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第9回長時間透析研究会・透析患者からのメッセージ
『透析と共に生きて』森本幸子
(兵庫県 元町HDクリニック)
『透析と共に生きる幸せ』畠山岳士
(滋賀県 第二富田クリニック)
2014.6.16
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2013年11月10日に開催されました第9回長時間透析研究会の中で、『透析患者からのメッセージ』と題し、森本幸子さんと畠山岳士さんの講演が行われました。お二人の透析治療に対する思いが語られた講演内容について報告します。
『透析と共に生きて』森本幸子さん
(兵庫県 元町HDクリニック)
初期の小児透析の方法について
「当時私は小学6年生でした。昭和49年、医療制度が整備された頃に腹膜灌流からの導入となりました。しかし1週間後には大きな腹膜炎を起こし、すぐに血液透析に移行しました。この頃は体重が25kg前後で小児透析の症例も少なく、小児用のダイアライザも無い時代でした」
この頃の透析装置はキール型と呼ばれるもので、透析毎にセロハン膜を代えるものだったそうです。キール型は積層型とも呼ばれ、2層構造になっており1台の装置を2人で使うというものです。体重が同じくらいの人同士で上下1つずつ使うのですが、同じような体重の増えでないと除水ができなかったそうです。
「その後、ダイアライザはホローファイバー(中空糸)が主流となりました。当時はダイアライザの両サイドのキャップが自由に開けられるようになっていました。そこにスポンゼルというものをドーナツ型にカットして真ん中に穴を開け、滅菌したものを両サイドにセットし、その穴の中に血流を流すようにして大きなダイアライザを小児用として使用していました」
合併症の経験について
次に自らが経験した合併症について説明されました。
「普通の人は血液が人工物に触れるということは無いと思いますが、私たち透析患者はダイアライザや回路を通して血液が人工物に触れています。長年の蓄積とエンドトキシンなどの影響で、私たちの体は数値には出ないような万年炎症状態にあります」
透析の年数が長くなると原因はよく分からないがアレルギー反応が敏感に出る、と森本さんは話されました。アミロイド沈着も経験されて、舌にアミロイドが付着しているそうです。そのため、熱い食べ物や刺激物が食べられなくなりました。舌を動かすと激痛が伴い食べ物を咀嚼することが大変困難なのだそうです。
「PS膜のダイアライザを使っていた頃、接続後わずかな生食が入ってくるときにセメダインのような異臭を感じました。それがとても気になり先生に相談し、生体適合性が良いと言われる特定積層型AN69膜のダイアライザとリクセルを組み合わせて定期的に使用するようにしました。その時のプライミング(洗浄)を6000mLでしてもらったところ、その後は全く異臭も消えてアレルギーも出なくなりました。加速的に広がっていた舌のアミロイドの進行も止まったわけではありませんが、かなり緩やかになっています。プライミングの大切さを私は身を持って知る事ができました」
自らの体でさまざまな透析条件を試し気がついたこと
長時間透析や頻回透析は通常の透析よりもコストがかかります。森本さんは施設に負担をかけるのは心苦しいと思いながらも、長時間透析や高効率の透析のことを深く考え、主治医に希望を伝えたそうです。
「私はそう遠くない日に3時間、2時間の透析も耐えられなくなるでしょう。それまで、可能な限りやれることはやっておきたい。私の体で色々な透析条件を試してください、それを今後の患者さんたちに役立てて欲しい、そうお願いしました」
それからは、6時間、週3回の透析、透析液はカーボスター、オンラインHDFとさまざまな透析条件を試してきたそうです。現在は5時間・5時間・5時間・4時間の週に4回、透析液はキンダリー、HD、血流量は200mL/minで透析を受けています。
自らの体で長時間透析を受け、気がついたメリットとデメリットについて次のように述べられました。
「メリットは、透析量を増やしたことで摂取した塩分とは無関係に喉が渇かないことです。中2日空きの後の体のダルさや不快感は全くありません。透析中の倦怠感も減少しました。貧血もやや改善しています。 デメリットは、ビタミン系の薬が増えたこと。頻回透析をしてきたことで血管の痛み具合が早いこと。ヘパリンの副作用への懸念。最後に生活のリズムをやりくりすること。これらが長時間透析のデメリットだと思います」
最後に
