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腎臓病(慢性腎臓病:CKD)・透析と正しく向き合い、知って、共感して、支え合って、自立する。
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連載エッセイ:よしいなをきのココロのカタチ

2014.8.29

2度目の成人式を迎えてしまうと(年齢も四十を過ぎると、ということですが・・・)、些細だけれどいろんな出来事がおこります。イイコトもワルイコトも。
それは皆さんが同じように「ある!ある!」と感じることかもしれませんし、もしかすると「これって私だけ?」ということかもしれません。
そんな「よしいなをきの些細だけれどいろんな出来事」を毎週1話ずつ書くことにしました。あなたと同じ透析という時間を過ごす私の体験をはじめ、考え、気が付いたことなど、いろんなことをつらつらと書いていこうと思います。何かしらの、ひとかけらの言葉でも、同じ仲間の胸の内に残すことができたらうれしいです。

ごあいさつ

2016.1.12

長い間本コラムの連載を続けてきましたが、今回で最終回です。
これまで「じんラボ」では、さまざまな記事やレポートを書かせていただきましたが、少しずつですが自分が書きたいことは小説の世界でないかと思うようになりました。10年前に大阪芸術大学の門を叩き、その頃に抱いた情熱をふと思い出してしまい、この度ペイシェントフッドを去ることを決意いたしました。所長やカオリさん、またさまざまな方々のお世話になり、透析や腎臓病に関わる記事が書けたことは本当に幸せでした。これからはここで得たことを自分の世界で役立てていきたいと思います。

いつかどこかで、また私の作品をお目にかける時が来るかもしれません。その時は是非ご覧いただければと思います。

今まで本当にありがとうございました。

じんラボ特別研究員 よしいなをき


私の被写体

2015.12.25

じんラボの取材の時はカメラを持ち歩いています。一眼レフのかなり大きなカメラですが、綺麗に撮れるというメリット以外にもある効果があります。それは周りの人々とカメラを通じてコミュニケーションが取れるということです。

五反田ガーデンクリニックで「理学療法士ゆうぼーの じんラボ運動療法講座」のポージング写真を撮影していた時のことですが、私の一眼レフカメラを見て高齢の患者の方々が御髪を直し始めました。その仕草に気がついて、こちらも「一枚撮りましょうか? 」と声をかけます。「いいのかい」と微笑んだところでシャッターを切ります。撮影した画像をその場でお見せして、和やかな会話へと続きます。

「私も透析を受けているんですよ」と声をかけると、「そんな風には見えないね」とか「若いのに大変だ」と続き、ご自身の透析歴のことなどを話され、私は聞き役に徹します。

元気そうに話しをされるのを見ていて私も嬉しくなり、話の合間に「もう一枚撮りましょうか?」と声をかけます。相手の方は満面の笑顔を見せてくれて、それがまたベストショットとなります。

五反田ガーデンクリニックへの取材は2ヶ月に1度くらいは行きますので、リハビリを受けられている患者の方々とはすっかり顔馴染みになりました。中には目を悪くされている方もいるので、耳元で「丸山です」と声をかけると、にこやかな笑顔を返してくれます。

写真を撮っていると自分が撮影したいテーマといったものが決まってくると思いますが、私の場合は同じ透析を受ける先輩方なのかなと思っています。取材を通じて、私は大切な被写体を見つけたと思っています。

五反田ガーデンクリニックでのリハビリ療法を取材した記事があります。合わせてご覧ください。

「リハビリを通じて患者さんの気持ちに寄り添う」医療法人社団麗星会・五反田ガーデンクリニック・リハビリテーション科の取り組み


透析の効果を体で知った時

2015.12.18

私もやっと透析歴が10年になりました。その間大きなトラブルと言えば数回のシャント閉塞がありました。

2009年の年末のことでしたが、徐々にスリルが弱くなり血流が取れないという事態になりました。ピローがぺちゃんこになってしまい、十分な血流が取れずに透析の途中で流量を下げたり、穿刺の場所を変えたりもしましたが、その年の大晦日の夜にシャントは完全に閉塞してしまいました。

困ったのは年が明ける2010年1月4日まで、大学病院でのPTAの処置ができないということでした。

お正月はおとなしくしているしかないと諦めましたが、1月3日頃から異常が出始めました。もはや中2日空きどころか中3日空きの状態なのです。頭の中はぼんやりして物の名前がすぐに出てきません。文章を書いていても言葉が思い出せないのです。あれほど心細いというのか、怖い思いをしたのは初めてのことでした。

1月4日にやっと、かみさんに付き添われ大学病院に向かいました。到着して早々「これはPTAよりもまずは透析をしてみよう」ということになり、鼠蹊部(そけいぶ)からの緊急透析となりました。私はというと、意識が朦朧としていて体にも力が入らず、医療スタッフの方々に完全に身を預けるという感じでした。鼠蹊部への局部麻酔を行った後、3日ぶりの透析となりました。

始まってしばらくすると、背中に何か冷たいものが流れていく感触がありました。これは初めて透析をした時にも感じた感触で、うまく透析ができているのだなと思いました。透析後2時間が経過すると頭の中のぼんやりが抜けていき、思考が明確になっていくことを実感しました。頭の中にかかっていたモヤが晴れ渡っていく感じでした。

その後はPTAを行って無事にシャントの閉塞は解消されましたが、この時の体験から透析が足りないとさまざまな障害が体の中で起こるということを実感しました。同時に体の毒素をきちんと取る、十分な透析が必要なのだということを理解したのです。

その後、私は世の中に長時間透析というものがあることを知ることになります。そして4時間に満たない透析を受けていて本当に大丈夫だろうか、ということを真剣に考えるようになったのです。

長時間透析に関しては次の記事に詳細があります。合わせてご覧ください。
腎内科クリニック世田谷患者会講演会・坂井瑠実先生講演『透析医療40年を経て見えてきたもの』『長時間透析は有用か?』
第9回長時間透析研究会・政金生人先生講演『最高・最適な透析条件を考える』


在宅血液透析のこと

2015.12.11

先日、とあるクリニックで在宅血液透析のトレーニングの様子を見学させていただきました。透析を受ける1時間前からプライミングなどの準備をして、自己穿刺をするまでの様子を撮影させていただきました。やはり、自己穿刺のところでは手に汗握るというか、緊張します。自己穿刺されている方は、もうすでに穿刺には慣れていて平静な表情で処置を進めていました。実際に一連の作業を目の当たりにして、すっかり感心してしまいました。

ここ数年の在宅血液透析の取材を通じて知ったことは、もっと元気になりたい、もっと仕事がしたい、という患者さんの情熱でした。皆さん本当に元気です。食べ物もしっかりと食べ、はつらつとしています。全国で在宅血液透析に取り組んでいる方はおよそ400人とまだまだ少ない数ですが、実際に取り組んでいる方を見ると若い方もいますし、かなりご高齢でも頑張っている方もいます。

舞台演出家の中村龍史さんは「鉄棒で“飛行機飛び”が飛べるようになるくらいの思い切りがあれば大丈夫」と言います。「今日はどこを刺してやろう」と考える楽しみもあるということです。自己穿刺にせよプライミングにせよ、施設で透析を受けている者からすれば大きな壁があるように思うのですが、その壁を乗り越えた人には新しい別の視点があるように思います。在宅血液透析をベースに自分はなにを実現するか、という視点です。

年明け頃から在宅血液透析のトレーニングから導入、導入後の生活まで、現在進行形のレポートを連載していきます。壁を乗り越えた先になにが見えるのか。どうぞご期待ください。

在宅血液透析に関しては次の記事に詳細があります。合わせてご覧ください。
【舞台演出家・中村龍史さん、留美子さん特別インタビュー!】  腹膜透析、在宅血液透析を夫婦の絆で乗り越えていく・在宅血液透析編
東京ネクスト内科・透析クリニック 第3回在宅血液透析患者会参加レポート Part1
東京ネクスト内科・透析クリニック 第3回在宅血液透析患者会参加レポート Part2
東京ネクスト内科・透析クリニック 第3回在宅血液透析患者会参加レポート Part3


2、3、5と単純に覚える

2015.12.4

「できれば2kg、最大3kg、5kg以上は一大事」 これは以前取材させていただいた船橋市の大島記念嬉泉病院の石川清隆院長の言葉です。透析と透析の間に増やして良い体重を表していて、石川先生は小気味よいテンポで、このフレーズを語ってくれました。

「2、3、5、こうやって簡単なことを繰り返すだけです。難しい言葉で指導してもダメで、簡単な言い方をすればきちんと伝わります。」

これを聞いたときに私は「なるほど」と感心しました。

私の場合、土日にのんびりとした時間を過ごす分、油断しやすいのです。朝起きてコーヒー1杯、お昼を食べたあと、家族とのお茶でもう1杯と水分の蓄積は徐々に増えていき、月曜日に透析室の体重計に乗る時は結構トンデモないことになっていたりします。

そこで石川先生の言う体重の増えの数字「2、3、5」を意識しつつ、コーヒーの量を減らしてみました。飲む量を減らすためにカフェイン入りのコーヒー味のドロップを舐めるようにしました。私の場合、頭の働きをシャキッとさせたい時など無性にコーヒーを飲みたくなりますが、このドロップを舐めると飲みたいという衝動を抑えられることに気がつきました。コーヒー1杯がドロップ1つに置き換えられるのは大きいかもしれません(とはいえカフェイン入りのドロップを多用するのは良くないのでしょうが…)。

この方法をとるようになってから、体重の増えは落ち着き、時折、2が3になったりすることもありますが、とりあえず“一大事”にはなっていないようです。

文中の大島記念嬉泉病院の石川先生への取材については次の記事に詳細があります。合わせてご覧ください。
「治療食レストランと健康教室で患者さんをもっと元気に!」Part1
「治療食レストランと健康教室で患者さんをもっと元気に!」Part2


患者同士のつながりを求めて

2015.11.27

じんラボ所長である宿野部武志氏と出会うまでは、私は透析に関する知識は皆無でした。絵に描いたような「お任せ透析」を行う不良患者だったと思います。所長と出会い、透析に関するさまざまな知見を聞かせてもらったことで「患者が主体的に透析治療に取り組むことはありなんだ」と初めて気がついたのです。

その後、じんラボ特別研究員となるまでの間は、所長から勧められた本などを読んで透析についての勉強をしました。また自分の気持ちを入れ替えるためにも、それまで通っていた透析施設からの転院を決意したのもこの頃です。「自分がいかに透析不足なのか」「どうやったら透析時間を延ばせるのか」「オンラインHDFでの透析を受けられるクリニックは近くに無いだろうか」と所長と相談をしながら試行錯誤を繰り替えしてきました。

最初の目標は「オンラインHDFでの透析を受けること」でしたが、これを実現するには所長と知り合って1年の月日がかかりました。オンラインHDFを受けるためには私のシャントは貧弱で、十分な血流が得られなかったからです。シャントの再建を行い血流量250mL/minの脱血ができるようになって、やっとオンラインHDFの恩恵を受けられるようになりました。

その後、私はじんラボ特別研究員として記事を書いたり取材をしたりしてきましたが、2013年11月10日長崎で行われた第9回長時間透析研究会の中で「透析患者からのメッセージ」と題して森本幸子さん、畠山岳士さんの講演を聞いたときは「患者が透析治療に関われる領域はまだまだある」と感銘を受けました。長時間透析の成果や在宅血液透析の取り組みなど、所長以外の患者の生の声を聞いたのはこれが初めてでした。

透析を始めた最初の数年、私は患者会の無いクリニックにいました。透析に関する情報に触れることなく過ごしてきたことを思うと、本当にもったいない時間だったと感じています。患者会に所属していれば他の患者の体験や情報など身近に感じることができると思いますが、患者会の無い施設で治療を受けている人や、透析をこれから始めるCKD患者さんはどうでしょうか。まだまだ横のつながりが少ないのではないかと、取材を通じて感じることがあります。

透析に関する新しい情報や、腎臓病、透析患者の思い、そして透析施設などでの新しい試みなどをじんラボの中で発信していくことが今の私の使命だと思います。それがいつか患者同士のつながりに結びついてくれれば、これほど幸せなことはありません。

文中の森本幸子さん、畠山岳士さんの講演内容については次の記事に詳細があります。 合わせてご覧ください。
第9回長時間透析研究会・透析患者からのメッセージ


薬との相性

2015.11.20

どうしてもIntact PTHを下げる薬との相性が悪く、ずっと不調が続いていました。この薬を飲めば間違いなくIntact PTHの値が下がり、骨がもろくなるといった合併症を避けることができるのですが、私が飲むとたちどころに胃の不快感に悩まされます。

薬の副作用の症状はさまざまですが、吐き気や、膨満感、胸やけ等で、一度に全てが出たこともあります。私の個人ブログにもこのことを書いたことがありますが、他の方からも同じような症状があるとコメントをいただいたことがあるので、副作用に悩まれ、飲み方を工夫されている方は多いのではないかと思います。

寝る前に飲むと胃の不快感を回避できるとのことで、この方法を取られている方は多いのかもしれません(じんラボ所長もそうです)。ところが私の場合は眠りが浅いためか、夜中に胃の不快感で目が覚めてしまうということがありました。正直“万事休す”といった感じで、もう不快感はあって当たり前と諦めていました。

最近、主治医から「透析を受ける日だけ薬を飲むのはどうだろうか」という提案を受けました。どういう理由なのか透析中は胃が活発に活動し調子が良いので、薬を飲んでも胃の不快感はありませんでした。調子が悪くなるのは透析の無い火、木、土、日曜日だけ。主治医の提案は透析のある時のみ薬を倍飲むということでした。

最初は「透析の時は胃の調子が良いとはいえ2錠飲むのは辛いのではないだろうか」と不安を感じていました。透析の終わり頃に空腹を感じる頃合いをみて薬を2錠、口に含みます。何か不調が起きるのではないかという一抹の不安を感じていましたが、家に帰り着くまで何の不具合も無くケロリとしています。そして布団に入って眠ってしまっても途中で目がさめることもありませんでした。

どうやらやっと私に合った薬の飲み方が見つかったようです。

薬の服用について次の記事もあります。合わせてご覧ください。
知っトク? こんな事〜患者・家族のお役立ち情報【第11回】 お薬との上手な付き合い方


シャントのこと

2015.11.13

透析患者に共通することといえば、やはりシャントのことが挙げられます。もちろん他にも穿刺の痛さとか長い時透析時間をどう過ごすのかといったこともあるとは思いますが、手を触れればその振動を常に感じることができるので、患者にとってシャントの存在は大きいです。

“患者の体の一部”ということで“コイツ”とは長い付き合いになります。私の場合、透析を始めたばかりの頃は問題なく動いてくれていましたが、もともと血管が細かったことから4、5年目頃から血流が取れなくなってきました。突然スリルが弱くなり最後は完全に狭窄してしまって、経皮経管的血管形成術(PTA)を年間に3回受けたことがあります。主治医からは「アレはすごく痛いよ」と随分脅されたりもしたのですが、なぜか私には痛さに対する耐性があるのか、手術室でPTAを受けながら担当医と自分のシャントが映し出されたモニターを見ながら談笑したりしていました(多分私が鈍いのでしょう、一般的には痛いと感じる人が多いと思います)。

透析6年目の時には、もともとシャントを作った左腕で再建手術を受けました。穿刺ができる範囲は少し狭くなりましたが、以来トラブルはありません。問題のあった箇所がきれいに改善されたため、その後は血流も上がり、今では300mL/minの脱血ができるようになりました。

トラブルが多かったことから、シャントに対する愛着のようなものを常に感じています。今でもトラブルが多かった時のことを思い返して、あの時は皮膚の中、シャント血管の中で何があったのだろうと不思議に思うことがあります。飯田橋春口クリニック・春口洋昭先生の連載記事『自分のシャントをよく知ろう!』を読むと、その時に感じていた多くの疑問が氷解します。特に現在連載している『みなさまからの疑問・質問にお答えします』では、他の患者さんからの質問の中に自分の経験と合致するものもあって「なるほどあの時のトラブルはこうした理由で起こったのか!」と理解できます。

みなさんの感じるシャントについての疑問・質問と同じものがあるかもしれません。ぜひご覧ください。

最新記事はこちらです。
自分のシャントをよく知ろう! 飯田橋春口クリニック・春口洋昭院長の解説とお悩み相談【第9回】みなさまからの疑問・質問にお答えします Part4


只今、入院準備中

2015.11.6

11月末より大学病院へ入院することが決まりました。今回は手術を受けることもあり、先月より事前検査などで大学病院へ定期的に足を運んでいます。

腹部MRIのほか、手術に耐えられる体であるかを確認するために心電図、肺活量などの検査を行いました。手術では全身麻酔を受けるため、担当の麻酔医の方との面談を行い、どのような手順で麻酔をして手術を受けるかの説明を聞きました。

