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【第2話】母からの生体腎移植
2019.5.13
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透析クリニックで技士助手として働いた後そのまま夜間に週3回の透析を受ける日々を過ごし、2年が経ちました。この間は、徐々に減っていたものの尿が出ていたので水分制限は少しの我慢で済みました。透析中に血圧が下がることも数回程ありましたが、透析の辛さを感じることはあまりありませんでした。
血液型不適合の母親がドナーに
そろそろ移植をしようかという話になり、当初は血液型が同じA型の父親がドナーにということで、再び父親の詳しい適合性検査が行われました。その結果、健康体だと思っていた父は糖尿病の境界型だと診断され、ドナーになれないことが分かりました。そして、血液型不適合である母親がドナーとなったのでした。
私の中には、健康な身体にメスを入れて健康な臓器を貰うということにやはり申し訳なさや、罪悪感みたいな思いがありましたが、最終的に母親がドナーになったことで少し気持ちが和らぎました。自分をこの世に産んでくれた母親ならば…という気持ちだったのだと思います。
透析をしていると、移植に関する情報として耳に入ってくるのは、大体移植腎がダメになり再導入になった話が多いです。順調に経過している人は透析室には戻らないわけですから。
だからなのか、透析している人達の中には移植をポジティブに捉えていない人がいました。「今は透析で何とか安定しているから波風を立てたくない」とか、「移植腎がダメになり再導入するのが耐えられない」などの思いがあるようです。私にも不安はありましたが、大学病院の先生から手術件数や生着率等の説明を受け、期待の方が大きかったです。
脾臓全摘出後に移植、移植腎は順調に経過
いよいよ移植日が決まり、1週間くらい前から入院となりました。移植に向けてさまざまな検査を受けました。私はA型で母親はB型の血液型不適合だったので、事前に血漿交換を行い、そして手術の際には脾臓全摘出も行われると説明がありました。
脾臓は免疫に関係した臓器で、成人していれば無くても問題ないらしいです。最近は血液型不適合でも、脾臓摘出は行われないと聞きました。
移植手術は6〜7時間かかったようです。ドナーである母親は一晩ICUに、私は一般病棟の個室に戻りました。術後は尿もしっかりと出ていたので安心しました。
左脇腹には脾臓摘出の傷口、右下腹部には移植腎の傷口があり、朦朧としながらも痛み止めを何度かお願いしていました。2日後くらいに母親が点滴棒を押しながら私の部屋まで顔を見せに来てくれました。当時のドナーの傷口は私の傷口よりもはるかに大きく、痛みをこらえて歩く姿に、ただただ感謝の気持ちしかありませんでした。
私が移植した当時は、術後1週間はベッドの上にいなければならず、移植腎がある右側の足は動かしたり曲げてはいけなかったので、それもキツかったです。
背中の痛みや床擦れ、そして動かせない右足は浮腫で2倍くらいに太くなっていました。そんな1週間が過ぎ、歩けるようになると今度はトイレが大変でした。膀胱も小さくなっていた上に、浮腫んだ足のために利尿剤を使ったので、ひどいときは10分おきにトイレに行きたくなり、一晩中眠れませんでした。
その後急性膵炎になったりしましたが、移植腎の方は順調に経過して、とにかく気分が良く、頭の中がスッキリ晴れた様な感覚がありました。健康ってこういう感じだったんだと、改めて噛み締めていました。
入院生活を経て職場復帰
経過が順調で週2回の通院ができる近場の人は、3週間程で退院していました。私は通院に時間がかかるので、系列の病院に転院して、そこから大学病院に通いました。入院期間は合わせて2ヶ月半になりました。
水分をたくさん取ること、薬を忘れずに飲むこと、感染症に気を付けること等、移植者の心構えをきっちりと頭に叩き込みながら、同時期に移植した仲間達との交流もあり、楽しい入院生活でした。
退院後は徐々に通院も薬も減り、通院は月1回になりました。そしてシャントの閉鎖手術を受け、退院5ヶ月後に以前働いていた透析クリニックに職場復帰したのでした。
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