森本さんはある時期、高効率というキーワードを知りつつも自分には遅いのではないか、やってもムダではないかと思っていたそうです。ある主治医の方から「今しないでいつするの!」と叱咤激励を受けて、実践しようと思ったそうです。
透析歴40年になる昨年の夏に総合病院に正社員で就職し、勤務されています。趣味のライフル射撃や登山にも復帰できたのも透析条件を見直したからだそうです。自分の体を通じて得た透析条件の現時点での答えは、「緩やかな血流量で頻回による長時間透析がベター」とのことです。
最後に会場にいる方々に次のようなメッセージを伝えました。
「長時間透析、頻回透析、オーバーナイト、在宅血液透析など選択肢が増えたことは、私たち患者にとって素晴らしいことです。しかし、ますます高齢化が進み医療費削減が行われている中、私たちはいつまで同じ条件で透析が受けられるだろうという不安は感じます。私たち透析患者は莫大な費用を使って透析治療を受けています。高効率の透析を受けることで体が元気になり就労することもできるのですから、私たち患者も結果を示す必要があるように思います。
それから、まだまだ標準の透析で十分という方針をお持ちの医療者の方々も大勢いらっしゃいます。患者さんが望まなければ変わらない、とよく言われるのですが、医療者の方々も是非、足並みを揃えていただきたいと強く望んでいます。
今回の大会のサブタイトル「長時間透析の光と影」のみならず私は、「透析治療の光と影」をまさに主治医の方々、スタッフの方々と共に生きてきました。これからもベストを求め歩んでいきます」
『透析と共に生きる幸せ』畠山岳士さん
(滋賀県 第二富田クリニック)
透析導入から現在まで
「僕は普段は透析室長として働いている臨床工学技士です。透析歴は森本さんに比べたらまだまだですが、今日は自分自身の透析ライフと普段なかなか伝えられない「思い」というものをお話ししたいと思います」
畠山さんはご自身のプロフィールをスライドに映し、透析導入に至る経緯を説明されました。
「小学校入学時の尿検査で腎炎を指摘され、高校2年生の時に透析導入しました。その5年後に移植も経験しています。移植は5年保って、その後、再導入。2002年からは在宅血液透析(HHD)を始めています。透析歴は25年、HHD歴は11年になります」
畠山さんが透析を導入した1988年は、ようやくエリスロポエチン製剤が認可された年で、まだまだ輸血される患者さんや、貧血でフラフラになる患者さんがたくさんいたそうです。
「透析を導入した高校2年生の頃の自分の気持ちですが、明るい未来というものが想像できませんでした。『10年後には手根管症候群になって、まともな仕事に就けるか分からないよ』と散々脅されていたからです。その頃、本当は教師になるのが夢でしたが、透析導入を期に臨床工学技士という仕事を知って、自分の体と向き合うことにしました。
当時の心配をよそに、今では素晴らしい家族に囲まれ、仕事もバリバリこなしています。透析は素晴らしい治療だと心から思っています」
透析導入から現在まで
続いて、自らの透析条件およびどのような透析方法を実践しているのかを、スライドを用いて説明されました。
この条件が本当にベストかはまだ分からないとしながらも、この条件で透析を受けて合併症もなく、とても元気だと畠山さんは説明しました。
「このような条件の透析を夜間の睡眠時間を利用して行っています。このおかげで日中の時間が自由に使え、仕事に制限を受けることもなく、家族との時間も十分に取れます。体の毒素もしっかりと抜けるので健康な人と変わらない生活を送ることができます。
睡眠時間を利用しての長時間透析のメリットは、体感時間が非常に短いということです。穿刺して30分くらいで眠ってしまうので、実際に9時間の透析をしていても体感的には30分くらいしか感じられないのです。治療に費やす時間的ストレスがほぼありません」
在宅血液透析を始める前、畠山さんは週3回、1回4時間の施設透析を受けていました。その頃は、中2日の後がしんどい、透析後のダルさを感じる、食事制限、水分制限などのストレスを常に感じていました。「時間を短くしたい」「回数を減らしたい」と多くの患者さんが考えていることを、当時の畠山さんも同じように感じていたそうです。
「生きるために仕方なしに透析を受けるんだと思っていました。しかし長時間透析をしてみると、血液データが改善されるし、食生活は一変します。しっかりと食べないといけない。水分管理からも解放され、何よりも体調が激変しました。『健康な人ってこんな世界で生きているのか』というのが私の第一印象でした。自分の体がどんどん健康に近づいているというのが実感できるんですね」
どれだけ元気かというと