今回、全身麻酔を初めて受けることから少し緊張していました。待合室で待つ時間が長く感じます。「麻酔を受けている間はどうせ痛くはないのだから」と頭では言い聞かせているのですが、やはり初めてのことなので正直怖さは感じます。

ですが大学病院の医療者や看護師、スタッフの方々はさすがにプロフェッショナルです。みなさんそうした患者の気持ちを察して、常に笑顔で接してくれました。笑顔で会話を交わすうちに少しずつ緊張がほぐれていきました。そしてその笑顔に触れているうちに、シャントの手術で入院した時のことや導入透析で入院した時のことを思い出しました。

我々患者は医療者の方々の力でいつも支えられているのだなと思います。本当にありがたいことです。

入院などに関する記事があります。合わせてご覧ください。
ボクの保存期〜今、CKDを生きる人たちに・5
よしいなをきの日常生活・第20話 入院の心構え
基礎知識・透析患者さんが他科を受診する場合


取材を通して感じたこと〜支えられ、そして支えながら

2015.10.30

日本慢性疾患セルフマネジメント協会事務局長である武田飛呂城さんにインタビューを行った時(慢性疾患セルフマネジメントプログラムの紹介【第2回】)、

「違う病気であっても似たような問題を抱えていたり、同じように悩んでいたりする。病気の痛みや、将来への不安、仕事をどうしよう、副作用のつらさなど、病気は違っても共感できる問題はたくさんあります」と武田さんは語ってくれました。

この話を聞いた時にすぐに感じたのは、私たちが取り組んでいるピアサポート活動“じんラボの心のサポート”「じんサポ」もまさに同じもの、共通するものだということでした。

また、「お互いがお互いを『自分より大変な病気だなあ』と考え、それまでは『自分の病気は大変だ』と自分の病気のことしかわからなかったのが、他の疾患の方と話をして自分だけが大変なわけではないと実感した」という話を聞いた時は、これはピアサポートだから得ることのできる特別な“気づき”であると感じました。

ふと私は高校時代に読んだマンガ、神坂智子の『カレーズ』の中で、このように書かれていたことを思い出しました。

みんな わたしの足をみて 自分がそうなっちゃうと 恐くて悲しいから
ちょっとばかり みたくないなと 思ったり 考えたくないな なんて考える
自分の気持ちの やり場がなくて 困るのね
だから 楽しい気分で いじめる人なんていない

健康な人からすれば、病気になることは辛いし苦しいし、できれば考えたくないことかもしれませんが、今私たちは病気の苦しさや大変さを知っています。もしくは現在もこの苦しみを体で感じている人もいるよ思います。こうした苦しみや大変さを味わってきたのは、他の人の苦しみを理解したり、支えたりするためのものなのかもしれません。

研究員のはなし『Oruka's roomへようこそ! 』を連載中のオルカさんこと大迫薫さんも、インタビューの中で「同じ気持ちになれるから私たちは支えられる」ということを話されています。

今、次の「ピアサポーター養成講座」の企画が動き出そうとしています。ぜひ、あなたも「聴く力」を身につけて、一緒にピアサポート活動をしてみませんか。


秋バテ

2015.10.23

暑い夏も終わりやっと涼しい季節になりました。正直ホッとしていたのですが、どうも今頃になって夏の疲れが噴出したのでしょうか。胃の具合がよくありません。一応、病院でも検査を受けてきましたが、胃が少し荒れ気味ということで、しばらくは薬と胃に優しい食べ物を摂ることを続けて様子をみることになりました。

こういう夏の疲れが今時分に出てくることを最近では「秋バテ」と言うのだそうです。皆さんは大丈夫でしょうか?

夏の間、室内と外気の温度差に体がついていけず自律神経が乱れ、体の不調が起こるそうです。外気の厳しい暑さは体にとっては激しいストレスになるそうで、体の中では交感神経が働いて胃や腸の動きが抑制されてしまいます。それで食欲不振になったりするそうです。逆に涼しい室内に入ると今度は体のストレスが解放されて副交感神経が働き、胃や腸の動きは活性化されます。夏の間、体の中で交感神経と副交感神経の入れ替わりが何度も繰り返されて、その疲れが秋頃に一気に出るのだそうです。

なるほどなと思うのは、胃は常にストレスの影響を受けているということです。ストレスで交感神経が働くというのは古代の石器時代で言えば体が戦闘状態に入っているということです。こういう時に腹を空かせていたら、逆に猛獣に食べられてしまいます。副交感神経が働くのは体の戦闘状態が解かれて一番リラックスできる状態です。腹も空いてきて落ち着いて栄養の吸収ができるということでしょう。

だからリラックスすることは重要なのだと腹落ちすることができました。そこで電車の中にいる時や、食事の少し前の時間などは体の力をすっかりと抜いて、ラジオや音楽を聴いて心を落ち着かせることを心がけることにしました。

これからは意識して体の力を抜く時間を作っていくのが、秋バテに負けない体作りには良いと感じました。

リラックスについては、「生き活きナビ」の中に「リラックス・心」というカテゴリがあります。こちらの記事も合わせてご覧ください。

「生き活きナビ」>「リラックス・心」


初取材を…

2015.10.16

先日、人生で初めての取材を受けました。普段、他の方を取材することはあっても、自分が取材されることは無かったのでものすごく緊張しました。

ですが、取材担当のKさんは非常に朗らかで、ソフトな感じで質問をしてくれて次第に安心して話すことができました。

慢性腎臓病(CKD)になった時の自分の心境や、10年前に大阪芸術大学に入学して文章の勉強をし始めたときのこと、透析を受けなければならなくなったこと、また、今はじんラボを通じて透析施設の新しい取り組みや、元気で活躍している患者さんのことなどを多くの腎臓病、透析患者の方に紹介したいといったことをお話しました。

写真もたくさん撮ってもらいました。普段、私が取材をする時は写真撮影も私自身がするので、撮ることには慣れていますが、自分が撮られることにはやはり慣れていません。すごく表情が硬くなってしまうのです。カメラマンの方からも和やかに話しかけてもらい、おかげでやっと普通に笑顔が出せたように思います。

果たしてどのような記事に、それと私はちゃんと笑えているのか、ぜひチェックしてみてください。少し先になりますが来年の1月に、バイエル薬品株式会社が発行している「うみ」の「いきいき輝く人と暮らし」で紹介されます。

じんラボ所長の宿野部も紹介されています。こちらもご覧ください。

→透析を受けている方のためのライフスタイル「うみ:透析を受けながら活躍する人々


じんラボに“デパ地下”がオープンしました

2015.10.9

2015年9月28日に、じんラボに“デパ地下”がオープンしました。腎臓病・透析患者さん向けに各メーカーが販売している「成分、栄養調整食品」の情報を集めたコンテンツです。正式な名前は少し長くて「腎臓病・透析患者さんのための食品〜成分・栄養調整食品一覧〜」といいます。

私も公開と同時に“デパ地下”を使ってみました。

「食品の機能を選択」から「低蛋白」を選び「食品の種類を選択」から「主食」を選んで「絞り込む」をクリックします。すると先頭に出て来たのは「アプロテンたんぱく調整スパゲティタイプ」です。懐かしいですね。私が保存期だった頃に一番お世話になった「成分、栄養調整食品」です。蛋白質が0.4gしか無いので市販のパスタソースを選べば、一回の食事での蛋白質を3g程度に抑えられるということもありすごく重宝しました。他にも蛋白質を減らしたパックのご飯や、うどんやお蕎麦などの麺類も表示されます。

検索条件を変えて「主菜」にしてみます。びっくりしたのはレトルト食品の多さです。いつの間にこんなに増えていたのですね。20年くらい前は低蛋白のカレーとか中華あんのようなものが数種類だけでしたが、メーカーの枠を超えると40種類以上あります。毎日の食事にバリエーションを持たすことができ、なおかつ長期の保存ができるものが多いですね。

「弁当」を選んでみると、冷凍のおかずセットやご飯がセットされたタイプもあります。リスト中に巻き寿司があるのには驚きました。こちらは蛋白質を調整したご飯で作った巻き寿司で、カリウム、リン、塩分を調整して冷凍にしたものです。私が保存期だったころは、低蛋白に調整されたパックご飯を温めたものをほぐして寿司飯を作り、自分で巻き寿司やいなり寿司を作ったりしていましたが、その手間を考えると今は便利です。

それぞれの食品情報には購入先へのリンクもありますので、「これが欲しいな」と思ったらすぐに購入できるのも便利です。

食事療法は、長く継続することを考えるとできるだけ調理や食材の量の調節など負担を減らしたいところです。減塩の食品、調味料や透析患者向けの弁当なども紹介していますので、ぜひじんラボの「腎臓病・透析患者さんのための食品〜成分・栄養調整食品一覧〜」を活用して、皆様の食事療法に役立ててください。


銭湯の思い出

2015.10.2

先日、近所を歩いていたときのことです。行きつけにしていた銭湯が無くなっていることに気がつきました。

古くからあった建物が取り壊されて、むき出しになった浴槽や無残に壊されている鏡、カランが並んでいるのを見て、町の憩いの場所がまた一つ無くなったのだと寂しく感じました。

銭湯と言えば、竹や木でできた下駄箱の鍵とか、籐で組まれた脱衣カゴ、大きな体重計と、大きな浴槽だけではなく、今となってはあまりお目にかからないモノで溢れています。昭和のテレビドラマのワンシーンのような風景があり、そこに人が集い、体を洗いながら1日の疲れを洗い流す場所でした。

誰もいない早い時間に銭湯に行けば、大きな浴槽で思い切り体を伸ばし、のんびりと入浴することができます。体の力をすっかりと抜き切ってぼんやりとしていると、日頃のストレスなど忘れてしまいそうです。ふと目を天井に移すと、浴槽から湧き上がる湯気が高く天井の方まで登っていくことに気がつきます。銭湯というのは実に大きな建物で、天井が高く広い空間なのです。そんな場所でのんびりと湯に浸かっているのは実に贅沢なことで、自然に口をついて「極楽、極楽…」という言葉が出てきます。

昔、地方に旅行に出かけると、その土地その土地の銭湯に入るのが好きでした。場所によっては東京の入浴料より安いところもあるのですが、実は洗髪料を別に払わなければならないという地域もあってびっくりしたことがあります。

入浴後のコーヒー牛乳を飲むのがまた美味しい。紙ぶたを取って瓶の飲み口を口元に運びながら、テレビで野球観戦をして、ご近所の常連さんと談笑する、銭湯はそんな憩いの場でした。

そんな憩いの空間を新たに開拓し、私は休日になると自転車を走らせて隣町の銭湯まで出かけます。そこは番台を見るとまだ長く営業を続けてくれそうな若主人がいて、まだしばらくは憩いの場を楽しむことができると安堵するのです。


インターネットが使える施設が増えてきました

2015.9.25

最近では色々な透析施設のお話を聴かせてもらう機会が増えました。その中で気づいたことは、少しずつですがインターネットが使える施設が増えたように思います。

私も透析を受け始めたばかりの施設ではパソコンの持ち込みはOKだけれど、医療機器に影響することから通信は禁止と言われていました。

最近、医療の場でも携帯電話での通話はダメだけれど、インターネットを使うのは良いとしているところが増えています。これは先日入院した際、携帯電話の利用エリアが設けられていることから気がつきました。

私は可能であれば透析時間を5時間にしたいと考えており、この長い時間を過ごすためにはインターネットの利用ができなければ辛いな、と思っています。透析中はブログを書いたり、青空文庫で文学を読んだり、ラジオを聴いたり、動画を見たりして長い透析時間を過ごしています。

話をしたりするのは難しいかもしれませんが、Webカメラを使えば透析を受けながら家族の様子を見たり、家族とちょっとしたメッセージのやりとりをすることができるのではないかと思います。4時間であれ5時間であれ、この透析を受けている時間は決して短いものではありません。それは身近な家族と離れていなければならないという患者にとっては寂しい時間なのかもしれません。この時間にもし、お子さんやお孫さんの笑顔を見ることができたら、透析患者はもっと時間を短く感じるかもしれません。

ぜひインターネットが適切に利用できる透析施設が増えてくれればと思います。


使って欲しい「とうせきくん

2015.9.18

みなさんはじんラボツールの「とうせきくん」をご利用されていますか? 「とうせきくん」は定期的に行われる血液検査の検査値などを入力し、透析がうまくいっているか、水分や塩分の管理がうまくいっているかなどを管理するためのツールです。会員登録すると無料ですぐに使うことができます。もし、まだの方はぜひぜひ使っていただきたいと思います。

初めて使われる方は「どのように使うのだろう? 」と悩まれるかもしれませんが、まずは血液検査の検査値が書かれた紙を用意して、「検査日」、「ドライウェイト」、「透析時間」、「透析前体重」、「透析後体重」といった、入力可能な項目を全て入力してみてください。最初のうち数ヶ月は検査値の登録だけでも良いと思います。

毎月の検査値をある程度入力していくとグラフや一覧によって、週3回の血液透析で体の中の老廃物がどれくらい除去されたのか、また、水分や塩分コントロールできているのか、月ごとの変化を見ることができます。「今月は塩分を多く取りすぎたな」とか「ここしばらくはしっかりとリンのコントロールができているな」ということが、目に見える形で確認することができます。

私が毎月「とうせきくん」を使って気にしているのは、やはり塩分コントロールがうまくできているかです。ちょっと油断すると推定塩分摂取量が赤く表示されてしまいます。塩分のコントロールができないと、透析前体重増加率や血液濃縮率にも影響が出てきます。

まずは数値の入力をしてみて、自分の血液検査の結果値がどのような意味を持つのか、学習することにお役立てください。

「とうせきくん」はこちらからご利用ください。


映画ばかりを観ていたとき

2015.9.11

最近では映画はもっぱらiPadで観ることが多いのですが、学生時代は映画館で観ることが頻繁でした。地方の大学で下宿生活をしていたこともあり、隣町まで電車に乗って行かないと映画館が無くて不便でしたが、2本立てで観られるのは好都合でした。国際関係学部の学生なのだから英語の勉強のためにも映画は観るべしと、自分の中では考えていました。

当時の学生の間では、映画はデートで観るもの、という固定観念があるようでしたが、誰か一緒に観に行く人を当てにしていたら観る機会を失います。一人で気楽に、そしてあらゆるジャンルを気兼ね無く観ることができると、毎週月曜日は午後からの授業が無いのを良いことに、隣町に出かけて映画を観るのが私の日常でした。すでにレンタルビデオが普及していた時代でしたが、映画館の大きなスクリーンで観るのがやはり良かったのです。

頻繁に観ていたのはアメリカンコメディーが多く、スティーブ・マーティンやジョン・キャンディーの出る作品が好きでした。アメリカ映画はわかりやすくバッドエンドになることがまず無かったので安心して観られたのだと思います。『ダンス・ウィズ・ウルブス』といった歴史物も好きで、物語そのものよりもローアングルでバッファローが草原を疾走していくようなシーンを観て「これはどうやって撮影したのだろう? 」と感心していることが多かったです。普段、見られないロードムービー(旅の途中で起こる出来事を物語とした映画作品で、主な作品には「ペーパームーン」「大災難」「レインマン」などがあります)の場面での珍しい景色だとか、見たことが無いカメラアングルが見られると「これは良い映画だった」とか考えていたので、デートで誰かと一緒に観ないで正解だったのだと思います。

「映画をデートのためのツールだと考えているのは邪道である」と大真面目に口にしていたこともあったので、あの時の自分は本当に映画が好きだったのだと思います。

今の映画はCGの大作ばかりになってしまって、映像に真実味が無くなってしまったように思います。ミニシアターで観るマイナーな映画や、古いモノクロの映画を観ることの方が最近は多くなりました。


寝食を忘れてできること

2015.9.4

20年以上も前のことですが、静岡県三島市にある大学に在籍していた頃のことです。毎年大学祭の季節になるとサークルの看板絵をよく描いていました。画材は油絵の具を使い、畳一畳ほどのベニヤ板をキャンバスにしていました。

私が所属していたサークルは中国研究会でした。当時描いたのは天安門広場の風景です。研究会の先輩から中国の絵葉書をもらい、それをベニヤ板の角に貼り付けてベニヤ板に鉛筆を使って大体のアタリを付けていきます。

