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多発性嚢胞腎体験記

【第1話】闘病開始 — くも膜下出血編

2015.7.6

文:関矢武明

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今回、ご縁があり『じんラボ』に腎臓病の中で約3%という少数派である多発性嚢胞腎について記事を寄稿できることを初めに感謝いたします。

クリッピング手術のために頭を剃りましたが、その後無事に髪が生えそろった時の筆者クリッピング手術のために頭を剃りましたが、その後無事に髪が生えそろった時の筆者

腎疾患の中の数ある原疾患の中でも多発性嚢胞腎は少数派です。まずは多発性嚢胞腎について大まかに紹介します。

多発生嚢胞腎には常染色体優位性多発性嚢胞腎(ADPKD)と常染色体劣性多発性嚢胞腎(ARPKD)の2つがあり、私は前者のADPKDなので今回は主にADPKDについて書きたいと思います。ADPKDとは、簡単に言うと両側の腎臓に多数の嚢胞が発生し大きくなり、腎臓や腎臓以外のさまざまな臓器に障害が起きる頻度の高い遺伝性嚢胞性腎疾患です。また、高血圧、脳動脈瘤などが起きる頻度も高く、その結果脳出血、くも膜下出血の頻度も高くなります。

私のADPKDの闘病の始まりは、今から16年前の1999年3月21日のくも膜下出血からでした。悪いことに私はADPKDの初号(家族、親戚の中で最初の患者)だったため、両親・兄弟・親戚に誰一人としてADPDKが存在せず、健康診断でもクレアチニン検査が無かったことから当時は健康体と評価されました。悪いことは重なるもので、夜間の救急外来でMRIを診てもらったのが脳外科医ではない専門外の当番医だったので、「異常なし」と言われ帰宅しました。しかし翌朝左目が見えにくく、左半身にも力が入らず握力75kgの左手が握力5kgまで落ちていたため緊急入院しました。

1週間精密検査をしても何の病気かが分からなかったのですが、血液検査の結果腎機能が低下していました。それで腹部のエコーを撮ったところ初めてADPKDであることが解りました。それならば、くも膜下出血の疑いがあるとのことで髄液を採取したところ血液が混ざっていたため、くも膜下出血が確定しました。

くも膜下出血の手術をするに当たり、執刀医からのインフォームドコンセントで「手術しないと1週間後に死亡する確率は99.999%で、手術しても3割は死亡、3割は寝たきり、3割は左半身麻痺、1割がリハビリしたら普通の生活」と言われました。選べる状況でないことはすぐに分かり、執刀医に「じゃあ成功する自信は何パーセント? 」と聞いたところ「90%成功する自信がある」と言われたので手術することにしました。そして急遽のクリッピング手術(くも膜下出血の代表的な治療方法で開頭し、動脈瘤の根本をクリップでつまみ血流を止める)を行い、成功してことなきを得ましたが「もう1日2日遅かったら死んでいたかも」と術後に看護師に言われ、苦笑いしたことを記憶しています。

多発性嚢胞腎よりもくも膜下出血が先という病状は、自分が初号なために発生した大変稀なケースです。ADPKDは遺伝性の病気なので、初号でない限り5割の確率で両親や親戚の中にADPKD患者が存在します。両親や親戚の中にADPKD患者がいる場合は事前にADPKD対策もできます。またADPKDにはくも膜下出血が多いことは疫学的に分かっているため、発病前にMRI検査もしくはCT検査を定期的に行えます。万が一脳動脈瘤が大きくなっていれば、開頭手術のクリッピングやコイル塞栓術で脳動脈瘤の破裂を防止します。

開頭してのクリッピング手術と聞くとおどろおどろしくて不安になると思われますが、全身麻酔での手術なので手術室に入って次に目が覚めたらベッドの上で必要以上に不安になることはありませんでした。逆に手術が成功したことにより脳動脈瘤が無くなり、くも膜下出血の不安が無くなりました。

当時ADPKDは治療薬の無い病気でしたが、現在は内服薬のトルバプタン(商品名:サムスカ)がADPKDに有効であることが分かっているので、ADPKDだと分かれば対策を講じることができます。ちなみに私はくも膜下出血から4年後の2003年にもう一つあった脳動脈瘤が大きくなり、2回目のクリッピング手術を受けて成功しています。その後は2005年まで保存期として過ごしましたが、嚢胞感染のため腎機能が一気に低下し、2005年2月4日より透析導入しました。ちょうど今年で透析10年が経過しましたが導入前と同じ会社で透析をしながら仕事しています。

現在の筆者現在の筆者

今回ADPKDについて執筆するに際して忘れていることが多々あり、今一度ADPKDについて調べ直し復習しました。病状を取り扱うホームページを調べ直して最初に感じたことは、自分が多発性嚢胞腎だと分かった16年前と比べ情報が格段に多く、探しやすくなっていたことです。16年前は文献も少なく専門用語で書かれた医学書でしか情報が得られず、必要な情報にたどり着くまで大変な作業でしたが、現在ではインターネットで楽に探せるとは、隔世の感があります。

以下に解りやすく参考になったADPKDのホームページのリンクを紹介します。

今回はここまでにして、次回はADPKDと保存期&透析についての経験をもう少し詳しく書いてみたいと思います。

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関矢武明

関矢武明
1999年3月21日の春分の日にくも膜下出血の一次破裂が分からず入院。精密検査で大騒ぎ中の腹部エコーで多発性嚢胞腎が発見されそれ以来闘病しています。多発性嚢胞腎は遺伝の場合が大多数ですが、私の周りの親族には多発性嚢胞腎患者が存在せず、くも膜下出血と多発性嚢胞腎が分かるのに時間がかかり、発見がもう1日遅かったら死んでいたと言われました。
多発性嚢胞腎の保存期は2005年の2月3日までの約6年間で、嚢胞感染のため腎機能が一気に低下し2005年2月4日より血液透析導入しました。
現在日中はサラリーマンをしていて、月水金の夜間透析をしながら闘病生活を送っています。

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