生かされている喜び 〜さまざまな方のお陰で透析を続けられ感謝〜腎臓病・透析に関わるすべての人の幸せのための じんラボ
【第2話】無知な保存期
2017.1.10
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今から20数年前の慢性腎不全の保存期だった頃を客観的に思い出すと、現実をしっかりと認識していたら透析導入を少しでも遅らせることができたのでは、と思います。
平成5年4月、K大病院の紹介で行ったN病院での検査入院から1ヶ月後、N病院で毎月の定期受診がはじまりました。一応月に1回は病院に行き毎回尿検査をして、先生から言われたのは毎回「とりあえず現状を維持していきましょう」とのお言葉でした。
その当時は本屋さんで「腎臓病」「慢性糸球体腎炎」「透析」等に関する書籍を買い求め、真剣にというのでもなく流し読みする程度のまま1年半が経過しました。
平成6年11月に待望の長女が誕生し、初めての「子供のためにも仕事を頑張らないと」という気持ちがみなぎり、腎臓病のケアよりも仕事という気持ちになっていきました。
平成7年12月には新居を購入。この時、腎臓病ということで団体信用保険に加入できず、家は購入できたものの、もしも私が職を失うと住宅ローンの返済はどうなる?という不安がよぎりました。しかしちょうどその頃から、月1回の受診が億劫になりかけていました。
平成8年夏頃、家内が妊娠。いよいよ2人目の子供ができるのかと嬉しい気持ちがわいてきていました。ところがそれから3ヶ月後の診察の際、産科医から「エコーで胎児の頭が見えない」と言われました。普通であれば、人工流産して次に授かるのを待ちましょう、というのが一般的な流れのようでしたが、せっかく授かり家内の胎内で動いている命を、奇跡でもいいから無事生まれることを期待しない親はいるでしょうか。私たち夫婦は奇跡を信じ、流産はしないという選択をしました。
その頃から私は、もしかすると自分の腎臓病は他の病院では違う診断をされるかもしれない、と何故か勝手に決め込み、自分の都合でしばらく病院通いを止めてしまいました。
いよいよ平成9年を迎えました。家内のお腹も目立ち始め、胎児は動いています。その現実に一途の望みを託しながらの毎日でした。
私の体調は、定期受診にもいかず段々と変調をきたしていました。足のむくみが取れず、膝の下あたりを指で押さえるとへこんだままでした。
1月が過ぎ2月に入ると、足のむくみはますます増していき、これではどうしようもないのでN病院ではなく、別の診療所に通い始めました。
その診療所は内科にも漢方を積極的に取り入れているところでした。
そこでも当然尿検査があり、先生に「うちではこれ以上は診られそうにないので、週に数回来るK大病院の先生に診てもらった方がいいですね」と言われ、K大病院(最初に腎生検を勧めた大病院)の先生の診察を受けることになりました。
K大病院の先生の診断は「まずはシャントの手術をして、それから透析を少しでも遅らせるようにしていきましょう。」というものでした。
予想していたとはいえショックは隠せず、またその診療所でも受診拒否をしてしまいました。
そして3月に入り、今度は手足の先がしびれて、仕事中は横にならせてもらいながら何とかしのいでいました。症状はさらに悪化し、今度は食事にも影響が出てきました。カップラーメンを食べようと麺を口に運ぶと、なんと味がしないのです。これは明らかに尿毒症の症状です。すぐにでも適切な処置=シャント作成をし、透析の準備をするべきなのですが、私はここから2ヶ月間病院にもいかず何もしないでいました。
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