特に絵がうまかったわけでもないのです。ただ、高校時代に美術部の友人が多くて、よく絵を描いているところ見せてもらっていました。本当はずっと絵を描きたかったのですが、親が美術科目の選択では書道以外を許してくれず、高校時代の小遣いでは画材を買うこともできませんでした。地方の大学に入ってアルバイトをするようになってから少しは自由にお金が使えるようになり、高校時代の反動もあって油絵の具の入った木箱のセットを買ったのでした。

大学祭が近づいてくると、他のサークルなどでも学内のあちこちで「看板描き」が出てきます。技術的に分からないことがあると、お互いに相談して看板描きをするということをしていました。

大学祭の三日前にもなると、いよいよ追い込みに入っていきます。天気が良い日は外で描いていましたが、その度にベニヤ板を外に出すことも面倒になり、他の部員に頼み込んで部室をずっと明け渡してもらいました。油絵は絵の具を重ねていくに従い油絵独特の色合いが増してきて、自分のイメージに近づいていきます。この状態になってくると食事を摂ることも、布団に入ることも忘れて描くことに没頭していきました。筆を走らせながら「これが寝食を忘れるくらい没頭することなのか」と、初めて気がついた瞬間でした。

最後の段階で発泡スチロールに描いた「中国研究会」という文字を、部員全員と一緒に切り抜き貼り付けて、どうにか中国研究会展示教室の前に置くことができました。

最近になって当時のことを思い出して、透析中に絵を描くことができないかなと思うのです。油絵は匂いもあって難しいとは思うのですが、水彩画でできれば大きな作品をもう一度くらい描いてみたい、「寝食を忘れる」というあの感覚を思い出してみたいのです。


さまざまな人の話を聴くようになって

2015.8.28

じんラボの仕事をするようになってから、インタビューなどで人の話を聴く機会が増えました。透析患者といっても血液透析を受けている人もいれば、腹膜透析の人、在宅血液透析を受けている人もいるので、そこからさまざまな話を聴くことができます。似ているけれど少し違うこととか。そして、みなさん人生の岐路でご自身の「選択」をしてきているんだなと改めて気づかされます。

話を聴いている間は、話し手の体験や経験を一旦自分の心に受け止め、ここは自分と同じだとか、ここは同じ透析でも随分違うんだ、ということを咀嚼していきます。普段と違ってペンを持つことはあまりしません。自分の耳と目、そして心の感度を最大限にあげて、聴くことに集中します。そこで語られているのはその人の人生ですから。

インタビューはその人の人生を感じ取るような作業で、こんな経験はサラリーマン時代ではできなかったことです。話を聞いているうちに、時に強い親近感を覚えるようなこともあります。自分の人生の中で、透析を始める時に、この人からこの話を聴きたかったと思うことがあります。そうした内容は真っ先にじんラボで伝えたいことになります。人生として語られたことが、記事になってユーザーの皆さんの心に届けられ、それがいつか大きなつながりを生むことができたらといつも思います。

これからのじんラボでも、さまざまな方のインタビューを紹介していきます。そこで語られる人生の話は、必ず他の人の人生や、人生の選択の中で何かの参考になったり、何かを始める時の強い動機になっていくのでしょう。人が語る言葉には、それだけの力があると私は思っています。

そしていつか、あなたの話も聴かせてください。


トレッドミルという検査を受けました

2015.8.21

先日、通っている透析施設で「トレッドミル」と呼ばれる検査を受けてきました。この検査は運動をしながら行う心電図検査で、安静時ではわからない心電図の変化や、不整脈、血圧の変化を見て、運動中の心臓の状態を検査するというものです。

「運動をしながら」というのがミソなのかもしれませんが、これがまたハードでした。

心電図を測定する器具を体につけ血圧測定用のベルトを腕に巻いた状態で、動くベルトの上を歩くのですが、途中でこのスピードが速くなったりします。一応手すりがあるので転ぶことはないと思うのですが、地面と違ってベルトの上では歩いている感覚が違うのです。

こちらはかなり気をつけながら歩いたり、走ったりしているのですが、隣で検査技士の方が黙ったまま見ているのが少し嫌でした。何か声でもかけてくれないかなとか、看護師さんに「ファイト! 」とか声援でも送ってもらえたらいいのに、とか考えていました。

中盤からベルトに傾斜がついて、坂を登るような歩き方になったり、ラスト3分は全力疾走しましたが、最後まで技士さんは黙ったままです。沈黙の中走らされているというのも辛いですね。ロッキーのテーマでも流してくれたら盛り上がるんじゃないかとか、そんなことを考えながら走り切り、終わると「問題ないですねー。お疲れでーす」とやっと声をかけられました。

頑張ったのに、それだけかぁという感じです。せっかくがんばって体を動かす検査なのですから、もう少し気分が盛り上がる工夫があるといいのに、と思いました。


少し怖いはなし

2015.8.14

毎日暑い日が続きます。夏といえば怪談話とよく言われますが、あれって体を冷やす効果は本当にあるのだろうかと思っていましたが、一瞬くらいはあるようなのです。

私の家ではテレビのスイッチが勝手に入るということが続いています。夜中に突然とか、朝起きて居間に行くとテレビが勝手に点いているのです。先日、家族揃って外出した時も、家に戻るとテレビが勝手に点いていました。2週続けて同じことが起こったので外出する時はテレビのリモコンの電池を外すようにしました。

つい先日、一人在宅で仕事をしていた時のことです。私は居間のテーブルで書き物をしていました。

何か気配のようなものを感じ、動かしていたペンを止めて部屋の中をゆっくりと眺めました。

「気のせいだよね」と、再びペンを持って文字を書き始めた瞬間、少し離れている居間のドアノブがキシっと鳴ったのです。一瞬ドアノブが下にガチャっと音を立てて下がり、ゆっくりとドアが開きました。

居間には私以外には誰もいません。

私はしばらく不可思議に動いたドアノブを凝視していたのですが、すでに近くに“いる”ことに気がついていなかったのです。

刹那、私のすぐ横にあるテレビが勝手に点き、しかもチャンネルまで変わりました。

モニターには韓流ドラマが映し出されたのです。

どうやら家の主人がいようがいまいが、見たい番組があったようです…。


歯磨きを10分ずつ

2015.8.7

「透析患者さんは歯石が付きやすいんですよ」とは、行きつけにしている歯科医の言葉。

私は歯茎のトラブルが多くて歯肉炎になることが多いので、月に1、2度は歯医者に行きます。気をつけて歯を磨いているつもりでも、油断をするとすぐに歯石が付着するようで、ブラッシングの指導を受けて「毎回ではなくてもいいので、夜寝る前、1日の最後の歯磨きは10分間続けてください」と言われました。

いい加減私も歯肉炎の痛みには懲りています。言われた通り気をつけてブラッシングするようにしました。歯ブラシを歯に垂直に当てながらブラシの先を歯の間に入れていくように動かします。

しかし10分という時間が思っていたより長いのです。次第に腕が疲れたり、口の中が泡でいっぱいになったりします。そこでブラッシングする手の力を緩めて、ゆっくりと優しく磨くように心がけました。

するとなぜか、気持ちが少しリラックスするようになしました。今までは「急いで磨かなくてはいけない」とゴシゴシと力を入れて磨いていたのですが、それで気持ちが高ぶっていたかもしれません。自分の中で「力を入れなくていい、急がなくていい。丁寧に、丁寧に」と思っただけなのですが、それが気持ちを落ち着けるスイッチになったような気がします。

落ち着いて、ゆっくりと丁寧にブラッシングすることが、精神の安定につながるとは思ってもみませんでした。毎日、寝る前に10分の歯磨きをするようになって、ここしばらくは歯茎の疼きも感じなくなりました。


大和市立の中学校での人権・福祉学習

2015.7.31

今朝はいつもよりも早く起きて朝6時半の電車に乗りました。神奈川県の大和市腎友会様からの依頼を受け、大和市立の中学校で、2年生を対象に人権・福祉学習の一環で腎臓病と人工透析の講話をするためです。

大和市腎友会の依頼での講話は、今回で3回目になります。小学校で1回、中学では2回目。小学生は遠慮することなくたくさん質問をしてきます。中学生は大変静かに、おとなしそうに聴いていますが、時に大人顔負けの質問をしてきます。「病気が分かって苦しまれた時に、どうやってその苦しみから立ち直られたのですか? 」といった具合で、結構こちらもドキドキしてしまいますが、大人に対して答えるのと同じように質問には精一杯答えるようにしています。

今回は、腎臓の働きと腎臓病のこと、保存期でどんな食事制限をしてきたか、シャントについて、透析で大変なこと、震災が起こった時に透析患者はどうしたのか、といった話をしてきました。

講話の途中で自分のシャントを中学生に触ってもらいましたが、指さきにスリルの振動が伝わると中学生たちは目を丸くして驚いていました。またカリウムの制限で果物のメロンやスイカやバナナなどは少ししか食べられないといった話は、自分のことのように患者の辛さを感じ取ってくれていたようです。

実際には難しい言葉や難しい説明もしていますが、子供たちはしっかり聴こうと態度で示してくれます。それは顔の表情や目線、席に着いている時の背筋を正した姿勢でよくわかります。そして私の話から、自分の家族や友達が、もしくは自分自身が同じ病気になったならばどうするだろう、と考えてくれています。それは後ほど学校から送られてくる子供たちが書いた感想文で知ることができるのです。

感想文の中には、将来、医療の世界で働きたいと書いてくれる子もいて、わずかかもしれませんが医療の世界に貢献しているのかもしれないと感じることもあります。

今、こうして人に自分の経験を伝える仕事ができるのは、本当に幸福なことだと感じています。


夏目漱石の『坊ちゃん』を読み直す

2015.7.24

透析の時にiPadを使って本を読むことがあります。青空文庫からデータをダウンロードすれば明治、大正昭和初期に書かれた文学作品は無料で読むことができて便利ですね。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』『よだかの星』、芥川龍之介の『トロッコ』『鼻』、泉鏡花の『夜叉ケ池』などは読みやすい作品で、透析時間のうち1時間くらい潰すのにはちょうど良いです。

先日、夏目漱石の『坊ちゃん』を読み直しました。息子に訊くと今でも中学校の指定図書なのだそうです。私も中学生の頃に読んだ記憶がありますが、大体の筋書きは覚えていても、細かなところは、かなりうろ覚えでした。

読み返してみると、やっぱり面白いんですね。それに読みやすい。今は使わなくなった漢字の使い方もありますが、そこには時代を感じさせます。主人公・坊ちゃんの一人称、江戸っ子の語り口で書かれているのが、うまいテンポを生み出して軽快に読み進むことができます。また、漱石の文体は句読点の打ち方など、文章の書き方の参考にもなります。さすがにどの国語の教科書にも載っているだけはあります。

それに『坊ちゃん』はキャラクター小説でもあります。主人公の坊ちゃんの他にも、親代わりとなった静さんや、同僚の山嵐、校長の狸、ヒールの赤シャツ、のだいこ、それにマドンナやうらなりと魅力的なキャラクターが勢ぞろいです。

改めて読み返して気がついたのは、漱石は作中でものすごい新聞の悪口を書いているのです。日本で初めて新聞小説を書いたのは誰だったのでしょう?(笑)『坊ちゃん』執筆時は朝日新聞社に入社することなど、考えていなかったのかもしれません。

透析の時間を少しでも有意義に。体調の良い時間を狙って明治文学を楽しんでみてはいかがでしょうか?


子供の健康診断で

2015.7.17

5月にかなりショックなことがありました。息子が学校の健康診断で尿タンパクを出したのです。

もしかするといつかこうしたことがあるかもしれないと、昨年から病院に連れて行き血液検査を受けさせていたのですが…。

学校の検査結果が出てすぐに中間試験になりました。息子に動揺させてはならないと、私も子供の前では冷静を装っていましたが、彼がいないところでは落ち込んだりもしました。

息子は私には持っていないものをたくさん持っています。私とは違う特性があり、それを少しずつ伸ばしながら成長している姿を見て、私はずっと幸せを感じていました。自分が透析を受けていることはまだ大丈夫なのですが、もしも息子が同じ運命をたどるとしたら…。これは言葉では言い表すことのできない大きな不安でした。

中間テスト最終日、息子は帰って早々、
「学校から2次検査の結果が出てこないから、一緒に血液検査を受けにいきたい」と言いました。尿検査の2次検査の結果がまだ学校から返ってこないので本人も気になっていたのだと思います。

私はすぐに自分が透析で通っている病院に電話をかけて、子供のためにCKDの項目で血液検査を受けたいと、お願いしました。

血液検査と尿検査を受けて結果を待つこと1時間、親子共々診察室へ呼び出されます。

結果は尿検査は(-)、クレアチニンの結果は0.83mg/dLでした。どうやら学校の検診で出た結果は一時性のものでした。

病院の帰り道、親子一緒に笑いながら家まで歩きました。その時、お互い不安だった胸の内を明かしました。息子曰く「親父が一番不安そうにしていたのが辛かった」と言ってくれた時は私が泣きそうになりました。

これからは定期的に検査を受けさせ息子の不安を少しでも取り除きたいと思います。また、可能な限り減塩食を家庭で作っていこうと思います。


カミさんの焼いたパンが食べられない

2015.7.10

我が家では平日の朝はご飯を、土曜日、日曜日の朝にはパンを食べるようにしています。このパンはカミさんの手作りなのですが、どうしたことか私が食べると胃もたれが起こるのです。原因ははっきりとは分かりません。

前日からカミさんが家電のホームベーカリーに材料を仕込んでおいて、土日の朝は焼きたてのパンが食べられるという趣向なのですが、私だけそのパンは食べず、週末までに残った冷やご飯を消費するということにしています。他の人が聞いたら、せっかくの焼きたてのパンなのにもったいないと思うでしょう。私も“絶対ご飯党”というわけでもなく、焼きたてでふっくらとした食パンにオレンジ・マーマレードなどを塗って食べたら美味しいだろうと思うのです。でも私だけ土日の朝食はお粥だったりします。

果たしてパンを食べた時の胃もたれの原因は何なのでしょう? もしや材料に原因があるのでしょうか?

ふと思いついて検索エンジンで調べてみました。

小麦 カリウム…
イースト カリウム…
ベーキングパウダー カリウム…

とキーワードを入れてみたところ、ベーキングパウダー100g中のカリウムの量は3,900mgと出ました。実際に使う量を計算するとベーキングパウダー小さじ1杯(3g)中のカリウムの量は117mgと少ない数字ではない…。も、もしかすると…。

いや、これはまだはっきりとはしないのです。カミさんがベーキングパウダーをどれくらい使っているかにもよります。また他の材料の栄養成分も引き続き調査してみたいと思います。


日本透析医学会学術集会にて

2015.7.3

6月26日から28日の3日間、神奈川県のパシフィコ横浜で『第60回日本透析医学会学術集会』が開催され、じんラボでも企業ブースを出展しました。当日はブースまで足を運んでくださった方、パンフレットを手に取ってくれた方、足を止めて話を聴いてくれた方、みなさま本当にありがとうございました。

当日は、所長、カオリさん、私のほか、数名の透析患者さんに手伝っていただき「患者さんのための情報を発信するWEBサイト・じんラボです」と声をかけながら、お客様にパンフレットを手渡しました。

また実際にパソコンやiPadを使って、じんラボの記事を紹介したり“とうせきくん”のデモをしたりしました。

立ちっぱなしは体に堪えますが、多くの医療関係者の方々、多くの患者さんにお会いでき本当に貴重な経験となりました。

訪問された方からは、
「じんラボ、見たことあります! 」(おお! )
「新人看護師には、じんラボを読むように伝えています! 」(ありがとうございます!! )
「昨日、仕事で社会保証制度についてじんラボで調べました」(それはすごい!!! )
など、たくさんの言葉をかけていただきました。

びっくりしたのは、最初に透析を受けたクリニックの技士さんとばったり出会ったことです。
「なんでここにいるの!? 」と相手も驚いていたようですまた、私が今まで転院を繰り返していたこともあり、以前の主治医や看護師さん、技士さんともたくさん会うことができ、まるで透析の同窓会のようでした。

また次回、何かのイベントでお会いできたらと思います。


ついに発見しました

2015.6.26

じんラボ・知恵の輪にて情報を求めました、減塩カップめん・エースコックの「だしの旨みで減塩」シリーズですが、先日ついに近所のスーパーで見つけました。

普段、夕食の支度をするので当然買い物にも出かけるのですが、インスタントめんの売り場に次の3点が鎮座していました。 ○中華そば(内容量37g 塩分1.5g ) ○小海老天そば(内容量38g 塩分1.8g) ○鶏炊きうどん(内容量40g 塩分1.8g)

大きいサイズもあるようですが、こちらは全てミニカップサイズです。スーパーの棚には「塩分を気にされている方に」とポップが飾られていました。棚の商品がまばらになっているところを見るとかなり売れているようです。

実際に「だしの旨みで減塩・中華そば」を食べてみました。蓋をあけると袋入りの粉末スープに油揚げめん、具材はコーン、なると、ねぎ、もやしが入っています。粉末スープを開け、お湯を注いで3分後に再び蓋を開くと、ねぎの香りが漂います。

まずはスープを一口。確かに塩気は強くありませんが、だしの旨みなのか味はしっかりとしています。めんは細めんで、ミニカップサイズなのですぐに食べきってしまいそう。コーンやねぎ、もやしといった具材は、他のメーカーのカップめんと比べてシャキッとした口当たりを感じました。

カップの表示を見ると蛋白質の量が3.8gとあるので、保存期の方は食べるときに気をつけた方が良いかもしれません。また、お湯は少なめに入れるよう、カップの内側の線(ここまでお湯を入れる目印)が少し低い位置にあります。お湯をカップの縁近くまで入れてしまうと、かなり薄味になってしまいそうです。

無性にカップめんが食べたいという時は、選択肢の1つとして良いのかもしれません。もちろん食べ過ぎてはいけませんね。2個食いとかしたら塩分が3gを超えてしまいます。


アザ

2015.6.19

みなさんはすぐにアザができて困る、ということはありませんか? 透析患者はワルファリンのような抗凝固剤を飲むことがあり、ぶつけたりするとすぐに内出血しやすいですね。ちょっとぶつけてしまうだけで結構派手な青タンができることがあります。

私の場合は物を持ち上げたタイミングでアザができたこともありました。いつだったか荷物の入ったダンボールを持ち上げようとして、ダンボールの穴に指を引っ掛けたタイミングで内出血したことがあります。中指が真っ黒になってしまいました。

アザはお風呂の中で温めながらマッサージすると薄くなると言います。透析を始めてから、お風呂でアザを擦ることも増えたような気がします。

今自分の体を見ると右腕に1つ、お腹に1つアザがあることを知りました。

はてさて? どこでこんなアザを作ってしまったのか?

