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私の腎臓日記

【第2話】移植は愛情でした

2018.8.6

文:小沢里央

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移植後、ステロイド剤でムーンフェイスに…顔パンパン!!移植後、ステロイド剤でムーンフェイスに…顔パンパン!!

皆さんが初めて「腎不全」「透析」「移植」という言葉を知ったのはいつ頃でしょうか?
私は1983年7月〜9月まで放送され、山本千登勢さんという女優さんが出演していたTBSドラマ「花王 愛の劇場」枠の「わが子よ」の第3シリーズでした。これも知らない人が多いかな…。


ドラマのようなことが自分の身に起きる

小学3年生だった私は、このドラマを観て「腎臓が悪いって大変なんだ…。透析って大変なんだ…。移植って大変なんだ…。」と衝撃を受けました。そして何も知らなかった当時の私は、自分には関係のないことだと思っていました。
後に、前回話したように両親からの勧めで、どこの出版で、題名が合っているかも分かりませんが「人体の仕組み〜腎臓の働き」という漫画を読んだ時は、まさかドラマのようなことが自分に起きるとは思いませんでした。

まだ小児科外来を受診していた中学1年生のある日、診察室へ入るとその当時の主治医と、知らない先生(後に腎センター外科の先生と知りました)が6人いました。そして、思いもよらなかったことを言われました。
「腎臓が悪いので、透析か移植のどちらかをしなければならない」と。
「え? なにそれ? そんなに私の腎臓悪いの?」と、まさに頭が真っ白になりました。
看護師さんに「血液検査しましょうね」と別室へ連れていかれると、検査中にもかかわらず泣いてしまいました。
母と合流した時に心配をかけたくなくて「あの看護師さん、血を採るの下手すぎ!!」と言って、涙の理由を看護師さんのせいにしてしまいました。今さらですが、あの時はすみませんでした…。


検査入院から生体腎移植へ

中学2年生に進級し、もっと詳しく検査をするため小児科病棟に入院することになりました。
その時に合わせたように、腎臓の機能が急激に低下し、体力があるうちにと1989年6月5日に生体腎移植を受けました。

検査入院した当初、少々人見知りの子供だった私は入院中の周りの子達とうまく仲良くできずにいました。そんなある日、病室で母とおしゃべりしていたら、腎センター外科の先生が6人くらい入ってきました。私は知らなかったのですが、透析をする話になっていたようで、私の身体の大きな太い血管はどこにあるかを診に来たのです。


ドナーになってくれた母

その時の私は、不安というより恐怖の顔をしていたのかもしれません。先生達が病室を出た後、私の顔を見ていた母は、なぜかすぐに先生達を追いかけていきました。
そして戻ってくるなり私に「大丈夫だから」と言いました。その時は「何が大丈夫なんだろう?」と思いました。
あとで気付いたのですが、母はあの時私の動揺を目の当たりにしたことで「自分の腎臓を提供する!」とすぐに決断してくれたのかもしれません。それで急いで先生達を追いかけたのだと思います。
そして母がドナーになってくれたのです。「ありがとう」と照れくさくて今さら言いにくいですが、言葉に出来ないほど母には感謝しています。


移植手術当日

そして、手術日が決まりました。 貧血がひどくなり、車椅子生活になり…。手術日までは心理テストなどをして過ごしていました。
いよいよ手術当日、病室の窓から見た空は、雲一つない青空でした。
朝9時から始まる予定だったので、6時起きです。手術のための準備をしたらあっという間に8時。
手術室に入ると、小児科の主治医が「お母さんもいるよ。大丈夫だからね」と言い、そのまま私は麻酔で意識がなくなりました。
手術が終わり、意識が戻ると小児科病棟の個室で、看護学生さん、担当の看護師さん、小児科の主治医もいました。「りおちゃん、頑張ったね。おしっこ出ているよ」と言われたようです。まだ朦朧としていて、意味を理解出来ないまま、また私は意識を無くしました。

次に目が覚めたのは夜でした。麻酔の影響なのか両足の感覚が無かったので、夜勤の看護師さんに両足をさすってもらいながら眠ったのを思い出します。意識がちゃんとした後は、早く回復させるために水分を口から飲むように腎センター外科の先生に促されたことも思い出します。
術後初めてトイレに行ったことも忘れません。術前は頻尿で出てもほんの少しだったので、以前の通り終わりにしようとしたら、まだまだ出るのでビックリしました。

看護学生の紀子さんと看護学生の紀子さんと


ステロイドの影響で糖尿病になる

術後しばらくしてから、小児科病棟の大部屋に移動しました。
病棟内だったら歩き周ってもよいことになり、活動範囲が広がりました。友達もできました。入院当初、友達はできないかもしれないと思っていたので嬉しかったです。
ある日の夜、ステロイド剤の影響か、お年頃だったからか幽体離脱(いわゆる離人症。この1回きりです…)を体験しました。
ただ、それから透析を始めて、ステロイド剤が終了になるまで、予想外の闘いがありました。金縛りや幻聴などの怪奇現象に悩まされたのです。さらに入院中、糖尿病になりました。活動量は増えたのですが、ステロイドの影響だったようです。

当時つけていた管理ノート当時つけていた管理ノート


退院後、成長ホルモン療法にチャレンジ

入院してから約半年後やっと退院しました。糖尿病は退院してから2ヵ月後には治りました。
退院後は徐々に中学生生活に身体を慣らして無事に卒業したものの、高校浪人を体験。その後無事に高校には入学しましたが、浪人中にステロイド剤の影響で、背の伸び悩みを抱えました。そのため、国立小児病院を紹介してもらい、成長ホルモン療法に、治験でしたがチャレンジしました。
その治療中にサルモネラ菌による食中毒を起こして再び入院。意識朦朧とした状態での入院で、腎センター外科の先生に「あと1時間経っても、クレアチニンが下がらなかったら、透析だぞ!!」と言われ「透析なんていやだー!」と思いながら、私の意識は無くなりました。
そして目が覚めて、看護師さんから「良かったね。透析にならずに済んだよ。」と言われ、ホッとしました。
退院後は、成長ホルモン療法を中止というか、なんだか病院に自宅から通うのが不便で面倒くさくて、そのままやめてしまいました。

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どんな状況になっても、楽しいことを考えよう、見つけよう

移植してから5年が経ち、高校3年生に進級した頃、検査入院しました。ちょうど夏休みだったので、夜には階段の踊り場の窓から花火大会が見えました。
その時「どんな状況になっても、どんなことでも、楽しいことを考えよう。見つけよう」と思いました。その日の決意と花火は、今でも覚えています。その頃、移植した時に知り合った病院の友達が白血病で亡くなってしまったことが重なって、余計に心に残ることになったのかもしれません。
そして無事に高校を卒業し専門学校に入学。何事もなく2年で卒業しました。卒業後は初めてアルバイトを経験。成人式には出席しませんでしたが、20歳を迎えることができました。

次回は、20歳から現在までのお話です。

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小沢里央

小沢里央
私は移植と透析の両方を体験しています。
生後7カ月の時に腎臓が悪いことが発覚。徐々に悪くなり中学2年のとき生体腎移植を受けました。その25年後には透析をしなければならなくなり、透析を始めて4年が経ちました。今は週3日5時間透析を受けています。
お花が好きなのでフラワーアレンジメント教室へ通ったり、旅行をするなどして毎日過ごしています。
これから私の日記を開いてお見せしていきたいと思います。

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