在宅での長時間透析の実践による自分の体の健康を実感し、現在は仕事では週1回の当直、夜中0時出勤の深夜勤務、早朝6時出勤など、常にイレギュラーな勤務もこなしているそうです。休日はスキーやゴルフ、釣りなど、色々なスポーツをされているとのこと。
続いて御神輿の写真がスライドに投影されました。
「子供の頃って運動制限があったので、太鼓を担いで練り歩く友人たちの姿を遠目に見ているだけだったんです。この祭りは正直めちゃくちゃきついんですが、今ならできる、やろうという気力も湧いてきます。まさに青春を取り戻している真っ最中です」
家族と共に在宅血液透析に挑む
次の写真が投影されました。膝の上に1歳くらいの男の子を乗せた畠山さんがボタンホール穿刺をしています。
「この写真は10年前のものですが、このとき1歳だった長男は、今では回路組みをしてくれています。私の介助者は彼なのです。長女も時々手伝ってくれます。この時ばかりは喧嘩もせず、仲良く手伝ってくれる。次男は小学1年生で、彼はまだ回路組みは上手にできませんが、穿刺介助もしてくれるし、テープの固定、絆創膏まで貼ってくれます」
シングルベッド2つとダブルベッド1つを寝室に並べ、ベッドの脇に透析装置を置いているそうです。透析が始まると、家族揃って就寝です。
自分の人生プランを考えながら最適な透析治療を
「私は生きていく上で絶対に必要な腎臓の機能を失ってしまいましたが、その代わりにこんな素晴らしい透析治療とも出会って、こんなに素晴らしい家族とも出会って、今日、こんなにたくさんの人たちとも巡り会えました。この腎臓を失ったからこそある、今のこの人生、本当に素晴らしい人生だと思っています」
そして、自分の人生プランをしっかり持つ事が大事だと訴えました。
「腎不全治療に対する多くの選択肢を知って欲しい。病院にお任せというのはダメです。5年後、10年後に自分がどう生きたいか、そして人生の最後をどう迎えたいのか。患者さん自身が健康を望んで、透析と向き合い、自分の人生ヴィジョンをしっかり持つことが大事だと思います」
透析患者の社会復帰とは
最後に1枚のスライドが表示されました。
透析患者にとっての社会復帰と社会的役割について次のように説明しました。
「このスライドの言葉は、第9回長時間透析研究会 大会長の前田兼徳先生の言葉です。
社会復帰は単に会社に出て仕事をするということだけではなく、主婦なら主婦の、高齢者なら高齢者としての社会的役割があります。家事をしたり、孫と遊んだりすることも立派な社会的役割ですね。患者である私たち自身が健康を望み、一日一日を大切に精一杯生きるということこそ、医療の発展を支え、次の世代へのメッセージになると思います。元気でいたいと思うのであれば、今やるべき事は1つです。良い透析、いつやるの? 今でしょ!」
【じんラボ特別研究員:よしいなをき所感】
最初の講演の森本幸子さんのお話は、医療制度が導入されたばかりの小児透析黎明期のこととして語られます。まだ症例も少なく大人用のダイアライザを改良して対応した話や、キール型透析装置を患者二人、共有して使うといった話など、驚くような内容に触れられています。こうした経験の蓄積が現在の我々の透析医療に役立っていることを考えると本当に有り難いと思います。
また、森本さんはさまざまな合併症を経験されてきており、主治医や医療関係者と協力しているのは勿論ですが、森本さん自身が主体的に合併症に向き合っている姿に、私たち患者は励まされているように感じます。
続いて講演された畠山岳士さんは、患者であると同時に臨床工学技士として働くお父さんでもあります。高校時代は明るい未来を想像できなかったと話されていますが、畠山さん自身の現在の取り組みを見ていると、病気そのものに挑もうとする強い姿が見えるようでした。
また、ご家族一丸となっての在宅血液透析への取り組みは、幸福の形とも思え、微笑ましく感じます。畠山さんご自身が病気と真正面から向き合い挑んできたのは勿論ですが、それはきっと奥様や3人のお子さんの支えもあったからこそのように思います。
お二人の講演から共通して感じることは、透析治療や合併症に対し、自らが取り組んでいこうとする強い意志があることです。自らのライフプランを考え、どうすれば元気になれるか、より良い人生を送れるかを真剣に考えた先に、それぞれの「良い透析を受ける」という選択肢を見つけているのだと思います。
日本では週3回、1回4時間の人工透析が標準だと、多くの患者、また多くの医療関係者が捉えています。ですが森本さんと畠山さんお二人の話を聴いていると、そうではない、私たちも自分にあった選択肢見つけるべきだと気づかされます。
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