先週はPTAの会合が高校の体育館であり、長テーブルや椅子を並べたのでぶつけてしまったのかもしれません。これは右腕のアザかなと思うのですが、もう1つのお腹のアザはそれよりも新しいように見えます。

…寝相の悪いカミさんに蹴られた!? 可能性としてはあり得る話です。

私の経験からすると原因不明のナゾのアザというのが時々あるのです。


家族旅行

2015.6.12

あまり遠くには行けなくとも、毎年行楽シーズンになると家族で近場の旅行を楽しみます。私自身は子供の頃親にどこかに連れて行ってもらうということがなかったので、結婚して家族ができてからはどこかへ出かけるというのが家族共通の楽しみになりました。

土日を使って出かけるので、日帰りか1泊程度の旅行です。お隣の神奈川県でしたら湘南、横須賀、箱根、小田原、三崎。静岡県では伊豆、三島、沼津、藤枝まで。千葉であればマザー牧場、鴨川といったところへ出かけました。普段見かけることはない景色を見ながら、その土地に暮らす人たちのことを思います。田んぼの畦道や川のせせらぎ、大波とともに吹く海風を肌で感じたり、連なる山々の景色を眺め、知らない土地のお祭りでは地元中学生たちの吹奏楽コンサートを楽しんだりします。

去年は静岡の沼津市にある『沼津港深海魚水族館』へ出かけました。その日は大規模な夏祭りがあり、街は賑わいを見せていました。日差しの強い暑い日でしたが、シーラカンスの剥製や生きたダイオウグソクムシ、深海魚バーガーや冷凍みかん、花火大会のきらびやかな景色が家族にとっての大切な思い出となりました。

今年は子供が高校に進学して、彼自身、友だちと出かけたり、学校行事で泊まり込みのイベントが増えたりで、家族でどこかに出かけることは少なくなるかなと感じています。成長とともに子供は親から離れていくのかもしれないですね。

でも、実際子供に「今年はどうする? 」と声をかけると「行こう、行こう」と言ってくれます。 これがまた嬉しかったりもするのです。


幻の潜水艦

2015.6.5

最初のシャントの手術で入院した時のことです。相部屋に快活なご老人がいました。

その老人は、誰にでも声をかけていつも陽気そうにしていました。体の不自由な方がいればその人の病室まで行って一緒にご飯を食べたり、これからの仕事のことで悩んでいる若者がいれば、いつでも話を聴くという方です。ご自身は腎癌の摘出で入院されたとのことでしたが、退院も近かったのかお元気そうにしていました。その相部屋の患者はみな腎臓に関係した病気などで入院していたのだと思います。

その老人が退院される前日の夜に、不意に声をかけられました。私は大学に提出するレポートを書いていたのですが、話を聴くためにペンを置きました。

「家に戻ったら、カミさんの面倒をみなきゃあならん」と仰いました。老老介護だそうです。手先が器用で介護用のベッドを自分で設計して、奥さんのために自分で作ったのだそうです。

「どんな仕事をされていたのですか?」と聴くと、「技術屋で戦後からいろいろなものを作っていた」と快活に答えました。壊れた時計を集めて自分で修理をし、戦後の闇市で売ったのが最初の仕事で、基本的に物作りに携わってきたとのことでした。

「だが、戦後にあんなモノを修理するとは思わなかったなあ。米軍の依頼で横須賀まで駆り出されたんだよ。あれはなんて言ったかな…? 伊号…潜水艦」

老人が言うには戦後、米軍は日本海軍から接収した潜水艦の修理をするために大規模な人集めをしたそうです。接収された潜水艦は航行不能だったらしく、集められた技術者で潜水はできないまでもどうにか浮かび上がる状態にはしたそうです。

「アメリカ本土まで回航できる状態にしたんだ。潜水はできなかったが…。ありゃあ、なんて名前だったか…。伊号…番号が思い出せない」

老人は腕組みをしたまま目を細めて微笑んでいました。潜水艦の名前は思い出せないが、それ以上にその船を動かせる状態にしたことに満足だったと教えてくれました。

時折その時の老人の話を思い出し、こう考えるのです。
「横須賀から出航したとするとその潜水艦は何だったのだろう?」

先だってNHKの歴史番組を見ていたところ、戦後、横須賀を出航してアメリカに手渡された潜水艦はイ400という話が飛び込んできました。老人の話ともしも合致するとすれば、実はこれはものすごい話です。イ400は当時、アメリカにもソ連にも存在しない世界最大の大きさを誇る潜水空母だったのです。


一路お台場まで

2015.5.29

隅田川に架かる勝鬨(かちどき)橋を渡り始めた時に、私は自分の体がかなり重くなっていることに気がつきました。私だけではなく、後ろでペダルを踏んでいるカミさんも少し辛そうでした。この橋の手前には築地中央市場があります。その周辺には飲食店が立ち並んでいて、うっかりと寿司屋に入ってランチの握りセットを食べたのが失敗でした。自転車で長距離を移動する時は、炭水化物の中でもうどんやそばといった消化の良い麺類を選ぶのが定石なのです。

数年前に家族揃ってミニベロタイプの自転車に乗り、お台場へ行こうということになりました。自宅のある大森西からは第一京浜に出てひたすら走り、品川、新橋と一直線で行くことができます。しかし、銀座から晴海通りに折れてお台場まで行こうとすると幾つかの難関が待っていました。その最初の難関が勝鬨橋だったのです。

この橋はアーチ橋で横から見たら弓のように反った形をしています。つまり橋の真ん中まではずっと登りで、橋が長ければ自転車のペダルを踏むのが辛くなります。登ってしまえばあとは楽なのですが。

しかしこれを越えても次は晴海大橋が待っています。この橋はもっと大きくてさらに長い。脚に体重をかけてペダルを踏み続け、橋の途中でペダルを踏むのが止まりそうになります。橋の向こう側には近代的なビルが立ち並び、青い空と黒々と波打つ海が見えて景色は綺麗なのですが、橋の真ん中に近づくまでに力尽きそうでした。

どうにか家族3人、橋の真ん中を越えることができると今度は緩やかな下りです。心地よい風を受け体の筋肉に蓄積した熱が冷まされていきます。サドルに身を預け、あとは下るだけなのはなんとも気持ちがいい。今度は周りの景色を見るのにも余裕が出てきます。

江東区の有明に入ると最後にのぞみばしが待っています。この橋はそれほど長い橋ではありませんが、体がもうこれ以上の橋はイヤだと悲鳴を上げています。意地でペダルを踏み続け、有明西運河を越えるとやっとお台場が見えてきます。

あとは平坦な道のりで海浜公園を通り、フジテレビ前、潮風公園に来て無事にゴール。私もカミさんも、子供もみんな黙ったまま体を投げ出して息を整えます。片道で25キロ走行して、もう帰りの距離だとか、またあの橋を3つ渡らなければとか考えたくない感じになっていました。

その日、帰宅したのは夜の8時過ぎ。畳に体を投げ出して、腰も肩も腕も足も全身が痛くてたまらないのに、 寝転がった瞬間に全身から拘束具を取り外したように体が軽くなります。この開放感がたまらなく良いのです。走っている時にどんなに辛いと感じても、この開放感を知ってしまうと自転車乗りはやめられないのです。


くだもの

2015.5.22

先日、ある作家の『好きな果物』というエッセイを読んで、ふと自分自身のことを思い返していました。自分の好きな果物ってなんだったのだろうと。あれ? もしかして自分は自分が好きな果物のことを忘れているのではないかと…。

子供のころ好きな果物はスイカでした。金銭的な事情でメロンを口にすることはあまりありませんでしたが(苦笑)、やっぱり夏はスイカ。秋なら梨やブドウだったかなと思います。いや、今でも少しの量なら口にするのですが、頭のどこかで「この果物、カリウムはどれくらいだったっけ?
とどうしても考えてしまいます。

憎むべきはカリウムの存在。ヤツのせいで、自分の好きな果物のことを忘れてしまっている。もしかすると果物が好きだという気持ちを自分で殺しているのかもしれないと思うと、ちょっと寂しい気持ちになります。

低カリウムメロンの開発は朗報でした。いかんせん、まだお値段が高いようですが、今少し生産が増えれば、手の届く時が来るのかもしれません。いや、メロンだけではなく、いちごとかスイカとか、他の美味しい果物がなんの心配もなく食べられる時が、もうじき来るのかもしれません。

その時はしっかりと自分の好きな果物を安心して味わってみたいですね。


保存期の思い出

2015.5.15

私の保存期の思い出ですが、一番印象深いのはイタリア製の低蛋白パスタです。少々割高でしたが、このパスタは定期的に購入していました。蛋白質量が0.2g〜0.6gとかなり少なく、市販のソースなどとの組み合わせで手早く作れるので重宝しました。この製品が日本に入ってくるまでは、パスタを食べることを諦めていたのですから麺好きには救世主のような存在です。

また低蛋白パスタは腹持ちも良かったことから、私は毎朝の食事で食べていました。市販のたらこソースとの組み合わせでも摂取する蛋白質は3g未満に抑えられることから、昼夜の食事量が少し増やせるのが良い点です。味も普通のパスタと遜色ないので、違和感なく味を楽しめるのが良かったです。

確か中華麺タイプと呼ばれるものもあり、これは平打ち麺でした。平打ち麺を使うときはカルボナーラソースを使うと、味も見た感じもしっかりしたカルボナーラを楽しむことができました。

蛋白質調整の食品は、もちろん腎機能を保存するためのものですが、ちゃんと味を楽しむことができるということではこの低蛋白パスタを超えるものは無かったと私は思います。もともと保存期の食事療法発祥の地はイタリアということを人から聞きましたが、こんなしっかりとした低蛋白パスタを作り出せるイタリア人はすごいなと思います。

今でも非常食のために台所の棚に少しだけ常備してあります。時々賞味期限が切れる前に思い出して、たらこソースを絡めて食べるのです。このパスタが無かったらきっと保存期に食事を楽しむことはできなかっただろうなと、今でもそう思うのです。


子供のお弁当作り

2015.5.8

3月の終わりに無事に退院できたのですが、4月に入ってから慌ただしい毎日を過ごしています。

子供がこの4月、無事高校に入学しました。学食があるのに家庭からのお弁当持参率が異常に高い学校で、我が家でもお弁当を持たせることになりました。朝早く起きてお弁当を作るのはもちろん私です。

6時少し前に起きて、味噌汁の出汁を作るところから始めます。並行して冷蔵庫からレタス、キュウリ、人参といった野菜類を出してきて、切ったり水にさらしたりをします。冷凍庫から冷凍食品をいくつかチョイスしてお皿に盛り付け電子レンジで温めます。卵を割り、冷ました出汁と砂糖、醤油を少量かき混ぜて、フライパンに卵を薄く広げてくるくると巻き、厚焼き卵を作ります。ウインナーには細かく切れ目を入れて軽く焦げ目が付くまで炒めると、香ばしい匂いが台所いっぱいに広がります。

6時半過ぎる頃、子供が目をこすりながら起きて、お弁当箱におかずを詰め始めます。その間に私は引き続き朝食作り。

こんな感じでお弁当作りを始めて3週間が過ぎました。ふと思い出すのは私の母親のことでした。いつも遅い時間まで起きていて、翌日は誰よりも早く起きて私や父親のお弁当を作っていました。やはりそういう姿を見ていると、自分も同じようなことをするんだなあと感じます。

朝食を作っていると子供がコーヒーを入れてくれます。彼が学校に持っていく分の余りですが、私は味噌汁を作りながら子供が入れてくれたコーヒーをすするのです。眠気が取れて頭がシャキッとするのは決してカフェインのせいばかりではないと思うのです。


私の横浜の楽しみ方

2015.4.24

毎年家族で楽しみにしている横浜のイベントがあります。それは5月の終わりから6月の初めまで横浜で行われる「秋じゃないけど収穫祭」というイベントです。このイベントは「横浜セントラルタウンフェステバルY155」と連携して行われることが多く、日本大通りから元町・中華街・山下町・関内・馬車道・山手と広範囲なエリアに渡る実に賑やかなお祭りになります。このイベントには家族揃って、もう5年連続で通っています。

神奈川県産の食材・加工品、環境に配慮した雑貨の販売や、tvk(テレビ神奈川)の番組で紹介した食品店、雑貨店のブースなどが並びます。また、タレントによるトークショウ、ミュージシャンによるミニライブなど気軽に参加できて楽しめるイベントがたくさんあるのです。

私は家族共々tvkの情報番組をよく見るので、テレビ番組で紹介されたラーメンやスモークチーズ、落花生、手作りプリンなど、事前に行くブースをチェックし食べる順番を決めてブースめぐりをするのです。

一通り食べて目的のライブなどを鑑賞すると、あとは山下公園を散策したり、大桟橋へ行って海を眺めたりします。横浜県庁の建物が一般公開されることもあるので、議場など古く伝統のある建物を見て回るのも面白い。天気が良くて見渡しがよければバスで移動して『港の見える丘公園』へと向かいます。ここから見える横浜港の景色や、周辺の様式建築などは情緒があって素晴らしい。

時間があれば場所を桜木町へと移し、寄席『横浜にぎわい座』に寄ることもあります。ここの館長は前回紹介した桂歌丸さん。寄席としてはかなり大きく、施設も新しいので気持ち良く落語、漫才、大道芸などを楽しむことができます。客席と舞台の距離も近いので、落語家さんが扇子を箸に見立てて蕎麦をすすったり、手ぬぐいを財布に見立てて小銭を出したりする仕草を間近で楽しめます。

公演の予定は1ヶ月先までインターネットで公開されているので、目的の落語家さんがいる場合は、事前にチケットを買っておくのが良いでしょう。好きな落語家さんを目の前で見ながら、小噺を楽しむというのもまた一興です。

横浜は他にも楽しめる場所がたくさんありそうです。今年はどこへ行こうかと、今から考えているところです。


iPadで落語を聴く

2015.4.17

作家の遠藤周作さんは小説では「沈黙」「海と毒薬」「黄色い河」など重厚な作品を書かれましたが、エッセイでは気軽に読めて、面白く、笑えるものをたくさん書いていました。小説の世界とエッセイの世界ではギャップが激しすぎるので、同一人物かと思えるほどです。

その遠藤周作さんも若かった頃は肺炎を患い、病院への入退院を繰り返したそうです。その時に病室の中で聴いていたのが落語のカセットテープだったそうです。そのことをエッセイで読んだ私は、いつか機会があれば透析の時に落語を聴きたいと思っていました。

