても透析ライフが充実することはないのである。人間関係の構築も、大切な自分の人生の財産となるのであるから、素晴らしい出会いが出来た人は幸いである。自分にとって未知の世界の知識を仲間から得ることの出来た人は幸いである。共に喜び、共に悲しむことが出来る透析患者の友人を得た人は幸いである。希望を伴った透析ライフは、彼らと共にあるのである。

私たちは、生きるためにダイアライザーと回路でつながっている。同じ透析室の患者同士が、見えない心の回路でつながっている世界を夢見る。その回路が他の透析室の患者ともつながって、日本中に回路を通じた透析患者の心のネットワークが構築される。希望のネットワークが構築される。そんな夢のようなことを考えている。そんな関係性が、患者一人ひとりのQOPの向上をもたらす可能性を考えている。

コミュニケーションは、必ず相手がいる行為である。最初の一言から始めてみよう。透析社会の仲間との会話から学ぶこと、彼らの生き方から学ぶこと、そう、透析社会は「私の楽校(学校)」でもあるのである。

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とっぺい

とっぺい
私、とっぺいは、高校生の時に学校の尿検査で慢性腎臓病が判明してから長い保存期を経て、1999年の末頃に透析導入と相成りました。従って透析
歴は今年で13年目ということになります。
現在は、週3回の5時間透析を行っています。社会の縮図である透析患者の世界の中で生きていきながら、色々な視点から透析のことを考えています。患者運動に関わりながら、透析文化の可能性を考えています。再生医療の進歩により、いずれは透析が必要とされない世の中が意外と早く来るかもしれません。その日に出会えるかはわかりませんが、仲間と一緒に透析を理解しながら、しっかりとした治療を受けて一日でも長生きすることで歴史的転換点をこの目で見たいと希望しています。その間には、透析技術も進歩していくでしょう。
透析をするために生きているのではなく、人間らしく生きるために透析を受けているということを意識しながら、元気で長生きしましょう。

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