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【第5話】子育て、自分育て
2019.11.18
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移植者として出産を終え、出産直後は正常値に戻り安心していたクレアチニン値が再び上昇していく中で、子育てが始まりました。
不安を感じる暇もないほど忙しい子育て
元々子供好きだった私ですが、我が子は想像以上にかわいいものでした。
息子の存在のおかげで「移植腎が駄目になるかもしれない」という不安を感じる暇もない程、子育ては忙しく充実していました。ただし月1回の通院時には、良くならない検査結果を見ては不安な気持ちになったりもしていました。
点滴治療で数日入院した時のことです。気がつくと、夜中にベッドの横に立ち、子供を抱くように枕を抱き揺らしていたことがありました。まだ1歳前の息子を実家に預けての入院だったので、そんな風に寝ぼけてしまったのだと思います。「ああ、私も母親なんだなぁ」と、息子と離れる寂しさをかみしめていました。
新しい免疫抑制剤とその副作用に悩まされる
息子が2歳になる少し前、治療効果が良いという新しい免疫抑制剤に変えてみることになりました。その時、副作用が胃腸に出る場合があるという説明を受けていました。
その直後に予定していた年末年始のグアム旅行に出かけたところ、出発前の空港で突然激しい胃痛が起こりました。「このまま旅行には行けないのでは?」と思う程の今までにない胃痛でした。
私は「免疫抑制剤の副作用である可能性」に思いが至らず、胃薬を買って飲みました。しばらくすると痛みは和らぎましたが、今度はひどい下痢に襲われました。そこでやっと「これが副作用なんだ」と気づき、何とか飛行機に乗り込みグアムへと出発しました。
グアムに着いて胃痛はおさまりましたが、下痢だけは続いていました。下痢を除けば体調は悪くなかったので旅行は楽しめましたが、頻繁にトイレに行くのが大変でした。
帰宅後すぐに病院に行くと「副作用は治まる場合もあるから、新しい免疫抑制剤はもう少し続けてみようか」と主治医に言われ、何より拒絶反応を抑える効果があるなら、と続けてみることにしました。しかし、少しも副作用はおさまる気配がなく、そんな状態のまま2ヶ月以上が経ちました。さすがに体重は減り貧血にもなり、「このままこの薬を続けることは出来ない」と判断され、元の免疫抑制剤に戻りました。
この経験から、「やっぱり慢性拒絶反応は食い止めることが出来ないのかな」と感じていました。
子育て、自分育て
そんな中でも、息子は元気に成長してくれたため日々忙しくも何事もなく過ごしていました。元気が良過ぎて、本音では相当手を焼きました。
透析に縛られることがない毎日では、一緒に公園に行ったり、家族で旅行に行ったり、いろんな所へ行くことができました。息子自身は覚えていないことばかりですが、私達夫婦にとっては幸せな想い出です。
子供というのは3歳までに親孝行が済んでいるもの、と聞きました。それくらいかわいく、幸せにしてくれるという意味らしいです。本当にその通りだと思いました。
実際は3歳を過ぎても、もちろんいくつになってもその時その時の愛しさがあります。そして、その時その時の心配事もあります。日々親として悩み反省し、そしてたくさん幸せをもらい、子供を育てながらも実は子供に親として育てられてきたんだなと思います。私が少しでも人として成長してこれたとしたら、息子のおかげですね。もちろん夫のおかげでもあります。
進む貧血、腎機能の悪化
息子が 幼稚園年長さんの5歳の頃、さらに腎機能は悪くなり頻繁に熱が出るようになりました。病院の先生が一目見て「貧血の顔色をしているね」と口にするほどに貧血が進みました。普通なら立って居られないくらいの値だったそうです。確かに少し動いた程度でもいつも動悸がしていました。ただ、貧血は徐々に進んでいたため身体が慣れていたのか、運動会に参加したり、毎日の家事も普通に出来ていました。
貧血の治療にエポジン(エリスロポエチン製剤)を打ち、輸血もしました。一方クレアチニンは上がり続け、主治医から「もうそろそろ透析の再導入を考えないといけない」と話がありました。まだまだ手のかかる5歳の息子。病院からの帰り路の車中で、透析して元気で頑張らないといけないなぁと思いながら、しみじみこれからの生活を考えていました。今でもはっきりと覚えています。ラジオから偶然に流れてきた「見上げてごらん夜の星を」を聞いて、ほんの少し涙がこぼれました。
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