今であればiPadを使い落語のオーディオブックを購入して聴くことができます。私は子供の頃から馴染みのある桂歌丸さんの『うなぎや』『おすわどん』『つる』『井戸の茶碗』『鍋草履』を選ぶことにしました。

桂歌丸さんは私が生まれた頃には真打に昇進していました。ですから子供の頃からずっとテレビで見ていたので、話している時の身振りや手振り、表情なども頭に浮かんできます。

聴き始めると最初に太鼓と三味線のお囃子があり、舞台袖から歌丸さんが登場すると会場から拍手が起こります。座布団のところで膝を折り曲げて座るともう一度拍手が。一拍おいて、いよいよ噺が始まります。

歌丸さんの落語の中の枕詞(落語の本題に入るまえの話。そこから本題、オチへと続く)でこんな話があります。

「我々落語家にはたいそうなことではありませんが階級というものが3つございます。たったの3つです。前座、二つ目、真打でございます。…前座、二つ目、真打…あえて言うならそのあとの位置に“ご臨終”ってえのがありますが、できることなら入りたくない(笑)」

子供の頃から知っているので安心感のようなものがあるし、言葉の説明など枕の部分で丁寧にしてくれます。ちなみに落語には江戸落語と呼ばれるいわゆる“べらんめえ調”の話し方がありますが、歌丸さんは横浜出身の“浜っ子”ということもあり、江戸言葉は使わず、はっきりとした日本語を話すように心がけているそうです。ですから音声だけでも噺の筋がスーッと頭に入ってきます。

今回は『井戸の茶碗』という話を紹介します。主要な登場人物は次の通り。

・くず屋清兵衛(せいべい):江戸時代のリサイクル屋で曲がったことが大嫌い。同業者からは「正直清兵衛」と呼ばれています。 ・千代田卜斎(ちよだぼくさい):長屋に住む浪人で、こちらも正直者。器量のいい娘がいる。 ・高木佐久左衛門(たかぎさくざえもん):細川家の若き家臣。この人も曲がったことは大嫌い。

ある日くず屋清兵衛が裏町に入っていくと、身なりは粗末ですが大変器量の良い娘に声をかけられます。長屋に招かれると父親の千代田卜斎から、薄汚れた仏像を買ってもらいたいと請われます。

清兵衛さん「自分は本当にくず専門で、目利きには自信がなく自分ばかりが儲かってもしかたがない、かといって損をするわけにもいかないので、骨董品の類は一切預からないのです」と一旦は断るのですが、そこをどうあってもと、千代田卜斎から土下座をされて頼まれてしまいます。

お侍に頭をさげられちゃあ、と 「でしたら一旦200文(江戸の中期でしたら米1升でお釣りがくる)で預かりますが、もしも高く売れたのなら、高く売れた分は半分は自分の分に、半分は千代田の旦那にお渡しするということで、お引き受けします」と約束をします。

この仏像は、若きお侍・高木佐久左衛門が300文で買うのですが、薄汚れた仏像をぬるま湯でぬらして綺麗なサラシで拭いてやると、仏像の底から50両という大金が出てきました。

高木は「自分が買ったのはただの仏像であって、中の50両を買ったわけではない。このような仏像を手放さなければならないのには、のっぴきならない事情が千代田殿にはおありだろう。だから、この50両は千代田殿に返してくれ」と清兵衛に頼みます。頼まれた清兵衛は預かった50両を持って千代田の元へ。

ところが千代田はこれを受け取らぬと頑としてはねつけようとします。清兵衛はもう一度、高木の元へと行きますが、高木もまた強情にこの金は受け取れないと拒みます。そこへ長屋の大家が間に入って…。

正直者が3人も集まるとどんな話になるか? この噺は実に心温まるいいオチなので、続きは是非聴いてみてください。


カタツムリ

2015.4.10

以前「息子は生き物に対する愛情が異常に強い」といったことを書きました(「子供と生き物 2014.11.7」)。

もう随分と昔のことです。息子は4歳くらいだったと思います。当時は普通に会社勤務でカミさんと共働き。土日は子供中心の生活で、歩きたい盛りの息子を連れて行楽地に出かけたり、近所の公園を散歩したりしていました。

雨降りが長引いていたある日、カミさんは「傘をさして、お散歩しましょう」と言いだしました。

「家の中でも遊べるし、何もこんなシトシト雨が降っている時に外出しなくても…」と思いましたが、カミさんはもう外に出る支度をしています。息子は雨合羽を着せられていました。まだまだ体も小さくて子供用の雨合羽が大きくて顔が隠れそうなくらいです。

外へ出れば案の定、シトシトと細かい雨が降り続いています。濡れずとも寒くなりそうな空気。傘を掲げて空を見上げれば、重くのしかかる曇天が広がります。

カミさんは息子の手を引いてズンズンと歩いていきます。どこか公園へ行くのかというとそうではなく、家からそう離れていない住宅地でした。普段はあまり通らない路地などへ入り歩いていきます。近所だというのに見たこともない知らない道を歩きます。そこはまるで路地裏の迷路のようでした。

突然、足を止めたカミさんが言いました。

「やっぱりいたわ」

目の前にあるのは雨に濡れた黒いコンクリートの壁でした。

「ん? 何がいるの?」

「ほら、たくさんいるじゃない。これとか」

カミさんの指差した先には白くて丸い貝殻がうごめいています。貝殻は小ぶりですが軟体質の体をこれでもかというくらいに伸ばし、コンクリートの壁のあちこちに貼り付いています。よく見ればそれはカタツムリでした。息子が小さな指を伸ばして数えてみると1つの壁に7匹、他の壁にもまだまだいるようです。

「こんなシトシト雨が降る日には、都会の街中でもカタツムリが集団で壁を張っているのよ」

息子は「なんでいるの?」と聞きます。

「カタツムリは貝殻のお家を持っているから、それを強くするようにコンクリートの壁に含まれるカルシウムをたくさん食べるの。こうやって小さな体をいっぱいに伸ばして体全体でお食事するの」

私はカミさんの説明に感心してしまいました。付き合って以来、そうした生き物のことに詳しいとは知らなかったのです。

それからだいぶ後になってから気がつくのです。

息子の生き物に対する異常な愛情は母親譲りであったということを。


久しぶりの入院です

2015.4.3

シャント感染の疑いで久しぶりに入院することになりました。幸いなことに日ごろ透析でお世話になっている病院には入院施設が整っていたので、シャントの腫れを感じたその日に病院に直行し、その翌日から入院することになりました。

シャントの吻合部(動脈と静脈を繋いだところ)が赤く腫れて触れると痛みがあり、すぐに抗生物質の投与が決まりました。感染であれ炎症であれ、透析患者にとってシャントが命綱であることに変わりはありません。何か異常を感じたらすぐに主治医に相談するのがよいのだと思います。

あまり腫れがひどくならないことから数日の入院で済むかと思ったのですが、入院のストレスもあったのか急に歯肉炎が痛み出したり、ベッドとの相性が悪く腰痛に苦しんでいます。結果、入院期間が延びてしまいました。東京では桜の開花が始まったとのニュースもあって、こんな時期に入院とは情けないやら…。

ですが普段の透析の時や以前にも入院した時と同様に、私は病室にパソコンを持ち込んで“書くこと”だけはしています。透析のない日、病室は書斎へと変わります。情報カードの紙片に万年筆を滑らせて原稿のメモを書き、それを後からパソコンで清書するというスタイルは自宅にいても病院にいても変わりません。ベッドに備え付けてあるテーブルはそれほど大きなものではありませんが、スペースが狭い分、書くことに集中できます。

実は今入院している病院は結婚したばかりの時に住んでいた地域にあります。しばらくは検査などが続いて時間が取れませんが、落ち着いて外出許可が降りたら桜並木のある緑地公園を訪ねようと思います。

桜が散る前には何としても退院したいですね。


体に良い食べものには“ヤツ”がいる

2015.3.27

これって私だけでしょうか?

ニュース記事の検索をしていて「体に良い」とされる食べ物の記事を見つけるとすごく気になるのです。

でも、それって我々透析患者にとっては口にできないものが多いですよね。体に良いものには必ず“ヤツ”の姿が見え隠れするのです。それはみなさんご存知カリウムです。例えば、カリウムは体の中の塩分を排出してくれるという記事はすごく多くて、「ココナツミルクは体にいいのです、カリウムが多いから」とか。「バナナは1日1本食べましょう、カリウムが豊富ですから」とか。「イチゴはビタミンCが豊富で体にいいです。カリウムも一緒に摂れて塩分が排出できます」とか…。まあ、みんなカリウム縛りというのか、ヤツの姿が必ず隠れているのです。

いつも思うのは「うーん、健康な人には体に良いものが、我々透析患者には必ず制約になってしまうのだなあ」ということ。まあ、無いものねだりなのかもしれませんが…。

カリウムを大量に摂取してしまうとたちまち心臓に影響してしまうので、カリウムそのものを摂ることは諦めがつくにせよ、それ以外の栄養素で体に良いものだったらどうにかして摂りたいところです。でも、野菜や果物を水にさらしたり煮こぼしたりすることでカリウムと一緒に必要な栄養素も流れ出てしまいます。この矛盾というのか、ある種の理不尽さは我々透析患者にとっては昔から残された大きな課題です。素人考えなのですが、どうして手付かずというのか、放置されたままなのでしょう。

果物や野菜からカリウムのみを無効化する方法は見つからないのでしょうか。このことが解決できたら、透析患者の栄養状態はもっとよくなるし、安全に食べ物が食べられることは大きいように思います。

この記事をお読みいただいている製薬企業や、食品関係の企業にお勤めの方がいらっしゃいましたら、この問題の解決をぜひぜひお願いしたいのです。


体の心配の伝え方

2015.3.20

とある透析施設に通っていた時のことです。薬との相性が悪く、ずっと胃に不調を抱えていました。透析室に入ると、まずは看護師さんにそのことを伝えベッドに横になります。不思議なのですが、私は穿刺のタイミングくらいから眠気がきて、そこから1時間くらいは熟睡してしまいます。

その眠いタイミングで主治医がベッドへとやってきます。

「よしいさん、お体のお加減いかがですか? 」と、“いつもと同じ台詞”で話しかけてきます。 寝入っている時に起こされると不機嫌になるものですが、それでも胃の痛みがありますから、どうにか起きてそのことを伝えようとします。ですが、あまり適切な言葉が浮かばずに、

「…あの、…どうも薬のせいなのか、…夜寝る時に胃が苦しくて…」と、どうにかボソリ、ボソリと伝えます。

先生はにこやかな表情で「その薬はねえ、副作用が出ちゃうと仕方ないんだよねえ。しばらくは我慢して様子を見て…」とだけ言って、他のベッドへと行ってしまいました。

どうも慌ただしい透析室で、愁訴してもきちんと伝わらないのかなと思いました。

そこで情報カードに次のようなことを書き出しました。
 ・症状が出始めた日付
 ・透析無い日の夜に限って胃が痛くなる
 ・お腹が張るような感じがして、食欲が起こらない
 ・吐き気を伴ったり、胃の中がぐるぐると動いている感じする
 ・症状が翌朝まで続き眠れないこともある
 ・不思議と透析を受けている時は不調を感じない
 ・必ず薬を出してもらい、不調を治してもらいたい

このカードを次の透析のときに出して、自分の体の心配を主治医に訴えました。短い言葉では自分の伝えたいことがうまく伝わっていない可能性もあります。それを詳細に書いてみたらどうだろうかと考えたのです。事前に自分の体の状態を確認して、どんな苦痛や悩みがあるのかは書いておけると思います。

これを出した時は、やっと薬を出してもらえてちょっとホッとしました。

以来、何か体調のことで心配なことがあると、カードに書き出すようになりました。このカードは自分の手元にも取っておいて、もらった薬の名前など後から記録するようにしています。


5時間の透析を受け入れるようになったこと

2015.3.13

今でこそ5時間の透析をすすんで行っている私ですが、透析を始めたばかりの頃の時間は3時間半でした。この時はまだ透析効率のことなど知らなかったので正直「3時間半なら助かるなあ」と思っていました。

3時間半ならば会社を終えて6時開始で終了は9時半。急いで帰れば10時に家に着きましたから、タイミングが良ければ子供がまだ起きていてくれます。やはり子供の元気な顔が見たいという気持ちも強くて、この時は早く透析を終えたい、早く家に帰りたいと思っていました。

透析を受けている多くの人たちが、「透析の時間は(4時間だって)長い」「透析は早く終えたい」「早く解放されて家に帰りたい」と思っているのだと思います。私もそうでしたから。

ある時「やっぱり子供の顔が見たいから、早く帰りたいなあ」と私が言うと、ある技師さんから「死ぬよ」と言われました。透析の時間が短いと死ぬよ、という意味です。私があまりにのんびりとしたことを言うので、現実的なことを伝えたかったのかもしれませんが、危機的な状況を知らない者からすると、この言葉は反発を招くかもしれません。「死」という言葉を安易に発してもそれは相手には届かないかもしれません。どんな場合でもそうですが、相手が受け止めやすい言い方を考える必要があります。医療者でも、教師でも、親でも、人に何かを伝えようとする人は「伝え方」を考えなければ言葉は空回りするだけです。

結局私が透析を5時間受けることを望んだのは、「体が気づいたから」としか言いようがありません。流量不足、時間不足のいわゆる悪い透析を半年くらい受けて、どんどん体調が崩れていって「これではまずい」と思い、色々と調べていくうちに自ら望むようになりました。

「これは何か違うな、まずいな」と感じてからは早かったと思います。

体の大きさや年齢、血管の状態など、色々な要素があって、その人にあった透析のあり方はあるのだと思いますが、自分の体調と相談した時に今は5時間以上の透析が自分には合っていると思います。


障がいと向き合いながら、自分にできることは何か

2015.3.6

毎日何かしらの文章を書いています。じんラボの原稿しかり、普段の日常を書いているブログしかりです。

シャントの手術で入院した時も病室にパソコンを持ち込んでブログを書いていました。さすがに手術当日は痛みが激しくて無理でしたが、翌日には痛みも引いて片手でパソコンのキーをポチポチ打ち込みながら手術の様子などを書いていました。

このポチポチ片手で打つという経験が、透析導入後も自分は文章を書くことが続けられるのだという自信につながりました。最初の透析クリニックでもノートパソコンを持ち込んでブログの文章を打ち込んでいました。

以前、私は障がい者スキーの応援に家族で行っていたことがあります。毎年2月頃に長野県の白馬でジャパンパラリンピックがあり、ここではクロスカントリーの立位、座位の競技が行われます。片手を失い片手だけでピックを握る選手や片足が義足の選手、両足が使えずシットスキーを使う選手たちが競い合います。

そんな障がいを持ちながらスポーツに打ち込む選手たちを見て思ったのは、私も自分の障がいと向き合いそして何かに打ち込みながら生きなければならない、ということでした。何か一つ、これだけは続けられるというものが見つかれば、障がいを障がいとも思わなくなるのではないかと、彼ら彼女らのスキーに打ち込む姿を見て感じたのです。そして私にとってそれは文章なのだと思いました。

透析中に文章を書くことは、時折ぼんやりとするので誤字脱字が多いこともありますが、それでもこの時間に書くことは続けようと思っています。1度に書き著すことはわずかであっても、それを続けていけばいつか長い物語ができあがるように思います。それが自分の生きている証であり、私の思いを形にしたものだと思うのです。


新橋のサラリーマンに聞きました

2015.2.27

随分前に新橋の駅前でテレビクルーの人たちに声をかけられました。

「結婚していて、お子様はいますか? 共働きですか? 」とADらしき女性が聞いてきました。 「はい」と答えると即座にカメラマンがカメラを肩に載せ、女性アナがマイクをこちらに向けてきます。

女性アナはやや強い口調で「お父さんの“育児”についてお聞きします」と言いました。

「あなたは普段、どのように“育児”に取り組み、奥様を手伝っていますか? 」

力が入っているのかマイクは突きつけられたように見えました。女性アナは心なしか私のことを睨みつけています。「ん?このプレッシャーは…。あっ、これは正しい答えを言ってはいけないのかも」とすぐに気がつきました。ですが不思議とすぐに言葉が口を出てきません。“育児”という言葉からイメージがすぐにまとまりません。

答えに窮していると女性アナはじっと睨んできます。私はこう答えるのがやっとでした。

「育児というとあれですかねえ、子供をお風呂にいれてやるとか…」

すると女性アナはまるで責め立てるにようにこう続けました。

「他にも色々とあるんじゃないですか? 働きながらお子さんの面倒を見られている奥様のために、そんなことで良いと思っているんですか? もし、お子さんが病気になったらどうされるのですか?」

