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透析患者•よしいなをきの日常生活

【第14話】ボクの保存期〜今、CKDを生きるひとたちに・4

2014.6.19

文:よしいなをき

緑の文字の用語をクリックすると用語解説ページに移動するよ。

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前回は入社してからの慢性腎不全・保存期の生活について書きました。入社したのが1992年、ミニキッチンのある社員寮に入寮して、どうにか低蛋白の食事も作ることができるようになり、仕事と通院、食事制限を行う生活を送ったということに触れました。

今回は結婚とその後のことを振り返ってみようと思います。

イメージ

でもその前に…。

慢性腎臓病(CKD)の方や透析を受けている患者さんには、恋愛や結婚をためらう方も少なくないかもしれません。昨今は、病気とは関係なく恋愛に不得手という方もいらっしゃるかもしれませんが、何が縁になるかは本当に分かりません。「病気を持つ体では相手に受け入れてもらえないのではないか」というのは、おそらく多くの患者さん共通の悩みです。私にもありましたし、じんラボ所長にもありました。でも相手がYESと言うかNOと言うかは、こちらが口に出してみない限り分かりません。断られることもあると思います。でも、どこかの誰かが自分のことのように受け止めてくれるかもしれません。こればかりは、自分の気持ちを伝えてみるまでは分からないことです。


結婚までのこと

前回も書きましたが、当時のかみさんは「この人と一緒になったらかなり苦労するのだろう」と最初の時点から将来のことを考えてくれていたようです。「苦労するのは嫌だ」と思わなかったことに、今更ながら感謝しています。

実を言えば周囲の反対も強かったのです。先方のお父さんは大反対でした。大反対されたことで、かみさんの意志は強固になったようです。最終的に「ならば家を出てでも結婚する」と言い放ったことで、結果丸く収まりました。私など顔色は青ざめ、ただただおたおたしているだけでした。

結婚というゴールにたどり着くことはできましたが、その前までは大変でした。お父さんから反対されているということは事前に聞いていたので、最初に会いに出かけたときには、緊張でガチガチになっていました。勧められる前に座布団にどかっと座ってしまい、お父さんの舌打ちが聞こえてきたのを覚えています(教訓:常識ですが、相手の家の主人が、「どうぞ座布団にお座りください」というまでは座ってはいけない)。

当時のかみさんが結婚を前向きに捉えていてことに対し、相手の家族の賛成が得られない私は、そのことで深く悩んでいました。

「今はまだ薬や食事の制限で済んでいるが、いずれ人工透析を受けることになるのだろう。それで娘を幸せにできるのか」とお父さんからは言われていました。

当時、何でも相談するようになった主治医に、結婚の相談をしてみたところ、

「男なんて相手の父親からすれば誰が来たって『馬の骨』なんですよ」と主治医は言ってくれました。

そう言いながら、自分のこめかみの辺りを指でつつきながら微笑んでいます。

「…え?、ええ??」

詳しく話しませんでしたが、主治医の目は「僕もそうでした」と言っています。 (私は「お医者さまの『馬の骨』はまた別でしょう?」とは思っても口に出したりはしませんでしたが…)
主治医は私にこう言ってくれました。
「いいですか、透析しながら働く人もいますし、結婚している人も大勢います。どれくらいという数の話まではしませんが、誰もいないという話ではありません。せっかく縁があるのに、あなたが尻込みすることはないじゃないですか!」

そうか、縁か、縁だよな。家族の了解を得られるかは分からない。でも自分たちの気持ちははっきりしているし、ここまできて自分から降りるわけにはいかない。主治医の言葉でそう思うようになりました。仮に大反対されても、自分たちが一緒になるということは変わらないはず。それでいいと。

結果的には、大団円だったわけですが、二人の結婚が決まるまでは本当に長い時間を感じていました。


最初の食事

結婚してからの食生活について話そうと思います。私は、当時のかみさんに、慢性腎臓病(CKD)患者の食事制限について何度か話したつもりでいました。高カロリー低蛋白だよ、と何度となく伝えていたのですが、最初にかみさんが食事の支度をしたときには、ハンバーグを作ると言って赤身だけの脂身のない牛のひき肉を買ってきました。

