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【第1話】初めての入院

2016.11.7

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昭和55年(1980年)、20歳で就職。使命感に燃え、楽しさも一杯で残業もなんのその。仕事、仕事の毎日にイキイキと充実した日々を送っていました。時間の経つのも忘れ、仕事で午前様も辛くはなく、へっちゃらでした。

それから月日が流れ、仕事一途の生活から平成4年5月、32歳の時に結婚しました。結婚後も仕事の忙しさは変わらず、帰りは午前様も当たり前。朝も6時頃には家を出ていくという、今から思えば家庭のことより仕事第一の新婚生活でした。家内に当時のことを聞いてみると「結婚したら一緒に居られる時間が楽しみだったのに、仕事、仕事で面白くなかった」とぼやかれました。

それから半年後の11月に家内が妊娠しましたが、1か月後に流産してしまいました。手術後悲しくて泣いていた家内の姿を今でも思い出します。しかし「残念でしたが、また二人で仲良く頑張っていけば、また授かりますよ」との産科の先生からの言葉に気を取り直し、日常生活に戻りました。

平成5年2月、夫婦で買い物に行った帰りに急に我慢が出来ないくらいの腹痛が起こりました。家のすぐ近くのU病院に向かうと医師から「虫垂炎です。入院ですね」と言われました。初めてのことで、あたふたしながらの入院でした。
3日間程の入院で「薬で散らしましょう」ということになり、その際の尿検査で「蛋白が出ていますね。一度大きな病院で検査を受けてください。」と言われたのです。

同年3月、U病院からの紹介で国内屈指の規模を誇るK大病院で検査を受け、N病院での腎生検を勧められました。
仕事に関しては1か月後に1万人程度の大規模なイベントが迫っていましたが、上司から「検査しなさい」と指示されたため検査入院を決めました。
N病院での1か月間の入院中はさまざまな検査を行い、尿を流さずに貯める蓄尿検査も受けました。
検査が終わり私に告げられた結果は「慢性糸球体腎炎」、あと何年かすると透析導入という宣告でした。

人工透析

この言葉が巷でささやかれているような「透析=死」という漠然とした最悪のイメージが、世間知らずの私でも現実として突き付けられた瞬間でした。

退院後は仕事もそれまでのポストから外してもらい、以前のように仕事一途な気持ちには到底なれず、「いずれ透析」という言葉が絶えず頭の中を駆け巡っていました。
それから導入までの4年間は、あっという間に過ぎていきました。

途中で診察をほったらかしにしてしまい、最悪の事態「尿毒症」が現れることになるのですが、これは次回お話しにしたいと思います。

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オガタ トオル

オガタ トオル

透析歴19年になります。
普段はサラリーマンをしながら、月、木、土の夕方から6時間の透析を受けています。
透析を始めてからボケ防止のためにピアノを始めて13年(バイエル終了)。
少し間をおいて、ボーカル始めて3年目です。
仕事以外に気分転換を、と好きな音楽を続けています。
家族は、家内と娘の3人です。
娘が2歳の時に透析を導入となりましたが、来年就職です。
昨年娘が運転免許を取得したので、30年近くのレンタカー生活に終止符を打ち、娘名義で車を購入します。家に車がきます。わくわくしています。
透析でつい億劫になってしまう旅行にも、久々に行こうかと思っています。