突然の攻勢でこちらはやや窮してしまいましたが、一拍おいてから、

「…いや、子供が病気の時は私が保育園にお迎えに行きます。会社の裏に子供の保育園があるので、保育園の人も『あそこはお父さんの方が早く連絡がつく』って思っているみたいなので、かみさんではなく、子供に何かあれば私の方に電話を入れてくるのです」

「それでは会社の上司の方は何か文句を言ってきたりしませんか? 」

「『すぐそこに子供の保育園があって、子供が熱出したそうです。お迎えに行かせてください』って言ったら文句も出ませんよ。それに会社には看護休暇制度があるので、急に子供の熱が出たときなどは申請できますから…」

ここまで話をしてカメラマンがカメラを止めました。女子アナもマイクを下げています。どうやらこれ以上は無理と分かったようです。その後はADの女性がにこやかに話しかけたのを合図に3人とも和やかな雰囲気になりました。

“育児”という言葉ではなく“家事”という言葉で聞かれたら、もっと上手く答えられたのかな、とも思いました。結婚してからずっと家事は分担していたので、まだ育児という言葉を意識していなかったのです。もしかするとその辺を見越して女子アナの人は“育児”という言葉を使っていたのかもしれません。

つまりこのテレビクルーは私のような人間ではなく、世に言う「ダメ亭主」を探して新橋にいたんですね。もう少しで「新橋のサラリーマン」ということでテレビに出られたかもしれなかったのに実に残念です。早い段階で向こうの意図には気がついたのですが、性根がビビりなので普段通りにしていることを言ってしまいました。


透析マンガ部

2015.2.20

私がバンザイさん外部サイトへに「今度一緒にマンガ談義をしましょう」と言ったのがきっかけだったと思います。それからしばらくしてバンザイさんがお友達に声をかけて、一緒にマンガ談義をしてくれる仲間を集めてくれました。それを私は「大人の部活動・透析マンガ部」と名付けました。

初回は昨年の夏に東京・新宿のお好み焼き屋さんに集まりました。アツアツ焼きたてのお好み焼きを頬張りながら、自分の好きなマンガについて語り合うというものです。私は子供の頃によく読んでいた、手塚治虫、石ノ森章太郎、山田ゴロ、永井豪、石川賢、大島やすいちといったマンガ家の話をしたと思います。

マンガの話というと子供時代の話にも触れます。毎月もらうお小遣いを工面しながら少しずつ単行本を揃えたとか、学校内で友達と回し読みをしたとか、実は立ち読みの常習犯だったとか(昔のマンガ本はビニールで包まれていなかったのです)。本当は欲しいマンガがあったのだけれど、駄菓子屋に寄った時に安い100円のプラモデルを買ってしまい買えなくなったとか…。これらは子供のころの共通体験でした。

そんな話が楽しくて先月第2回を開きました。場所は横浜にある北海道という居酒屋です。今回は、参加者各自が自分の好きな作品3点を持ち寄り、その作品への思い入れなどを語りました。私は最近また読み返すようになった諸星大二郎の『妖怪ハンター地の巻』『栞と紙魚子』と永井豪の『ゲキ慢!マジンガーZ篇』を手にしていました。『妖怪ハンター』は郷土史やわらべ歌をベースに、異界の闇から来る魔物と異端の考古学者・稗田礼次郎の戦いを描いた作品です。小学生時代にジャンプコミックスで出会い、その一種独特で不思議な世界に魅入られたことを話しました。

持ち寄る作品も作品への思い入れも、それはさまざまなのですが、話を聞いた後に実際に作品を手にとって「これは自分が知らなかった世界だな」とか「続きを読んでみようか」といったことを思うのです。子供の頃に友達とよくやったマンガの回し読みを、大人になってからまたやっているようです。

集いが終わってそれぞれが自分の生活に戻る時、あの人が紹介したあのマンガ手に入るのかな?とか、読んだら次の回では感想を言おうとか、ふと、そんなことを考えるのです。


中国の宇宙飛行士

2015.2.13

「酒泉(中国甘粛省にある都市)には人民解放軍の空軍の基地があるのだ。私はそこから来た解放軍軍人だ」

大学時代、私は中国文化コースを専門としていたことから2年に1度の割合で中国旅行をしていました。

それは1991年の頃のことだったと思います。列車で上海から南京、敦煌(同じく甘粛省北部にある都市)へと移動し、その帰りに酒泉に立ち寄りました。その酒泉からの帰りの列車のコンパートメント(寝台車)で、中国人男性と同室になりました。

男性はどう見ても軍人らしからぬ風貌でした。ずんぐりむっくりで背が低く、前に突き出た大きな腹はいかにも邪魔そうです。頭はだいぶ前に短く切った後しばらく放置したようで無造作、あらゆる方角に硬い毛が伸びきっているという感じ。中途半端に伸びた無精髭で頬は青々として、とても軍人とは思えない出で立ちをしていました。

「私はもうこんな歳で、出で立ちもこうだが、今でも若い空軍パイロットとトレーニングを積んでいる」

そんなことを言うのです。行儀も良いとは言えず、私が胸ポケットに入れていた日本製のタバコを見るや、すっと手を伸ばし「1本吸わせてくれ」と勝手に吸い出しました。

どこか嘘っぽい、と私はそう思っていました。「財布とトラベーラーズチェックは身につけている」と頭の中で確認し、私は男性に対して身構えていました。

でも列車が動き出してすぐに、車掌と男性のやりとりがあったのです。

車掌は「外国人との同室は禁止になっているので、別の車両に移ってくれ」と命じました。けれども男性が自分の身分証のようなものを見せると車掌は「お望みの通りに」と言って引き下がったのです。

「解放軍軍人にはこのような特権があるのだ」

男性はある時に「私は昔、酒泉の空軍基地で宇宙飛行訓練も受けたことがあるのだ」と言いました。
正直、宇宙飛行とは大げさな嘘をついていると思いましたが、男性はこう続けました。

「その時、宇宙飛行訓練を教えてくれたのがソ蓮の “がありん”なのだ」

…がありん? 誰だそれは? と私は思ったのですが、その直後に気がつきました。

がありん、がありん、…がありん! がありんって、あのガガーリンのことか!?

私が驚いた顔を見て、男性は汚れた歯を爪先でほじりながらほくそ笑んでいました。私は騙されたのだなと感じたのです。

それから時が過ぎた2003年10月にテレビで中国初の有人宇宙船・神舟5号の打ち上げ成功のニュースを知るのです。

その時ニュースキャスターはこう言いました。

「打ち上げには中国甘粛省にある『酒泉衛星発射センター』が使われ…」

あの酒泉に宇宙船の打ち上げ基地があったのか…。まさか本当にあったとは…。

私の頭に男性のほくそ笑んだ顔が浮かんでいました。


文章を書く時に思うこと

2015.2.6

私は文章を書くときに、何かを積み上げていくという感覚があります。文章を書くことを繰り返すたびに、新しい何かを積み上げていくという感覚です。

文章を書くのには準備が必要です。テーマを自分で決める場合はそのテーマを探すために、書籍や新聞などさまざまな文章を読みます。読んでいるときにはメモを取る場合もあります。テーマとなりそうなキーワードもそうですが、読んだ文章の文体や、自分の知らない言葉があればそれもメモに取り、必要があれば辞書を引いてその内容も書き留めます。

そうして集めた情報を最後にまとめるのが実際に「書く」作業となります。書いている内容がテーマから逸脱していないか、それを意識して言葉を重ねます。書き留めておいたキーワードや新たに知った言葉をどう使うかを考えて積み上げていく。そんな感じです。

そして次にまた新しい文章を書くときは、また同じように情報や言葉を集めるところから始めるのです。

「文章芸術の極北を目指しなさい」

これは私の文章の師である作家・小川国夫さんの言葉。極北の行き着く先は本当に遥か遠くです。

文章はこれができるようになって完成ということはありません。まさに小川先生はそうした作家で、80歳で亡くなられる最後まで小説を書かれていました。

先生の背中はまだまだ遥か遠くです。それでも積み上げる作業は諦めません。昨日の自分よりは少しでも上に。文章の極北には目を向けたまま。そんな気持ちで今日も文章を綴るのです。


ストレッチのススメ

2015.1.30

普段は在宅で仕事をしていることが多く、油断をすると1日中座りっぱなしということが多いです。時々コーヒーを入れたり、昼食の支度をしたりすることで台所に立つことがありますが、それ以外は食卓を使ってずっと座りっぱなしで仕事をしています。

私の仕事の一つに『腎臓病と透析に関わる最新ニュース』をウェブから検索して、じんラボのFacebookに掲載するというのがあります。ニュースの検索をしていると時折、気になるニュースを目にすることがあるのです。

例えば『1時間座りっぱなしで寿命が22分縮む!?』であったり『座りっぱなしの生活を続けるとガンのリスク高まる』といったものです。実際にこれらのニュース記事をFacebookで紹介していますが、実は「まさに自分のことだよな〜(-_-;)」と冷や汗を流しています。

確かに、ジッとパソコンの画面を見続けて2時間、3時間と長い時間作業をしていると、後半には頭がぼんやりとしてきます。そこで1時間ごとに5分の休憩を入れて、部屋の中を歩いたり体を動かしたりしてみました。するとぼんやりした頭が目覚めたようにシャキッとしてきました。エコノミー症候群と一緒で、体の中で血流が滞っていたのでしょうか。

1回の時間は短くても隙間の時間で繰り返し行えば、それなりの運動量が確保できるのではないかと思います。最初は軽いストレッチでも充分に効果があるでしょう。また体の内部の筋肉を強化する体幹トレーニングには、寝ながらでも楽に始められる方法もありますので、運動専門の雑誌などを探してみてはいかがでしょうか?

また生き活きナビの『理学士ゆうぼーのじんラボ運動講座』ではさまざまなストレッチ方法を紹介していますので、ぜひこちらもご覧ください。


立ち会い出産のこと

2015.1.23

「会社の裏に助産院があるのよ。そこで私、産もうと思うの」

私は飲んでいたお茶を吹きこぼしそうになりました。もう16年くらい前の話です。私はかみさんに立ち会い出産を迫られたのでした。

「会社の裏」というのは、当時私が勤めていた会社の裏ということです。男性にとって出産の現場というのは少し怖い印象があるのではないかと思います。当時の私もそうでした。ですがかみさんはどこで調べてきたのか、私が務める会社の裏に助産院があることを突き止め、そこで産むというのです。言い換えれば私が立ち会い出産から逃げられないようにするということです。

当時私は会社の新入社員の技術教育担当をしていました。私の担当クラスの教室の窓を開けると、かみさんが言う助産院の建物が目の前に飛び込んできます。一瞬、自分が教壇に立っている時に、出産時の我が子の泣き声が教室まで響き渡るような錯覚がありました。

実際には1999年5月9日の夜、自宅で破水が起こりました。予定日よりも少し早かったことから、かみさんは一人でタクシーに乗り助産院に向かいました。私は翌日の早朝5時に電話で起こされました。

「う、生まれる…」

受話器からのかみさんの声に私も動揺しました。一応スーツに着替えて、タクシーで助産院に向かい、助産院に到着すると助産婦さんからは「今は陣痛が遠のいている」と説明を受けました。かみさんも涼しい顔をしています。

しかしその後は1時間おきに陣痛が来たり、遠のいたりの繰り返しでした。陣痛が来るとかみさんは苦痛で顔を歪め、私はかみさんの手を握りしめて一緒になって「ひーひーふー」と繰り返します。

陣痛が来たり遠のいたりを繰り返し、お昼の時間を過ぎた頃、事態が急変しました。

「頭が見えてきている」と助産婦さんは言いました。

昨夜の破水から11時間あまりが過ぎました。私が助産院に到着して手を握り6時間が過ぎようとした時、助産婦さんは赤ん坊の頭を掴み取り引っ張るようにしてやっと待望の赤ちゃんが生まれてきたのです。

あれほど長い時間、苦痛に顔を歪めていたかみさんの顔に満面の笑みが浮かんでいました。

私は子供が生まれてすぐに隣にある会社へと向かい、上司の席まで飛んで行きました。

私は窓の外を指さしながら「たった今、そこで息子が生まれました! 」

それを聞いた上司はこう言いました。

「え、そこって、会社の裏で産気づいたってこと? 」

……猫の子じゃあるまいし、そんなわけないじゃありませんか(-_-;)


ヘルプマーク

2015.1.16

先日、都営地下鉄の駅でヘルプマークをもらってきました。 ヘルプマークというのは義足や人工関節を使用している人、内部障害や難病の人、妊娠初期の人など、援助や配慮を必要としていることが外見では分からない人々のために配慮を必要としていることを他の人に知らせるために作られたマークです。

私は電車の中で体調が悪くなることはあまり無いので、自分が持つかどうかで少し悩んだのですが、こうした取り組みが多くの人に伝わればと思い持ち歩くことにしました。出歩く際、カバンにぶら下げているのを他の人が見て「これは何だろう?」と思ってくれれば良いかなと思ったのです。

東京都で出されているヘルプマークは赤いので、カバンに付けていると目立つように思います。ですが、これを付けていて電車の中で席を譲られるということはなかなかありません。 「よろしかったらどうぞ」 と、声をかけられたことは無く、まだまだ知名度は高くないと思っていました。

先日、電車に乗って空いている席に座ろうとしたのですが、別の男性に先を越され席に滑り込まれてしまいました。男性は視線を落とし目が合わないようにしています。こちらも何かバツが悪い感じになってしまい、男性に背を向けて何事もなかったように振る舞いました。

その時、私のカバンに付いていたヘルプマークがゆらゆらと揺れていたのだと思います。恐らく男性の目にそのマークが写ったのでしょう。慌てて立ち上がり別の車両に走り去ってしまいました。

あとにはぽっかりと空いた席が残されていました。

「せめて一言、どうぞ、と言ってくれたら、ありがとうって言えたんだけど…」


散歩はお得?

2015.1.9

ウォーキングはCKD患者さんにも良いとニュース記事にありました。以前は運動は一切いけないと指導されたものですが、こうした研究がきちんと発表され、色々な制約がなくなれば患者にとっては本当に良い事だと思います。実際、適宜休憩を挟んだりして、体に負担がかからない程度の運動も良いのだと思います。

私の住んでいる大田区の京浜運河沿いは多くが埋立地で、散歩にぴったりの広い公園がたくさんあります。少し距離があるところだと城南島海浜公園があり、ここからは羽田空港を離着陸するジャンボジェット機の大きな機体を眺めることができます。

近い場所だと平和の森公園があり、ここへは歩いて行くことができるので、かみさんと2人、お散歩コースにしています(以前は家族3人で歩きましたが、最近は子供が大きくなって付き合ってくれません)。

鬱蒼と木々が生い茂り緑の多い公園です。夏場の暑い時期には早朝に出かけて、この公園にある石のベンチでの読書が日課だったこともあります。

その時のことですが、一匹の猫が上空を睨みつけて何かを待っているようでした。視線の先は木の上の方で、ジージーとセミが鳴いています。

私は本を閉じてその猫の様子を見ていました。猫は姿勢を低くして、前足の爪を地面に立てて今にも飛びかかろうとしています。

「何を狙っているのだろう? 」私はかみさんに言いました。 「しっ!」と、かみさんは口の前で指を立てます。

その時、ジージーと鳴いていたセミの声が突然途切れました。そしてそのセミは木からぽとりと落ちてきたのです。その刹那、猫は上空高く飛び上がり、空中でセミをくわえたのです。

そのまま地面に着地して猫はセミを貪っていました。

私もかみさんも初めて見る猫の習性に驚きました。猫はセミの寿命を知ってか知らずか、木からセミが落ちるのを待っていたのです。その後、しばらく観察すると別の猫までも落ちてくるセミを空中でキャッチしたのです。最初の猫は「自分が待っていたのに」と言わんばかりにそのもう一匹を睨みつけていました。

私たち夫婦は何か人間が知らない、猫たちだけの不思議な世界を見たような気になりました。辺りからは静かさも消え、都会の喧騒が今まさに始まろうとしていた時のことです。

この公園はどこにでもある公園なんですが、普段歩かない時間を狙って散歩に行くと思わぬものに出くわすというお話です。お散歩は体に良いだけではなく、時には見たことのない何かの発見があるのかもしれません。


子供が入れるコーヒー

2015.1.2

我が家には木箱が付いた古いコーヒーミルがあります。もう20年は使っています。大抵、私がゴリゴリと豆を挽き、家族の分までまとめてコーヒーを入れるのですが、先日これを見ていた子供が「自分もやりたい」と言ってくれまました。