誰しも自分の中の常識を覆すのは本当に難しいことだと思います。言葉だけで伝えても伝わりきらないということがあります。腹落ちしない限り理解できないということは肝に命じておいたほうがいいのかもしれません。ここで怒っても始まらないので、買ってきた赤身の肉で自分がどれくらい食べられるのか秤を使って話してあげました。脂身のない肉ですから、本当にごくわずかしか食べられないことは形にしてあげればすぐに分かります。

「これを自分が食べる場合には、タマネギを多く刻んで混ぜて、かさを増やして食べるんだ」と、実物を見せて説明してやっと理解してもらえました。

最初はこうした思い違いもありましたが、二人になったことで食生活は格段に楽になりました。食事の支度は普通の1食よりも多めに作り、盛りつけをする時はかみさんの方を多く、自分は少なくするといった感じです。朝食の時は1つの卵焼きを半分にして、2枚の皿に盛りつければおかずの蛋白質は3gで済みます。アジの開きだったらちょうど開いた半分のところで分けるので、1食の蛋白質は10gくらいです。可食分(骨等を除いた身の部分)だけならもう少し少ないかもしれません。

その後は子供も生まれて、彼が成長すると食事の仕方はもっと楽ができるようになりました。


CKDステージが上がってから

結婚して3年後に子供を授かりました。この頃から会社では、新入社員研修や社内技術教育の講師を担当するようになり仕事も忙しくなってきました。子供がいるのだから頑張らなくてはいけない、ということもあったのでしょう。土日に仕事を持ち帰ったり、残業で遅くまで会社に残ったりしていました。今思えば残業したりすることで外食が増えたことも原因なのかもしれません。徐々にですがクレアチニンの値が上昇してきました。

主治医からは「蛋白質の少ない治療用特殊食品を使った方がいい」と勧められました。

当時は、パックの低蛋白ご飯や、表面を削り取って蛋白質を減らした低蛋白米の出始めの頃でした。主食で蛋白質を減らした分、おかずで食べられる蛋白質を増やすことができる画期的な商品です。従来のように普通の食品で低蛋白を実現しようとすると、全体的に量が減り満腹感がありません。ですが治療用特殊食品を使うと、食べる量は若干増やすことができます。

私が使ったのは、低蛋白パスタと低蛋白米でした。

低蛋白パスタはイタリア製で少し割高でしたが、100g使っても摂取蛋白質は1gを切ります。パスタは麺類の中でも比較的蛋白質が高いので、この商品が出るまでCKD患者はパスタを食べることは諦めなくてはいけませんでした。でもこのイタリア製の低蛋白パスタなら、市販のたらこソースを使っても1食の蛋白質はおよそ3gで済みます。これを朝食に食べるようにしました。すると必然的に昼、夜の蛋白質摂取量を若干ですが緩くすることができます。

夕食には低蛋白米を使いました。電子レンジでお米を炊く器具を使うと低蛋白米も、普通に炊き上げることができます。さすがに家族に同じ主食を食べさせるわけにはいかず、夕食のご飯は炊き分けました。このときには子供も食べる量が増え、大人2人分のおかずを用意して3人で分けるということをしました。

治療用特殊食品と通常品の蛋白質量の比較

蛋白質
●パスタ(乾麺) 通常品(乾麺100g) 13.0g
低蛋白パスタ(乾麺100g)  0.2〜0.6g
●ごはん 通常品(白米150g) 3.8g
低蛋白ご飯(パック150g) 0.19g、0.75gなど

主食を治療用特殊食品に代えることで、おかずで食べられる蛋白質の量を増やすことができます。
おかずの選択肢が増えるとともに、家族と同じものを食べることができるようになります。

主食を治療用特殊食品に切り替えるという方法は、私には大きな効果をもたらしました。上昇傾向だったクレアチニンですが、少し横ばいになったり、時には値が低くなったりしました。低蛋白のレトルト食品なども試してみるようになり、時には外食をすることもありましたが、どうにか人工透析導入を少し先へ、少し先へと延ばすことができたようです。


与えられた時間

この頃のクレアチニンの値から、私はあることを意識するようになりました。
それは「この先、遅かれ早かれ透析導入は避けきれないだろう」ということです。

透析を受けながら自分にできることは何かと考えてみると、それは文章を書くことくらいしかありませんでした。最初は色々な気持ちのはけ口として文章を書いていたのです。透析を始めるとき、もし会社という後ろ盾が無くなったとして、自分にできることは何か? そう自問したとき、上手い下手は別にしてもそれが文章だったら自分にとっても良いだろうと考えていたのです。丸3年、1日も欠かすことなく自分の気持ちを日記サイトに綴っていました。

