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【第1話】腎臓病を発症するまでとその後の治療、透析導入

2018.7.23

文:たいしょう

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スポーツ三昧の子供時代

私は現在46歳。透析前の状態で103kg前後あります。
物心つく前から体格が良く、元々骨太で筋肉質な体格でした。母子家庭にもかかわらず、幼稚園と小学校時代に水泳、剣道を習わせてもらい、割とのびのびと過ごしました。一人っ子であることも影響したのかも知れません。剣道に関しては、小学2年生の時にYMCAの全国大会小学生の部にて奈良県で初の優勝し金メダルをいただいた程です。母が非常に教育熱心で、文武両道に育てたかったようです。
中学では相撲部に入り、部長も務めました。この頃まではかなりの運動量で、毎日くたくたになるまでスポーツをしていました。


運動をやめると健康診断の数値に異常が

高校は進学コースに入ったため、社会奉仕のクラブに入りめっきり運動しなくなりました。このあたりから体格の良いことが災いし、肝臓の数値が上がるなどで食生活の改善を言われ始めました。
大学生になると運動不足解消を目指し、膝が悪かったのですがアメリカンフットボールの社会人のクラブチームに所属し、再び運動を始めると体調が良くなりました。しかし、起業のため約2年でスポーツを辞めてしまいました。


仕事は順調、しかし血糖値が高く糖尿病外来を受診

大学を卒業し、結婚するまで特に運動をすることなくそのまま過ごしました。就職後29歳で結婚すると、仕事がきつかったこともありそれまで130kgあった体重が110kgまで落ちました。
さまざまな現場で修業し、35歳の時に日本で5番目に大きい国立病院のメンテナンス部門の所長となり、4〜5年は問題なく勤務できていました。そんな中、年1回の健康診断の血液検査で血糖値に「要精密検査」が出始めました。不思議と中性脂肪やコレステロール値などは平均内でした。
会社の社長命令で主要現場の所長5人は人間ドックに入り精密検査を受けることになりました。やはり私は血糖値が高く、当時250mg/dLという値でした。率は体重によりますが、少なくとも200 mg/dL以下に下げる必要があるとのことで、勤務先の病院で糖尿病外来を受診しました。


「糖尿病性網膜症」と「蜂窩織炎」を発症

その後約1年は何事もなく過ごしましたが、糖尿病からくる「糖尿病性網膜症」になり、同病院でレーザー治療を受けました。さらに約1年後、虫刺されや毛穴からの菌による感染で起こる「蜂窩織炎(ほうかしきえん)」を右足のふくらはぎに発症しました。すでに高血糖で身体の免疫力が下がっていたのかも知れません。
その後クレアチニンの値が1.0mg/dLを超え始めたため、糖尿病外来から腎臓内科へ紹介を受けました。4〜5ヵ月ほどでクレアチニンが5.0〜6.0 mg/dLまで上がり、医師から「腎移植や透析も視野に入れるように」と言われました。


そして透析導入

1〜2ヵ月はクレメジンを服用し様子を見ました。服薬中の診察で「血液透析まではまだ半年ぐらいは延ばせる」と医師は言ってくれましたが、しばらくすると心臓と肺に水がたまり、通勤時にただ歩いているだけで息が切れ始め10歩も行かないうちに休憩する、そんな状態が1ヵ月続きました。
主治医から「危険な状態である」と言われ、そのまま入院。まだ腎臓が20〜30%働いている段階で血液透析導入を決めました。現クリニックの看護師さん曰く「そこまでの状態を経験するのは珍しい」とのことで、よほどひどい状態であったようです。
元々心配性で、周囲の方からも「透析療法というのがあるよ」と聞いてはいましたが、どういうものかはほとんど知りませんでした。導入のきっかけは、妻からの「早い方がいいんじゃないの?」の一言でした。既に1〜2年前から網膜症や蜂窩織炎など、糖尿病に関連する治療を重ねていたので、ほとんど抵抗なく決断することができました。時には素直に周囲の人の言うことに身を任せることも必要であると、経験上感じていたからです。


仕事の引き継ぎの備えは万端でした

仕事に関しては、私の後継者がたくさん育っていましたので全く心配していませんでした。新しい現場を任される度に、その次の日から後継者を育て、自分がいなくとも最低1ヵ月は現場が滞らず進められるように心掛けてきたからです。私の仕事は、現場をいつ異動して「応援」「立ち上げ」「立て直し」や「引上げ」を余儀なくされるか分かりません。そのため、いつでも席を譲れるように準備しておくことまでが所長の仕事であると認識していたからです。


シャント閉塞も体験、そして現在

約1ヵ月半の入院を経て、服薬や自尿による排泄で心臓や肺の水がひき始め、約1週間で14キロ程度体重が落ちました。身体が落ち着き始めたところで左手首にシャントを作製しましたが、ここでもまた問題発生。術後約5分で閉塞。すぐに再手術。担当医師によると「年齢が若いため、動脈と静脈を繋いでもすぐに異物が入ったと認識し、血液が凝固し始めてしまうので、身体が受け入れるのに時間がかかる」とのことでした。
その後は問題なく、導入時は2〜3時間の透析を経て、今は自宅近くのクリニックで透析を受けています。効率的かはさておき、身体が大きく体重の増えも多いので週3回1回5時間透析を行っています。最初は血圧低下などありましたが、今のところ息苦しさも感じることもありません。たまに吐き気や頭痛などの合併症はありますが、血圧も服薬などで調整しながら、趣味を楽しみながら生活しています。

次回は「食生活の工夫について」を紹介したいと思います。

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たいしょう

たいしょう
1972年2月24日生まれの46歳。奈良県奈良市在住で、約3年前に糖尿病性腎症を発症し、透析導入。小さいころからスポーツが大好きで水泳、剣道、相撲、アメリカンフットボールなどをしていました。40歳を超えたぐらいから疲れやすい身体になり、感染病なども発症していました。透析導入後の1年間は身体がなじむまで大変でしたが、今は安定した透析ライフを楽しんでいます。
仕事は退職してしまいましたが、持ち前の明るさで家族や周囲の方々の協力のもと、趣味や日記などのライフワークを中心に前向きに頑張っています。

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