そんなに難しいことではありませんが、自分がやると言ってくれるのですから親としては嬉しいことです。

「そのハンドルの根元のところに、コーヒー豆をまずスプーン1杯入れて…。そう。左手で下の箱の部分をしっかり握って、ハンドルをグルグル回す。…手応えがなくなったら粉を箱から出して、ドリッパーのペーパーフィルターに…」と教えてあげました。

以来、日曜日の朝などは彼がコーヒーを入れてくれることがあります。

せっかく子供が関心を持ってくれたので、東京根津にあるみのりcafeのオーナーであるのぶさんが主催する「コーヒーマイスターと楽しむプチコーヒーセミナー」に親子で参加しました。

大人ばかりが集まるセミナーだったので、中学生の彼はちょっと緊張していたみたいですが、コーヒー豆の種類や、香り、味わい、ドリッパーにお湯を注ぐ時のコツなど、たくさんの学びがあったようです。

後日、子供がコーヒーを入れてくれました。味がすごく変わったのかは、実のところよく分からないのですが、彼には「のぶさんからの直伝」というこだわりがあったようです。どうやら良い師にめぐり会えたようです。

中学生がコーヒーにこだわりを持つ。とっても良いと思います。


食事の支度

2014.12.26

我が家では食事の支度は私がすることが多く、男子厨房に入らず、ということはありません。

結婚した時、私は慢性腎臓病(CKD)の保存期でしたが、ついぞかみさんは低蛋白での食事制限について深く知ろうとはしませんでした。まあ、いくら愛し合って結婚しているとはいえ、理解しきれない部分というものはあるものです。お互いに無理をしないということも長続きの秘訣でしょうか。

もともと料理が好きでしたので、結婚当初から私がすることが多かったのです。学生時代に昼は定食を出す居酒屋でバイトしていたことから、ハンバーグ、唐揚げ、トンカツ、串カツなど、まあ定食の定番と言えるようなものは大体作れました。

「スゴくおいしい!」とか褒められると、単純な性格なもんですから、「ならばもっとおいしいものを作ろう」と頑張るものです(世の奥様方、ここ大事なポイントです! )。もちろん、自分で作るので蛋白質量など調整できるというメリットもあります。

今は月、水、金と夜間透析を受けているので、その時家族が何を食べているのかあまりよく知りません(子供の情報によると冷凍食品が多いとか…)。火、木、土、日は大体私が作っており、在宅で仕事をしているときは原稿を書く片手間で、鰹節の出汁を作ったり、煮込み料理を作ったりしています。

最近はカオリさんから作り置きのコツなどを聞いたり、宿野部家の献立を参考にしたりして、ますます女子力が上がっている感じがします。

来年は子供も高校に上がるのでいよいよ給食も終わり毎日弁当を作らなくてはいけません。カオリさんから教わった作り置きのコツが発揮できるかな…。


書くことをココロの支えに

2014.12.19

今から10年くらい前の話です。

ある新聞の記事を見たとき、私は心が大きく動かされました。

ある在野の文学研究者の記事でした。その人は全身に麻痺があり体の自由がほとんど効かなかったのですが、本を読むことを生きがいにしていました。そして小説の中の主人公に障がい者が多くいることに気づきます。障がいを枷(重石)にしながらも強く生き、それを乗り越えることで小説は物語が成立している、我々障がい者も物語の主人公ではないか、と書かれていました。

その人は記事の中で、たとえ全身の麻痺が進み、ものを読み書くことができなくなったとしても、思考することが残ればそれで良いとまで言っていました。

小説『飢餓海峡』などで知られる水上勉さんは少年の頃、家が貧しくとあるお寺に小僧として出されたことがありました。その後どうしても小説が書きたいとお寺を出奔したそうです。70歳を過ぎて心筋梗塞を患い、万年筆すら持つことが辛くなったのですが、「文章を書きたい欲があった」ことからパソコンに関心を示し、キーボード入力での執筆を続けました。しかし、その後、網膜剥離も患うことになり、今度はパソコンの音声入力で執筆を続けたのだと言います。その時水上さんは、パソコンは障がい者や高齢者、地方に住む者のハンデキャップを補うものだと気づいたそうです。

この2つの話は私に、情熱を持って続けられるものがあれば、病気も乗り越えることができるという気づきを与えてくれました。自分にとって情熱を傾けられるものは何だろうと考えたときに、思いつくものは文章くらいしかありませんでした。けれどもそれが今、自分にとっての大きな支えになっていることは間違いありません。

透析室のベッドでiPadを開いているとよく「透析中に何をしているの?」と聞かれます。私は「いつもブログを書いているんです」と答えると、相手の方によく驚かれます。

透析室でブログを書くのは今年で3年目になります(余談ですが書き始めた年に所長と出会いました)。おそらくこの先もずっと続けていくことになるでしょう。私にとって透析室は自分が一番書きたいことを書くことができる書斎であり、文章は一番情熱を持って続けられることなのですから。


高校時代

2014.12.12

息子はは中学3年生の受験生。先日親子2人で私立高校の学校説明会に行きました。

私立だけあって設備や環境がしっかりしているという感じです。他にも公立高校の学校説明会に参加しています。都内の公立高校はビル街のど真ん中にあり、グラウンドも狭くクラブ活動では大変そうな印象だったのですが、さすがに私立高校ではそんなこともなさそうです。

子供が選んだ私立高校は以前デザイン科のコースもあり、アトラクション部(スーツアクション、つまり戦隊ヒーローのアクションをするクラブです)やボイスアクション部(アフレコなど声優さんのような活動をするクラブです)といった他には無い部活動がある、特色ある学校のようです。

子供の数が減ってきていることもあるのか、公立私立と共に中堅クラス以上であれば、どこも大学受験の勉強に力を入れているようです。私の高校時代だとちょっと考えられないことでした。 昔の公立高校中堅クラスといえば、勉強は個人のレベルでやるもの。意識の高い生徒は予備校に通うというのが当たり前でしたが、今の高校では、受験予備校くらいの指導、環境、教材の提供が「売り」となっているようです。

もっとも、私の通っていた高校というのはあまりレベルの高いところではなく、中堅よりもやや下という感じでした。 ただ都立の新設校ということで、何かやりたいことがあれば自由にできるという校風がありました。

当時、私が入った高校には新聞部というものが無く、他にも自分が打ち込めるようなクラブ活動はありませんでした。そこで1学年の後半から生徒会選挙に出て書記となり、新聞委員会なるものの発足に奔走しました。生徒会では書記の肩書きを利用して、ひたすら原稿を書き、ガリ版刷りの新聞を勝手に発行して全校生徒に配っていたのです。

2学年の前半、つまり生徒会の任期中、生徒総会のどさくさで予算を計上、これを承認させて、とうとう新聞委員会の発足させました。体育会系クラブの級友からは「予算のブン捕り」と随分文句も出ましたが、新聞委員会では生徒会誌の編集を行い、各クラブ活動の紹介などを載せることで後日許してもらいました。

結局3年間、原稿用紙に文字を埋めることを続けていた高校生活だったと思います。あの頃と今も同じようなことをしていて、なんだかあまり成長が無いようにも思うのですが、それでも今現在まで書くということが続いていることには何か意味があるように思います。

自分の子供にも何か生涯を通じて続けられるものとの出会いがあればと、そんなことを考えながら勉強する姿を見ています。


京王線新宿駅のホームで見かけたこと

2014.12.5

事務所に出社する時は、いくつか電車を乗り継ぎます。まず最寄りの駅から赤い電車・京浜急行に乗って品川へ行き、品川からJRに乗り換えて新宿に出ます。新宿からは京王線に乗り換え千歳烏山で到着ですが、ある日、京王線新宿駅のホームにいたときの話です。

私はベンチに座って文庫に目を落としながら電車が来るのを待っていました。文庫から少し目をそらしてホームを見ると清掃員が丁寧にモップをかけています。

しかし清掃員はある一角だけモップをかけず、そのままにしてモップの先をバケツに浸しました。

残された一角を見ると、ジュースをこぼした後なのか埃がこびりついてうす黒く固まっています。

清掃員はその上でモップの先を自分の両手で、ぐっとしぼって水をかけました。そして丹念にこすっていくと、たちまち汚れが落ちてきれいになりました。

一仕事を終えた清掃員は素早くその場を離れました。

場所が外なら汚れるのは当たり前、そう考えてざっとモップがけをすることもできるのです。でもこの清掃員はそれを見過ごすことはありませんでした。こうした人たちがいてくれるので、他の人たちが気持ちよく駅が使えるのだと思います。

そう考えると同時に、自分もあの清掃員が使ったテクニックをどこかで使うことは無いだろうかと想像します。自宅にはモップで拭く広い床も無いし実践の機会は無さそうですが、せっかくの「巧みの技」です。どこかで使えないかと思うのです。

いや、せめてあの気遣いだけでも、何かで実践したいと思います。


アルマイトのお弁当箱

2014.11.28

アルマイトのお弁当箱を通信販売で買いました。昔はこのお弁当箱が主流だったと思います。父親は四角くて大きなサイズのものを、母親は黄色で深底のものを使っていました。私も中学生の時は父親と同じものを使っていました。高校に上がるタイミングで徐々にプラスチック製のお弁当箱を使い始める学友が多くなり、私も切り替えていったように思います。 アルマイト弁当箱。硬質で銀色の光沢を持つシンプルで四角い箱には、いわゆる“銀しゃり”が似合います。ご飯に梅干し一つを入れただけの「日の丸弁当」は、やはりアルマイトの弁当箱が似合うように思います。

「弁当に梅干しを入れる時は、上からご飯をかぶせてくれ」

と、昔、父親が言っていたことを思い出します。どうしてかと私が聞くと

「梅干しの酸が、長い時間かけて弁当の蓋を溶かして穴をあけてしまうのだ」

とまことしやかに言うのです。実際に穴の開いたアルマイトの弁当箱を私は見た事がありませんが、戦後すぐの時代のアルマイトは粗悪で、そうした弁当箱を父は見ていたのかもしれません。

今現在、売られているアルマイトのお弁当箱は梅干しの酸で穴があくことはないそうです。

その事とは別に、塩分を気にして梅干しをお弁当に入れられないのは、ちょっぴり寂しい感じもします。


自転車とお尻の関係

2014.11.21

先日ある方とお話ししたとき、「自転車に長く乗るとお尻が痛くなるんです」と言われました。

私は何気なく「それはお尻ができていないからですよ」と言うと相手の方はびっくりされたようです。

「お尻ができていない」という言葉にインパクトがあったようです。

自転車の座る部分−−サドルの種類によって硬さが違うので、長い時間自転車に乗っているとお尻が痛くなることがあります。サドルの硬さに慣れて「お尻ができあがって」くると痛みを感じなくなることがあるのですが、どれだけ乗ってもお尻が痛いということがあります。そういうときは自転車のパーツショップでサドルを買ってくることになります。

柔らかいサドルを買えば問題は解決するように思いますが、フカフカのクッションの効いたものだと、踏み込んだ時に力が抜けると言われています。硬すぎず、柔らかすぎない、自分にあったサドルを見つけるのには時間がかかります。

ちなみに自転車のサドルを低くすると姿勢が低くなるので体には楽ですが、あまり足が伸び切ることがありません。使うのは腿の部分だけなので腿ばかりが太くなっていきます。サドルをやや高めにしてペダルを踏み込んだときに足が伸び切るようにすると、腿からふくらはぎまで、下半身全体を鍛えることができます。足は体の血液の循環を良くするポンプの働きをすると言われますが、血圧が低い人はふくらはぎを鍛えると良いそうです。

今は自分に合った良いサドルを見つけ、お尻もできあがってきました。でも、よしい家の押し入れには自転車のサドルが幾つもしまってあり、かみさんは恨めしげに私を見ています。

「その余ったサドルはどうするのよ」

口には出さず目で語るのです。私はその視線に少し汗を流しながら耐えるのです。

私は尻に敷かれるサドルのような気分です。


大阪芸大にいた時の頃

2014.11.14

自分から会社の肩書きを取ったら何が残るのだろう? とずっと考えていたことがありました。 今から10年くらいの話です。

自分が好きなことと言えば、文章を書くことくらいです。文章はゼロから勉強したいと常々考えていました。新聞で大阪芸術大学通信教育部の広告を見つけた時は、これだと感じました。大阪芸大には文芸学科があったのです。

普段は自宅で教科書を読み、レポートを書き、夏はスクーリングで大阪の南河内まで足を運びました。

実際に始めると自分がこれまでにやった事のないことばかりでした。大学での授業では「詩論」「文章論」「シナリオ創作」「大衆芸能台本演習」などを学びました。大阪らしい授業ですが「大衆芸能台本演習」では、生まれて初めて漫才の台本を書いています。授業の中では漫才コンビ・オール阪神巨人の"つかみ"の部分のみ切り出したビデオ映像を1時間見させられるという経験もしました。

通信制大学に通う学生は10代の若い人から高齢の方までいましたが、当時サラリーマンだった私は学生の中でも特異な存在でした。

当時、通信教育部・文芸学科の担当教官からは「人生はやり直ししようと思えば30代…いや、40代くらいからでもまだ間に合うよ」と言われました。作家の小川国夫先生(故人)からは、「文章芸術の極北を目指しなさい」と言われました。これら言葉は自分にとって大きな支えだったと思います。今、私にとって文章は一生涯付き合える相棒といった存在です。

会社とは別に自分にできることを探したあの時間は、私にとって大切なものだったと思います。


子供と生き物

2014.11.7

子供が生まれたばかりのころ、私には子供の存在が不思議でなりませんでした。

子供が自分の分身のように思えて不思議だったのです。今は中学生ですが、鼻から下は私とよく似ています。耳の形は私のものと全く同じで、確かに自分の息子なのだなあ、と思います。

ですが、似ていないところが一つだけあります。息子は生き物に対する愛情が異様に強いのです。

小学2年生のころ、青虫を12匹捕まえてきたことがありました。さすがにこれを見たときはびっくりしました。私は虫が大の苦手でしたが、子供はそういうところで違った感性を持っていました。

「タバコ屋の垣根にある葉っぱにはアゲハチョウの幼虫がたくさんいる」と、私が知らないような知恵をもっていたことも不思議に感じました。私にはその方面の知識が全く無いので、友達から聞いたのか本で調べていたりしたのだと思います。

しばらくすると、家の中を何匹ものアゲハチョウがヒラヒラと飛んでいるということがありました。

羽化の準備をしようと土の中から出てきたばかりの、アブラゼミの幼虫を捕まえてきたこともあります。その日は徹夜で観察して、幼虫から羽化する様子を自分のデジタルカメラで撮影していました。図鑑でしか見たことのない、羽化したばかりのセミの白い羽を、私は子供が撮影したデジタルデータで見たのです。

「ドジョウを飼いたい」。ある日、子供は言いました。

おばあちゃんが「それなら築地に行けば、分けてもらえるんじゃないかね」と言って連れて行ってくれたのですが、えらく築地市場の人に気に入られた様子の息子は、ドジョウを32匹もタダでもらってきました。せいぜい5匹くらい分けてもらえればと思っていたので、この数にびっくりでした。こっそりドジョウ鍋の作り方を調べたりしましたが、幸いというのか食用ドジョウはそれほど長生きせず5匹が生き残っただけでした。

今、彼は何も飼ってはいませんが、受験が終わる来年以降は「何か飼いたい」と言い出すのではないかと思っています。いや一番怖いのは、彼が黙って部屋で「何か」を飼い出すことなのです。昔から生き物の方から彼に近づいている、そういう感じが強いのです。


痛いの、痛いの…

2014.10.31

飛んで…。と、まあ「痛い」のが飛んでいくことなんてまずありません(>_<)

我々透析患者がきっと真っ先に痛いと思うことは、穿刺の失敗でしょう。あの言うに言われぬ痛さは患者にしか分かりませんね。もしかすると私だけかもしれませんが、ものすごく慎重に刺そうとする看護師さんほど失敗することが多いように思います。

看護師さん:「よしいさん、いきますよ…」(「ごくり」と喉の鳴る音が聞こえる)
よしい:「はい、お願いします」(ドキドキ)
看護師さん:「今、刺しますからね…」
よしい:「ええ、やってください」
看護師、シャントの血管を凝視して、
看護師:「えい!」
よしい:「ぎゃぁぁぁー!(x_x)」

このとき私の頭の中は、学生時代のバイト先で焼き鳥用の鳥肉に竹串を刺している自分の姿です。もうかるい走馬灯ですよね。それともニワトリの祟りでしょうか?