「3年書き続ければ、何かしらの答えが出るだろう」そんな風に思っていました。

この時期、色々な縁があって評論家の鈴木邦男さんのホームページのリニューアルを手伝うことになりました。そのことがきっかけで少しずつですが、Web上に記事を書く機会を得たのです。鈴木さんの講演レポート(「赤報隊事件」といったテロ事件など血なまぐさい内容ばかりでしたが…)を書いたり、鈴木さんに紹介していただいた著名人の講演などに足を運ぶようになります。

ある時、鈴木さんから電話でとんでもないお誘いを受けました。

「ファルコンしゃん、今度一緒にイラクに行きましぇんか」

ファルコンというのは当時の私のハンドルネームです。それから鈴木さんは滑舌が悪く”さしすせそ”が上手く言えません。「そうですね」は「しょうでしゅね」、「行きます」は「行きましゅ」になります。

ちょうどイラク戦争が始まろうとしている時期で、日本からも文化人や宗教家から「人間の盾」が組織され、そのメンバーに鈴木さんがいました。旅費、滞在費用は全て当時のフセイン政権が持つとのことで、身1つでついて来ればいいとのこと。しかし万が一にもイラクの地で透析導入となったら絶対にマズイと思い、

「いやいや、私の体はいつ透析になってもおかしくなくてですね、食事の制限も厳しいし、ちょっと同行は無理ですね」
とお断りしました。すると鈴木さんは、

「トウシェキ? トウシェキでしゅか。よく分かりましぇんが仕方ないでしゅね」と一応、納得してくれました。

「こうした活動があとどれくらいできるだろう」そう考えた私は、透析までの期間を「与えられた時間」と思うようになりました。本格的に文章の勉強をしたいと考え、会社には籍を残したまま、大阪芸術大学の通信制で文章芸術を学ぶことにしました。小説、詩、戯曲、放送台本、漫才台本などを実際に書きながら学びます。仕事の合間に大学のレポートを書き、夏になるとスクーリングで大阪の南河内にある大学校舎で学びます。

このとき『小説論』の指導をされたのが、小説家の小川国夫先生とSF作家の眉村卓先生でした。

小川先生は、朝日新聞に『悲しみの港』という連載小説を書かれ、黒井千次と並び「内向の世代」と呼ばれた作家です。この頃、小川先生はまだご健在で、学生と飲みに行かれるのが大好きでした。機嫌の良かった小川先生は私に「日本文学界の未来はお前に任せた! 文学世界の極北を目指せ!」と豪快に笑いながら仰ってくれました。後から人づてに聞いたのですが、この台詞は酔うと誰にでも言うのだそうです。

入学1年目のとき、眉村先生は、ガンを患われた奥様をずっと看病をされていたとき(『妻に捧げた1778話』というエッセイをお書きになり、後に映画化されました)で、教壇に立たれていませんでしたが、翌年にはお会いすることがかないました。眉村先生と言えば「なぞの転校生」「ねらわれた学園」など日本のジュブナイル小説の大御所です。人当たりがよく、若い学生が書いた掌編小説にも細かく目を通され、気に入った文章を見つけながら「この表現が良い」と励まされていました。

通信制はその特性から老若男女混成のクラスで、高校を出たばかり若者や、会社を勇退されて学びなおすために来た方などもいました。ちょうど私はその間に立つ年齢だったこともあり、クラス内の調整役のようなことをしていました。有志を募り小説やエッセイを集めた同人誌を発行したり、スクーリングの後は飲み会をセッティングしたりしていました。スクーリングの時期は2週間程度、大阪でウィークリーマンションを借りていましたが、このときは鍋、釜、低蛋白パスタを持ち込んで自炊しながら参加していました。

こうした活動は人工透析を受ける前だからできたことのように思います。南河内の大学校舎には3年通うことができましたが、4年目のそれは適いませんでした。

2005年4月26日にシャント作成の手術を受けることになったのです。奇しくもその日は私の37歳の誕生日でした。

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よしいなをき

よしいなをき
透析はしていますが普段はスポーツ自転車に乗って 体を鍛えています。
仕事は、平凡なサラリーマンですが、透析の時間を利用して、ブログを書いたり、小説を書いたりしています。

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