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腎不全にうまれて〜腹膜透析から移植、血液透析導入まで〜

【第4話】冬を越えて

2015.12.17

文:びょん

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生まれながらにして腎不全を患い、奇想天外な人生を歩んできたびょんの体験談も残すところ2回です。
あと少し、お付き合いいただければと思います。

前回(【第3話】就職氷河期をわたる)は公務員試験を中心とした内容でした。中学校の頃からの目標である公務員になるために、高校で公務員試験に挑むもことごとく惨敗。専門学校に入り、もう一度だけ挑戦することに。公務員試験後から現在に至るまでを、今回と次回で一気にお話します。

試験の結果が出るまで不安で不安で仕方がありませんでした。もしここで落ちたら急いで進路変更をしなければなりません。

不安の余り、秋休みを利用してハローワークで障がい者向けの求人を探しました(世間一般の夏休みの時期は公務員試験に向けた追い込み時期なので、筆記試験が終わった頃に秋休みというものがありました)。当時は不景気だったので、ハローワークは職を求める人でごった返していました。自分の順番になったので障がい者向けの求人を探していることを伝えると、職員の方が求人票を持ってきてくれました。その数わずか3件。あまりの少なさにあ然としました。そしてどれもが非正規雇用の求人でした。

不景気で障がい者で、なおかつ地方というかなり厳しい条件でしたが、まさかここまで求人が少ないとは思いませんでした。結局、まずは試験の結果を待って、だめたったら求人の中で一番条件が良かった銀行に応募することに決めました。契約社員というところが不安でしたが、ハローワークの職員の方に契約を更新していけば働き続けられるから大丈夫と励まされ、また母にも「試験がだめだったらどういう形でもいいからまずは働こう」と背中を押されたため、万が一の事態に備える覚悟をしました。


合格発表はインターネットに合格者の番号が掲載されるという形でした。自分の番号があるのか専門学校のパソコンを使って確認しましたが、合格発表のページを見るまでとても勇気が要りました。番号が載っているかどうかで今後の人生が大きく変わるかも知れないと思うと、見なくて済むものなら見たくないと思いました。とはいえ、見ないままにしておくわけにもいかないので恐る恐る確認すると…。

ありました! 私の番号が確かに載っていました。

すぐに先生に報告したところ、とても喜んでくれました。その日の学校帰りだったと思いますが、ハローワークにも寄り合格の報告をしました。私の担当をしてくださった職員の方が「良かった。良かった」と喜んでくれました。周りの職員の方も喜んでくれました。家族にはまず電話で報告をしたらしいのですが、なぜかその時のことを覚えていません。あまりに嬉し過ぎて記憶から抜け落ちてしまったのかも知れません。いわゆる有頂天になっていたのだと思います。

両親は、娘が自分で自分を養っていけるようになったことで、とても安心したそうです。それはどこの親も同じだと思いますが、病気の我が子と歩んできた道のりを考えるとその思いはひとしおだったと思います。あれからもう5年が経ちました。今思い返せばあっという間だった気がしますが、この5年の間にはいろいろなことがあったなと思います。


専門学校の卒業式が2月にあったのですが、そのわずか1ヶ月後東日本大震災がありました。内陸住まいのため津波の被害を受けることはありませんでしたが、停電が3日間続きました。ラジオから聞こえてくるこれまで聞いたことのない緊迫した声と、聞くたびにどんどん上がっていく津波の高さに、これは尋常ではないと感じ怖くなりました。

水道が使えたことと薬に余裕があったことは、病気持ちの私にとって不幸中の幸いだったと思います。水の確保と薬に余裕を持たせておくことは大事なことだと感じました。また「古くさい」とバカにしていた反射式ストーブがその時はなくてはならないものになりました。万が一の場合に備えてコンセントに繋がなくても使えるものを用意し使えるようにしておくことも大切だと痛感した震災でした。

次回「終わりと始まり」につづきます。

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びょん

びょん
1991年岩手県生まれ。岩手県在住。
生まれてまもなく先天性ネフローゼ症候群と診断され腹膜透析治療を開始し、2才半の時に母より生体腎移植を受けました。
1994年春、左腎に腫瘍が見つかり(ウイルムス腫瘍)、摘出しました。
23歳から血液透析導入になり現在に至ります。
特技はパソコンのキーボードのタイピング。運動は苦手、読書が好きなインドア派ですが、最近の休日は腎友会青年部の仲間といろいろなところへ出かけることが多いです。透析は火曜コースの午後です。
今の目標は一人暮らしできるようになることです。

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