なかなか一般の人には分からないかもしれませんが、穿刺の失敗ってシャントの血管にちゃんと刺さっていないことが多いです。血管の中に穿刺針が入らなければ透析は開始できませんから、強者の看護師さんだとこのまま強引に血管まで刺そうとします。針先で探られるというのか、グリグリと縫われているような感じです。

ここまでいくと、こっちはもう失神寸前です。かといって文句をいうわけにもいかず、ガマンガマン…。

でも、最近は「一旦、止めましょう」と冷静に伝えることにしました(実は内心冷や汗ものです)。

できるだけ早く透析を始めたいという気持ちはありますが、失敗しているのに無理することもないと思うようになりました。 穿刺針を抜き、手当をしてもらって、止血できるまでは他の患者さんの穿刺を先にしてもらいます。その後改めて穿刺をしてもらうほうが上手くいくような気がするからです。

失敗した穿刺を無理にリカバーしようとするから余計に痛い。最近はそう思うようになりました。


缶入りドロップの秘密

2014.10.24

ペイシェントフッドの事務所内の一角には、缶入りドロップがたくさん並んでいます。 以前、このコラムにも書きましたが、所長は透析のときは食事を摂らず、もっぱらこの缶入りドロップを舐めているそうです。

缶入りドロップには「サクマ式ドロップス」と「サクマドロップス」の二つがあります。どちらも独特の形をしたスチール缶で有名で、サクマドロップの方がやや縦に長いですね。

大きさはタバコの箱よりも少し大きいくらい。ポケットにもどうにか収まる大きさで、いつでも持ち歩くことができます。上部に丸いフタがあり、このフタが固くて開かなくなることがありますね。このフタを10円玉か何かでこじ開けるという経験は、誰にでもあるのではないかと思います。

実はこの缶入りドロップですが、販売開始時のレトロなデザインのものなど数々のバリエーションがあります。ハッカのドロップだけが入っている白い缶のものとか、“非常食”とプリントされたものや、各種キャラクターが彩られたキャラクター仕様のものとか…。私はウルトラマン、ウルトラセブンの写真がプリントされた缶を買ってきたことがあります。

その中でも一番有名なのは、ジブリ映画『火垂るの墓』バージョンではないでしょうか? 主人公の節子がドロップの缶を覗きこんでいるイラストがプリントされています。ご存知の方はたくさんいると思います。

てっきり所長は『火垂るの墓』に感動して、缶入りドロップを常用しているのだと私は勝手に思い込んでいました。
なにしろ初めて目にした、山積みのドロップ缶は『火垂るの墓』バージョンだったのですから。

カオリさんに聞くと「実は所長はジブリアニメをまったく観ないんです。」と苦笑いをしています。

ええっ!?

私は所長に向かって叫びました。

「これ、おはじきやろ!ドロップちゃうやんか!」

映画『火垂るの墓』のあの台詞を叫んでも、所長は涼しそうに笑みを浮かべています。

…まあ、悲しい話ですからね。ちなみにドロップの缶に水を入れて振って飲もうとしたことは…あ、ないですか、そうでしたか。私は1回だけ飲んだことがあります。予想はしていましたが、やっぱり悲しい気持ちになりました。

缶入りドロップの真相を聞いてみると、透析中に個別包装をいちいち取るのが厄介なので、そのまま片手で食べられるから缶入りドロップを選んだのだそうです。
…あ、なるほど。


低カリウムレタスが来た日

2014.10.17

皆さんはもう低カリウムレタスを食べましたか?

我が家では、かみさんの勤め先で発売早々に社内販売があって、少し安く入手することができました。

実際に我が家の食卓で試してみて良かった点は、袋詰めにされた低カリウムレタスは洗わずにすぐ食卓に出せること。よしい家では私も台所に立つので、手間がかからないのは便利で嬉しいですね。

それに味も、レタスが持つエグミのようなものが無くとても美味しかった。あのエグミはカリウムの味なんですね。

何より一番良いことは、家族で同じものが一緒に食べられるということでしょうか。私だけカリウム抜きの野菜を用意するのは本当に手間がかかりましたから。

忘れてはいけないのは、この低カリウムレタスは長持ちするということです。公式な情報によれば未開封のものは冷蔵庫で2週間は保つそうです。

ですが、よしい家では実際にはそれほど保たなかったのです。いや、きっと長持ちはしたのだと思うのですが、

「だってこのレタスうまいよ!」と子供は嬉しそう…。

私が透析を受けている間に、かみさんと子供があっという間に食べてしまい、最初に購入した分はたった3日で無くなってしまいました。

この低カリウムレタスは誰が食べてもとてもおいしいレタスなのです。


-痛みはイメージ次第?!

2014.10.10

「痛い」シリーズです。 シャントを作り始めたばかりの頃は血管が細くて、シャントのトラブルがよく続いていました。シャントの血流が止まるということはしょっちゅうでした。

最初の頃はお湯でシャントの辺りをマッサージするということをしました。温めて血栓を溶かすという感じでしょうか。また、主治医にマッサージをしてもらうということもありました。これはもうごりごりと指で押されるので、かなり痛かったことを思い出します。

マッサージで改善が見られない場合は、PTA(経皮的シャント拡張術)を受けるより仕方ありません。PTAって何? と思われた方はこちら(自分のシャントをよく知ろう! 飯田橋春口クリニック・春口洋昭院長の解説とお悩み相談【第4回】シャントトラブル2. 患者さんに生じるトラブル)を。主治医に紹介状を書いてもらい大学病院のお世話になります。

当時の主治医からは、

「PTAは痛いよ。受けた人、みんな痛い、痛いって泣き叫ぶよ」と言われました。

そう聞けば少し冷や汗がこぼれます。PTAはシャント血管の中にカテーテルを通し、バルーンで血管を中から膨らますことで血流を復活させるのですが、このときに激しい痛みが走ると言うのです。

初めてPTAを大学病院で受けた時は一泊病院にお泊まりしましたが、実際に受けてみたところあまり痛みは感じませんでした。

私は痛みにある程度の耐性がある方なのかもしれませんが、バルーンを膨らますと言っても極小サイズのバルーンだから、実際に血管の中で膨らんでも小さくつねられたくらいの痛みでは? と事前にイメージをしていたのです。
私の場合、実際その通りでした。小さな子供の爪できゅ〜うってつねられたくらいの痛みでした。なので、あまり痛みを感じなかったのです(もしかして私だけ??)。

処置をしている先生からは「痛みを感じたら痛いっていてください」と言われたので、

「あ、は〜い、いたいで〜す(^◇^)」と軽く応えたら、

「痛くないなら、無理に痛がらなくてもいいです!!」と怒られてしまいました。


歩きながら思うこと

2014.10.3

事務所に向かいながら歩いているとき考えます。

体がきちんと動いているな、とか、地面を踏みしめているときにちゃんと体を支えているなとか。

健康な人なら当たり前のことですが、この当たり前のことが嬉しいのです。

右足を前へ、左足を前へ、と交互に足を動かしていく。自転車でペダルを踏むようなイメージでしっかりと足が動いていることを確認しています。

会社員だった頃は、会社の近くに住んだり、透析クリニックを家の近くに選んだりしました。子供の保育園も会社の近くで、できるだけ生活圏を狭くしていました。"何か"があったときに、病院でも家でも、子供の保育園でもすぐに行けるようにしていたのです。今にして思えば"何か"とは何だったのかなと思います。

今は通勤に少し時間がかかりますが、それがすごく不便ということもありません。普通の人と同じように電車に揺られて移動できることが少し嬉しかったりします。

仕事の他に、患者スピーカーバンク外部サイトへのイベントに参加したり、取材で外回りをしたり、会社員の頃には受講できなかったような研修を受けたりしています。他の疾患の患者さんと話をしたり、出先で知らない街をぶらついてみたりと以前よりも活動圏が広がっています。

会社にいるときは、毎日が慌ただしくて自分の体の動きなど意識する余裕はありませんでした。終業のベルが鳴ると走って駅に向かい、クリニックに駆け込むといった具合です。

今は、良い透析ができた日の翌日は、体の動きがすこぶる良いということが分かります。足に体重をかけて地面を踏みしめる。柔らかい日差し、心地の良い風を肌で感じて一日の始まりを実感します。今日はどんな一日になるかな。どんな人と出会えるかな。日々何かを楽しみにするのは、実を言えば久しぶりのことなのです。


良いニュースと悪いニュース、どちらを先に聞きたい?

2014.9.26

アメリカのテレビドラマを見ていたときに出てきた台詞です。

自分だったらどちらを先に聞きたいだろうか? 

良いニュースを聞いてから悪いニュースを聞いたら、もしかすると、すごく嬉しい気持ちから突き落とされるかもしれません。悪いニュースを聞いてから良いニュースを聞いたら、突き落とされた気持ちから少しは救われる気持ちになるかもしれません。ニュースの内容に左右されるかもしれませんが、自分としては悪いニュースから聞いて、良いニュースを聞くのが精神的には良いのかなぁと思います。でも、長く生きていれば、イイコトもワルイコトも常に連続しているので、最後はどちらがくるのか分かりません。

主治医から自分が慢性腎不全だと宣告され、将来透析を受けなければ生きていけないと聞かされた時は、本当にショックでした。奈落の底に突き落とされるというのはこういうことかと思ったものです。

この時は、その後の人生で今のかみさんに巡り会い、息子を授かるなんて考えることもできませんでした。

息子は今、中学3年生です。すでに私よりも身長が高くなり、運動能力ははるかに勝っています。勉強好きではないようですが、私とはまた違ったことに興味や関心を持ち、おおらかに成長していくと思います。

家族との生活や子供の成長は、私にとってかけがえの無い幸福だと思えます。それこそ今、透析を受けているということが帳消しにできるくらいのことなのです。

良いニュースもあれば悪いニュースもある。悪いニュースの後には、いずれ良いニュースも来る。人生はきっとイイコトとワルイコトの繰り返しなのだと思います。


当てずっぽうに○○を食べた(飲んだ)と疑わないで!

2014.9.19

あるとき穿刺を済ませてベッドで横たわっていると、技士のKさんがやってきてテーブルの上にあるペットボトルの水を手にとって眺めています。どうしたのかな? と思っていると、

Kさん:「よしいさん、このペットボトルの水っていつも飲んでいるみたいだけど、飲み過ぎたりしていない?」と聞いてきました。

よしい:「ん? 何それ? 病院の裏にある自販機で買って、透析中の食事の時に半分しか飲んでいないけど、どうしたの?」

Kさん:「いや、よしいさん、カルシウム高くなってきたからさ、ミネラルウォーターはカルシウムが多いし、これいっぱい飲んだかなって思って…」

「なんだ、そのいっぱい飲んだというのは<`ヘ´>」と、正直ちょっとムッとしました。 実際、私は汗を大量にかくので水は飲むほうだと思います。でも、飲んでいる水にまで口を出されるのは少し嫌な気分になりましたね。

それから、カルシウムの数値だけを見ての発言なのも気になりました。他にも見るべき数値があるでしょう、って。実は、リンも高いのです。

カルシウムが高くなった原因は、実はわかっていたのです。

透析時間を延ばし、血流を上げて数ヶ月が過ぎると、リンの数値がすごく低くなりました。 そこで主治医から、

「よしいさん、リンが低いのでしっかり食べてくださいね。小魚食べてください。」と言われました。

主治医のお許しが出たのですから、毎日朝食にメザシを焼いて食べていた訳です。これはもう10年ぶりくらいのメザシです。CKDになる前は大好きだったメザシです。バリバリと骨もはらわたも食べました。そりゃぁ、カルシウムとリンが同時に上がるはずですよね・・・(^_^;)


最初の1時間はよく眠れて気持ちがいい

2014.9.12

何故なんでしょう?

普段は寝付きが悪く、帰宅後に寝ようとするとなかなか眠ることができません。何度も寝返りを打ってモヤモヤとしているのです。そうこうしているうちに、横で寝ているかみさんに脇腹を蹴られたりするんですが…(苦笑)。それで余計眠れなくなったり…(―_―)。

それなのに、穿刺が終わって透析が始まると途端に眠りにつきます。一説によると睡眠を阻害する物質が血液中にあり、透析開始と共に少なくなるそうです。夜とは全く違って、スッと眠りに入れます。

でも、最初の1時間だけなんです。よく眠れるのは。この1時間の睡眠がすごく気持ちがいいんです。その後は頭の中もすごくすっきりして、まるで十分な睡眠を取った後のようです。

もしかするとこの1時間のおかげで、睡眠不足を解消できているのかもしれません。最初の1時間がぐっすり眠れると、透析時間が短く感じるのはありがたいですね。

以前は、睡眠はぶつ切りではなく7時間とか8時間しっかりとまとまった時間を取れる方が良いと思っていましたが、今は透析中に良質な睡眠が取れていれば、少ない睡眠を十分に補えているような気がします。


ご飯はいつ食べるのが美味しいか?

2014.9.5

透析中に食べる食事が美味しくておいしくて仕方がありません。

夏場は食欲が落ちて、朝、昼の食事の量が減るのですが、透析中の食事だけはなぜかきちんとお腹の中に収まります。これが美味くておいしくてしかたがないのです。

透析の時の食事は美味しいと思う人と、透析中食事は摂れない人、ここは意見が分かれるようですね。

所長は透析中一切食事を摂らないそうです。サクマドロップを常備して透析時間を過ごし、透析が終わってから自宅でしっかりと食事を摂るそうです。私の場合は、透析を受けている間に食べないとものすごくお腹が空いてしまいます。

今まで色々なクリニックで透析を受けてきましたが、透析食が出るところ、お弁当(非透析食)が出るところ、食事は自分で持ち込むところと、やり方はクリニックによってまちまちでした。

お弁当だと、おかずに当たりハズレがかなりあります。一度、海鞘(ほや)の天ぷらが出たことがあり、食べるのを断念したこともあります(おかずとして奇抜過ぎです)。こういうときはご飯だけ食べて、残りの長い時間、ものすごーくお腹を空かしていたことを覚えています。

逆に透析食が出るクリニックはまずハズレはないです。出汁などでしっかり味付けしてあり美味しく食べられることがほとんどです。1品の量は少ないですがバランスが考えられており、色々と食べられるのが嬉しいです。それに塩分を抑えてあるので安心して食べられるのがいいですね。

食事を摂ると血液が胃に集まり血圧が下がると言いますが、私の場合、これまで血圧が下がったことはありません。穿刺してすぐにお腹がすき始め、早く食事の時間にならないかなといつも待ちわびています。

1つだけ注文があるとすると、透析食にカレーが出るのが許せません。別に塩分量や水分量、カリウムがどうこうということではないのです。

出される食器が箸だけなので、食べにくくて仕方がないのです(+_+)


こむら返り

2014.8.29

透析中、特に終わる直前で“足がつる”ことがあります。

“足がつる”つまり“こむら返り”というヤツです。

私はこの“こむら返り”を“コブラ返り“と間違って覚えていたことがあります。しかも、「『コブラ返り』は、草むらに隠れているコブラにふくらはぎを噛み付かれヒックリ返るくらいの痛みとして名付けられた」という、誰に植え付けられたか分からない摩訶不思議な屁理屈まで頭に残されていました。

まあ、それはともかく…。

子供の頃は警察の少年柔道に通っていたことがあり、道場で正座しているときによく足がつりました。その時は師範から「準備運動を怠るからだ」と叱られたものです。

少年柔道だったら師範や、他の仲間が交差した指を戻してくれたり、支えながら立ち上がって屈伸をし、足の裏の筋を伸ばしていくことで治すことができました。

でも、透析中はベッドに横たわっているので、立ち上がることができません(無理をして立ち上がる人もいますが、その直後に低血圧で気を失う人もいます。すごく危険!)。

以前通っていたクリニックでは、こういう時に段ボールが出されたことがありました。

まず、これがなんの役にも立ちません。

医療ベッドのフッドボードと患者の足の間に段ボールをはさみ、これを寝ながらの状態のまま踏んで足の筋を伸ばそうというものです。足には激痛が走って目一杯の力が入っていますから、空の段ボールなどぺしゃんこです。

そういえば、とっぺいさんの連載『QOL向上と患者の本音 ―その1:アンバランスは患者のせいか?』にも段ボールの話が出てきます。それによれば正しくは、「中身の入っている丈夫な段ボール」なんですね。空のではダメなんです。

その後、器用な技士さんが、がっしりした木の箱を作ってくれました。かなり厚みのある板を組み合わせて作ったものなので、踏み台にも使えるというものです。

「よしいさんが普通に乗っても壊れないんだよ! これならいつ何度でも足がつっても大丈夫だよ!」

と、すごく得意満面、ニコニコ顔で技士さんは話してくれました。

でも患者としては複雑な心胸です。だって当たり前ですよね、何度も足がつるのは誰だって嫌ですから。

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